琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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第43話 大津市打見山経塚出土品

 

 琵琶湖の西側、比叡山の北に連なって高く聳える山々が比良山地です。標高1,214mの武奈ヶ岳を最高峰とする山々のうち、ロープウェイで登ることのできる打見山山頂 (標高1,108m) 付近は、冬のスキー以外にも年中レジャーを楽しむことのできる場所となっています。このような娯楽施設の開発が始まる直前の昭和35年頃、打見山から蓬莱山への鞍部を少し西へ下ったところにある大きな岩の裾で、経塚が発見されました。この打見山経塚からの出土品が現在、琵琶湖文化館に収蔵されています。

 

 経塚というのは、中に経典を納めた経筒を土に埋め、盛り土をして塚としたものです。いつ頃から作られたのかははっきりしていませんが、全国で2,000基以上見つかっている中で最も古いものは、寛弘4年 (1007)に藤原道長が吉野の金峯山に自ら写した経典を埋納した金峯山経塚です。 この頃、世の中には末法思想という考えが、急速に広まっていました。仏教の考えでは、永承7(1052)年から釈迦の教えが衰滅する末法の世に入るというのです。不安にとらわれた人々が、弥勒菩薩が地上に下って衆生を救済する56億7千万年後まで仏の教えを記した経典を保存しようと土中に埋めたのが、経塚の始まりのようです。


 打見山経塚では、残念ながら経典そのものは朽ちて残っていませんでしたが、陶製の経筒外容器(青銅製の経筒を入れる容器)が出土しており、経典を丁寧に埋納していたことがわかります。青銅製の六器(ろっき)や、青銅製や土師質の花瓶(けびょう)といった仏具が見られるのは、経筒を埋める時に法要を行ったことを示すのでしょう。 また、お香を入れたのでしょうか、小さく可愛らしい中国製の青白磁合子も出土しています。 この経塚の築かれた時期は、愛知県猿投(さなげ)窯製の陶器製外容器からみて、12世紀後半と考えられます。


 ところで、なぜ打見山山上に経塚が築かれたのでしょうか。比良山は、平安時代には七高山の一つに数えられた霊山で、古代から中世には比良三千坊と呼ばれる数々の寺院が建ち並び、修行僧らが活動する場でもありました。打見山山頂付近にも、木戸寺屋敷遺跡という山岳寺院跡があります。また、経塚の築かれた岩場から北西の方角には、天台修験の霊場・葛川明王院のある明王谷を望むこともできそうです。経塚は一般に、寺社の境内や聖地、または見晴らしの良い場所に築かれることが多く、滋賀県でも比叡山横川、四明岳、伊吹山山頂といった代表的な経塚は、いずれも霊山とされる山の上にあります。打見山もまたこのような土地柄から、弥勒菩薩の下る聖地にふさわしい場所と考えられたのでしょうか。


 今は、レジャー客で年中賑わう打見山ですが、かつては霊となった祖先の住む世界であり、そこへ近づくために心身を鍛錬する修行の場、また祈りを捧げる聖なる場所でありました。そのような場所に築かれた経塚の出土品を通して、人々が山に対して持っていた深い想いを、今一度感じてみたいものです。


 打見山経塚出土品の一部は、平成29年9月29日~平成30年1月31日の間、JR大津京駅構内の文化財展示コーナー「JR湖西線各駅停車遺跡めぐり」展(滋賀県埋蔵文化財センター企画)でご覧いただくことができます。大津京駅ご利用の際には、ぜひご一見ください。

        

   写真(上)打見山経塚出土品

   写真(下)琵琶湖と比良の雪景(黒川翠山写真コレクションより)