琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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浮城モノ語り

第10話 赤童子像

 ここに一幅の掛軸があります。一人の童子が岩座の上に立っている姿が描かれており、肌は赤く、右手で杖を付き、その上に左手であごを付いてどこかを見つめています。その形相はぶ然として何かをじっと睨みつけているかのようです。童子の髪は長く垂らして、上半身は裸で首飾りや腕輪を身につけ、腰には裳(も)を着して足は裸足です。この像を見ると、我々はすぐに制叱迦童子(せいたかどうじ)の姿を思い浮かべますが、軸の外側には「春日赤童子」「佛母律寺蔵」と墨書されています。この春日赤童子は奈良春日大社の神の姿とされ、南北朝時代以降、南都を中心に盛んに絵画作品が制作されました。佛母律寺については不明です。
 そもそも制叱迦童子は仏教の不動明王の従者である八大童子の一人で、多くは矜迦羅童子(こんからどうじ)とともに不動明王の脇像として描かれます。憤怒した顔が悪いものを追い払い、また突き立てられた杖には俗界や異界からの侵入を阻む意味があることから、天台寺院などでは制叱迦童子の像をもって護法童子(ごほうどうじ)とも呼ぶようになりました。
 神仏が仮の姿で現れることを「権現(ごんげん)」といいます。明治時代に仏教と神道を別とした廃仏毀釈までは、日本では神と仏は一体であるという神仏習合の考え方が一般的でした。奈良の春日大社は興福寺と一体で、春日大社の神は「法相擁護ノ御姿」とも言われ、そこで擁護神の性格を持つ制叱迦童子と習合し、春日赤童子となったのです。
 ところで、日本の古代中世では、「童子」は老人とともに神に近い神聖な存在とされていました。髪型や服装で明らかに童子と大人の区別があり、大人になるとあらゆる面で社会的な責任を負いますが、成人するまでの童子はより自由であり、特に七歳までは大人にはない特殊な能力を持つ存在としてとらえられていました。
 歴史や文学の中にも自由な存在としての「童子」が登場します。それは成人でも「童子」の姿をした人々です。牛車を扱う牛飼童(うしかいわらわ)や天皇の輿丁として奉仕する八瀬童子(やせどうじ)などです。彼らは髪を結わずに長く垂らして明らかに童子と同じ風体をしていますが、明らかに成人した大人で、神と融通する存在として童子形をとっていました。説話の中に登場する大江山の酒呑童子やそれをとりまく鬼もざんばら髪や乱れ髪で、童風の姿に描かれています。このように童子は、聖なる世界と世俗とを行き来する存在でもあったのです。

(学芸員 稲田 素子)