琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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浮城モノ語り

第20話  秋景山水図
 

 秋深まる山中の庵に佇む文士を描いた一幅の絵。文士は書物を広げています。画面上方には「丙戊秋九月写意/春琴」「家面東山常眼明朝/嵐夕翠机間模吾/儂怕柳看山福/翻把鑑書移入/城」「頼襄」とあります。
 この一幅は、浦上春琴(うらかみ・しゅんきん 1779~1846)が筆を執り、頼山陽(らい・さんよう 1781~1832)が賛を記した合作で、文政9年(1826)に制作されました。
 浦上春琴と頼山陽はともに江戸時代後期から末期に活躍した文人で、春琴は安永8年(1779)に備前国(岡山県)の鴨方藩士である浦上玉堂(うらかみ・ぎょくどう 1745~1820)の嫡子として生まれました。父玉堂は江戸時代後期を代表する文人画家です。元は藩の大目付を勤める上級藩士でしたが、若い頃から学問や詩文、七弦琴に親しむなど琴棋書画に没頭し、ついには寛政6年(1794)50歳の時に春琴と弟の秋琴を連れて脱藩してしまいます。父玉堂に連れられて、春琴も諸国を歴遊し、江戸や長崎では画塾に通って古書画の研鑽を積み、画家としての素養を身につけます。
 春琴は20代で京都に定住し、文人画家としてデビューするとすぐに頭角をあらわしました。春琴の穏やかで平明な画風は多くの人々を魅了しました。当時の一番人気の画家がこの春琴で、いわば文人画の王道を歩んだ人です。
 賛を記した頼山陽は、幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた『日本外史』を執筆したことで著名です。広島藩の学問書に勤めた儒学者の頼春水(1746~1816)の嫡子として安永9年(1781)に藩内で生まれました。幼い頃から詩文の才能に恵まれ、歴史に興味があり、また体が弱いこともあって学問にいそしみました。成人した山陽は、藩での出世が約束されていましたが、文士として生きたいとの思いが強く、寛政12年(1800)に突如脱藩を企てて上洛しますが、すぐに広島に連れ戻されて廃嫡の上、自宅に幽閉されてしまいます。その間に山陽は学問に専念することとなり、謹慎が解かれた後に福山藩の廉塾の塾頭を勤めますが、それにも満足できず、文士として身を立てるべく、再び上洛して京都で開塾します。故郷を捨てた際には「例え乞食となっても」と覚悟を決めた上での出奔でした。
 やがて才能豊かな彼の周りには文人墨客達が集まり、サロンが形成され、主要メンバーの一人に春琴が名を連ねるようになりました。
 脱藩した父玉堂と過ごした春琴の生い立ちや、山陽の生き方は封建社会にあって異端と言える生き方でしょう。一見自由気ままなようにも見えますが、志がなければ成し遂げることのできない生き方でもありました。
 春琴と山陽はしばしば共に筆を執りました。その一つがこの「秋景山水図」です。書にふける文士の姿は春琴自らを描いたものでしょうか。世俗を離れた山間の庵を描いたこの絵は文人の心の理想地を描いたものといえます。




(学芸員 稲田 素子)