琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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浮城モノ語り

第40話 山居図

 横井金谷は江戸時代後期の文人画家で、浄土宗の僧侶でした。1761(宝暦11)年、現在の草津市下笠町に生まれました。「金谷上人御一代記」によると、幼名を早松といい、9歳で小僧修行に出され、21歳の若さで京都北野の金谷山極楽寺の住職となりました。この頃から本格的に絵を描き始めたようで、寺の山号を画号に用い、生涯にわたって絵に「金谷」と署名しています。

 金谷は、その生涯にどれだけの絵を描いたかわからないほど多くの作品を残しており、その内容も仏画、山水図、人物図、俳画と多彩です。その中のひとつ「山居図」は、深い谷間にひっそりと建つ庵の中で、静かな時を過ごす隠士の姿を描いています。蕪村の同図を参考にしたもので、金谷画初期の若々しい描写が特徴的です。画中の墨書により金谷38歳の作であることがわかります。

 この絵には二つの印章が捺されているのですが、ここで注目されるのは「KINKOK」とローマ字で彫られた印を使用していることです。先に紹介した「金谷上人御一代記」の中で、金谷は長崎に旅行した時の様子として、オランダ人や船をスケッチしたり、外国語にも非常に興味を持ったことを書いています。何事にも好奇心旺盛な金谷が、自らを「KINKOK」と彫っても不思議ではありません。しかし、数ある金谷画の中にあっても、この印を押した作品は他にはありません。
 もうひとつの「蝙・蝠」印は、初期の作品に限定して用いられる印章です。蝙蝠とは、コウモリのことで、金谷はこのコウモリを自らのトレードマークのように描いていました。

 60歳を超えても諸国を旅した金谷は各地で絵を描いていましたが、晩年は故郷に戻り、対岸の比叡山麓に草庵をたて、画業三昧の日々を送っていました。70歳を迎えても筆力は衰えず、1832(天保3)年1月10日、72歳でその生涯を閉じる直前まで、筆を執っていました。


(学芸員 上野 良信)