浮城モノ語り

近江ゆかりの画人は数多くいますが、蒲生郡日野を代表する画人といえば、高田敬輔(たかだ・けいほ 1674~1755)がまず挙げられるでしょう。
高田敬輔は延宝2年(1674)、日野大窪(現・滋賀県蒲生郡日野町大窪)に生まれ、京狩野の大家である狩野永敬(かのう・えいけい 1662~1702)に師事して本格的に画道を歩み始めます。弟子には同郷の月岡雪鼎(つきおか・せってい ?~1786)や島崎雲圃(しまざき・うんぽ 1731~1805)らがおり、また一説には、あの曾我蕭白(そが・しょうはく 1730~1781)も師事したとされ、自らの画業のみならず後進にも確かな影響を残しました。今回ご紹介する作品は、この高田敬輔の紙本木版著色「選択集十六章之図」です。
まず画題の「選択集」とは、浄土宗の宗祖・法然(ほうねん 1133~1212)が著した『選択本願念仏集』に由来します。また同書では専修念仏の教えを16章立で説いており、その主意を章ごとに絵画化したものということで、「十六章之図」という画題がついています。
特に第7章「摂取章」を最上部中央に表し、阿弥陀如来が十方に放つ光明の摂取不捨(せっしゅふしゃ/すべての衆生を見捨てず、救済する)のはたらきをもっとも印象的に表現しています。
このほか時期を同じくして、浄土宗の聖典の一つである『仏説無量寿経』の世界を描いた紙本木版著色「無量寿経曼荼羅」(日野町・信楽院蔵)を制作しており、浄土教学に裏付けされた作品を数多く残しています。これは単に高田家が浄土宗寺院の檀家であったという理由だけでなく、敬輔自身が浄土宗の著名な学僧・義山(ぎざん 1647~1717)の元でその筆をふるったためと考えられます。このように高田敬輔をはじめ江戸時代の多くの画人たちは、絵画というわかりやすい方法で民衆に仏教を広める手助けをしていました。
なお平成27年度、「マザーレイク滋賀応援基金」の制度によって本図を修理し、滋賀県立安土城考古博物館第53回企画展・琵琶湖文化館収蔵品特別陳列「表現された神と仏」(会期:平成28年2月27日~4月10日)(詳しくはコチラ)にて展示公開し、修理工程を紹介したパンフレットも会場で無料配布いたしました。
(学芸員 渡邊 勇祐)