琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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浮城モノ語り

第8話 武陵桃源図

 広瀬柏園(ひろせはくえん)は彦根ゆかりの画家で、名を明、字を十哲と称し、柏園・老幅軒などの号があります。享和元年(1801)、町人代官の広瀬治良右衛門順固の子として彦根四十九町(現在の城町)に生まれました。父は画家としても活躍した人で、岸駒(1749~1838)に師事し、牛馬の絵を得意としたといいます。
 岸駒の画法を父より学んだ柏園は、岸駒の生き方をまねたのか、定まった師につかず、独学で画法を習得しました。柏園は初め井伊家に仕えましたが、のちに大津に出て、三井寺の円満院門跡・覚淳法親王に仕えました。円満院門跡といえば、芸術家のパトロン的な存在として知られていました。覚淳もまた芸術に造詣が深い教養人であり、柏園の他に京焼の陶工・永楽保全を招き、門前に窯を築いて「三井御浜焼」(湖南焼)を焼成しました。覚淳を通じて柏園と保全は親交を深め、保全が作った陶磁器に、柏園が絵付けした作品が残されています。
 さて、「武陵桃源図」は中国故事に取材したもので、武陵の漁夫が道に迷って、桃花が咲き乱れる仙境にたどり着き、その村で歓待を受け、帰るのを忘れるほどの穏やかな時を過ごしたという、「桃源郷」の語源になった故事を描いたものです。 図は、桃花が咲き乱れる山深い仙境の地に集う人々を表しています。
 柏園はこのような中国故事を題材にしたものを得意とし、多くの作品を残していますが、俳句にも優れ、「湖上半漁」の俳名を用い、得意の絵を活かして洒脱な俳画も多く描いています。本図の人物の描写がやや俳画風なのは、いかにも柏園らしい表現であると言えます。
 大津を活躍の場とした柏園ですが、生活はあまり楽ではありませんでした。求めに応じて気さくに絵を描いても、必要以上に料金をとることはなかったからで、柏園の人柄をよく表しています。「清貧」という言葉がありますが、まさにそうした画人生活を全うした柏園は、明治4年(1871)9月17日、71歳でその生涯を閉じました。

(学芸員 上野 良信)