琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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第42話 井伊直弼書跡 萬里一条鉄

 井伊直弼は、1815(文化12)年彦根藩主直中(なおなか)の14男として、槻(けやき)御殿(現在の楽々園の一部)に生まれました。この時すでに兄の直亮(なおあき)が藩主についており、直弼は、隠居生活を送りながら能、文芸など芸道に親しむ父直中の影響を受けて育っています。また、仏教心に篤い直中の影響で、井伊家の菩提寺である清凉寺(曹洞宗)に通い、禅の修行に熱心に取り組んだとも言われています。
 1831(天保2)年、17歳の時に父直中が亡くなると、藩主一族が住む「御屋敷」の再編が行われ、跡継ぎでない直弼は、城下にある尾末町御屋敷に転居します。多くの兄弟たちの中には他家へ養子縁組をはたす者もいましたが、直弼は当主である兄に万が一のことが生じた場合のため、弟直恭と共にこの控え屋敷に残ります。この時直弼は、自身の境遇を「埋もれ木」に例え、住まいも「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けています。しかしそれは、決して自身の境遇を嘆き悲しむものではなく、ありのままを受入れ、自分の道を極めようとする気持ちの表れでもありました。以来質素な生活を送りながらも、和歌や茶道、武術、能楽など学問武芸に打込む一方、ひたすら自己の身体を錬磨し、精神の修業に努める日々を送ります。
 そして1850(嘉永3)年、直弼は36歳で彦根藩主となります。ようやくと言っていいでしょうか。当時としてはかなり遅咲きの大名デビューですが、直弼は埋もれ木として培った年月を無駄にせず、その後も当主としての知識教養を深めるため、更に自己の研鑽に努めます。直弼の実直賢明な人柄は、幕府からの信頼も篤く、政治最高職の大老に任命されるなど、動乱を迎える幕末の重要人物の一人として、歴史に名を残すのでした。

 さて、今回ご紹介するのは、井伊直弼の掛軸一行書「萬里一条鉄」です。これは禅語の一つで、万里とは時間空間を含む天地宇宙のことで、そこに一条の鉄、絶対的な真理が一貫している様を表します。「どんな困難な状況にあっても信念を貫く」という直弼の心の顕れであったのかもしれません。記されている直弼の雅号「澍露軒」は、埋木舎の茶室の名で、法華経普門品偈にある「甘露の宝雨を澍ぎて煩悩の炎を滅除す」からとったものです。幼少の頃から清凉寺において禅に励み、自らを埋もれ木と称してなお、決して埋もれることなく自己の研鑽に励んだ、直弼らしい書と言えるのではないでしょうか。

 飽くなき探究心と折れることのない心の在り方は、動乱の幕末に立ち向かう行政能力や決断力といった直弼の生き方に影響を与えました。一方で政治家としてだけでなく、和歌や国学、茶の湯などに精通した直弼は、俊才多芸、人間味溢れる第一級の教養人として、地元の誇りとなっています。

 ちなみに、現在放送中のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」、舞台は江戸時代が始まる少し前のお話しですから、幕末を生きた井伊直弼との間には、約250年の隔たりがあります。また1963(昭和63)年に放送されたNHK大河ドラマの第一作「花の生涯」は、この井伊直弼を主人公にしたドラマでした。