琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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第31話 琵琶湖文化館の足跡-建物編

 こちらの写真は、開館当時の琵琶湖文化館を空から撮影した貴重な資料で、今も琵琶湖文化館の事務所に飾られています。

 琵琶湖文化館の建設にあたっては、昭和34年(1959)2月、滋賀の豊富な文化遺産の保護と産業文化の発展、琵琶湖の観光に寄与するため滋賀県観光文化館を建設するという計画が立ち上がります。そして4月には建設後援会が設立され、建設促進のための募金運動が展開、県内外から多くの金品が寄せられました。9,000万円の寄付のうち約7割が県内の各自治体、寺社、企業、個人などから寄せられたもので、各小中高等学校では児童・生徒たちが鉛筆を購入して建設費を募金したといいます。また、全国主要社寺の高僧や宮司、大学学長、さらに池波正太郎や江戸川乱歩など文化人から寄せられた書跡や色紙は、これを販売して建設資金に充当しました。琵琶湖文化館は、こうした寄附と県費あわせて1億5,000万円を建設資金とし、昭和36年(1961)3月に完成しました。
 建物は、鉄筋コンクリート造りの和城連立様式で本館と別館からなり、展望閣、水族館、博物館、美術館、文化財受託庫、プール、食堂(グリル・ビワコ)、集会室、熱帯植物園が設置されました。

 建設の様子は、紙焼き写真に記録されており、当時を物語る貴重な資料として、琵琶湖文化館に保管されています。建物が完成するまでの様を、日を追って撮影したこれらの写真は、当時の勢いをそのまま切り取ったようで、昭和というひとつの時代のネルギーのようなものさえ感じられます。

 

 建物の基礎となるコンクリートには、通常使用する砕石ではなく、真水流れる愛知川の砂利を使用しているため、頑強さは折り紙付きであると、当時を知る関係者から話をうかがっています。湖中にありながら50年余りの年月を経てなお形状を維持できているのも、関係方々の並々ならぬ熱意と創意工夫、尽力の賜物であると言えるでしょう。

 子ども達にとって琵琶湖文化館は正しく夢殿で、前庭の遊具で遊び、地下の室内プールで泳ぐ、そして眼前に琵琶湖を臨むグリル・ビワコで食事をする、これがひとつのステイタスでもあり自慢であったと、今でも年配の方から当時を懐かしんでお話を聞くことがあります。水族館で鯉に餌をやるのが楽しかったと、笑顔でお話しくださる方もいらっしゃいました。

 また、琵琶湖文化館は観光拠点として京都からのバスツアーに組みこまれ、大勢の人で賑わいました。三条京阪をバスで出発した一行は、比叡山延暦寺をめぐり旧琵琶湖ホテル(大津市柳ケ崎)でおしゃれにティータイムを楽しみ、そこから船で琵琶湖文化館の桟橋に到着、館内を見学し、駐車場に待機していたバスに乗り京都に戻るというのが、人気の観光コースとなりました。
 琵琶湖文化館は、今で言う総合レジャー施設・テーマパークとして、ひとつの時代を盛り上げたのです。

【昭和36年度に県監査委員会に提出された監査調書より】
 本館は、地方文化の研究向上と、琵琶湖観光に寄与するため、県民総がかりの体制をもって、琵琶湖水族館・博物館・文化財収蔵庫・美術館・展望閣および室内プール等を綜合する湖上施設として、昭和36年3月20日に竣開した。 その後、駐車場・公衆便所・休憩所および児童遊具施設等の充実整備をはかると共に、熱帯植物館を誘致し、また経営計画においても期待にそむくことのないよう努力した。