琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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浮城モノ語り

第4話 青面金剛図

 「大津絵の筆のはじめは何仏」と芭蕉の有名な句にあるように、初期の大津絵は仏画で、中でも現在最も多く残されているのが青面金剛(しょうめんこんごう)です。それは、青面金剛が「庚申待(こうしんまち)」の本尊として、広く庶民に信仰されたからです。
 「庚申」は江戸時代に爆発的に流行し、全国津々浦々に広まった庶民信仰です。現在まで続いている所も多く、庚申の日に人々が堂に集まり、夜を徹して様々な事を祈り、酒宴を開いて語り明かす、要するに一晩中眠らないということが最も重要なのです。
 庚申信仰は、中国の道教思想に基づくもので、人間が本来の寿命(一説では125歳)を全うできないのは、人間の体内に宿る「三尸(さんし)」という三匹の虫のせいだとし、この三尸が、庚申の日の夜、人が眠っている間に身体から抜け出て天に昇り、天王にその人の行いの善悪を告げ、天王がその罪科によってその人の寿命を縮めるといわれました。庚申は60日(年)毎にやってきます。三尸がぬけだす庚申の日の夜に、一晩中眠らなければ三尸は出てこられない、ということで始まったのが「庚申待」です。
 本来庚申信仰と無関係の青面金剛は、伝尸(でんし)(結核などの感染症)という伝染病から守ってくれるほとけであったところから、伝尸と三尸を関連づけたものと思われます。
 「庚申待」は、元来は一人静かに夜明けを待つだけでしたが、次第に大勢集まった方が効果があるとして「講」というグループがつくられ、一定期間続ければ、所願が成就し、無事終了したことを記念して「庚申塔」「庚申塚」が建てられました。さらに専用のお堂「庚申堂」ができるなど、庚申信仰の広がりはすさまじく、中には「庚申の代待(たいまち)」と言われる庚申待の代行業も登場する始末です。やがて「庚申待」は、長命・家内安全・五穀豊穣などを祈る場、情報交換の場、酒を飲み御馳走を食べて語り合う場など、何でもありの会となっていきました。そうした中にも、肉や魚を食べることが禁じられるようになったりしました。また庚申の日は、60日ごとに回ってくるので、1年では基本的に6日であるが、端数の繰越などで、年7日、年5日の年がでてきます。七日庚申、五日庚申と言われるもので、7日の年は豊作、5日の年は凶作と信じられていたようです。

(学芸員 上野 良信)