琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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浮城モノ語り

第52話 巌上咆哮猛虎図
 アジアに広く分布する虎ですが、日本には生息していません。そんな「虎」の絵が日本では、室町時代後期ごろからよく描かれるようになりますが、画家たちは中国・朝鮮から輸入された絵などをもとに、「龍虎図」や「竹虎図」などを描いてきました。江戸時代に入っても状況はあまり変わりなく、写生の天才・円山応挙でさえ、「全体の形は猫、毛は輸入されていた虎の敷物を参考にして描いた」といいます。
 虎なのか猫なのか、微妙な虎の絵が多く描かれた背景には、生きた虎を見ることができないなかで、さまざまに模索する画家たちの苦闘の姿がありました。このような状況のなかで、ひたすら本物の虎に迫ろうとした画家のひとりとして、京都で活躍した岸駒(がんく:1749~1838)がいます。
 岸駒は中国の商人から本物の虎の頭蓋骨を入手し、知人から虎の皮を借り受けて被せ、スケッチを重ね、その後、四足も入手して、各部の採寸、牙や歯の本数や形状、また四足の関節の構造まで綿密に記録し、今までにないリアルな虎を誕生させ、世間の度肝を抜きました。「岸駒の虎」と称賛された虎の絵は後々、岸派のお家芸として代々受け継がれていくことになります。

 今回ご紹介する『巌上咆哮猛虎図(がんじょうほうこうもうこず)』の作者は、岸駒の長男である岸岱(がんたい)です。滝水の流れる険しい岩上で、体をひねりながら大きく口を開けて、たけだけしくほえる虎を力強く描いたもので、虎は体表も本物に近く、体毛の細やかさや、体躯のさまざまな所にある起伏も実際の虎をほうふつとさせるもので、これが「岸駒の虎」だと言わんばかりです。

 岸岱は、天明5(1785)年に京都に生まれました。幼少より父から厳しい教育を受け、常に画才が乏しいことを責められていたといいます。画才の無い分は努力とばかりに、日々画技を磨き、父の画法だけでなく、南画や大和絵なども積極的に取り入れて、岸岱らしい画風を創出しました。父岸駒の絵に見られる恐ろしいまでの強烈な個性が抑えられているのは、当時の京都画壇の主流であった四条派の動向を意識してのものと思われます。こうした意識は、温和な山水図や、金地濃彩の花鳥図など、動物以外の作品にも及んでいます。

 岸岱は、岸駒や四条派の祖・呉春(ごしゅん)亡き後、岸派二代目として京都画壇に大きな勢力を築きました。近世京都の文化人を記した人名録『平安人物志』には、文化10(1813)年版から嘉永5(1852)年版まで連続して登場しています。そして、元治2(1865)年に81歳の長寿を全うします。岸派の家督は、岸岱の実子ではなく、岸駒の孫娘と結婚した岸連山、連山の娘婿となった岸竹堂へと相承されていきました。

(学芸員 上野 良信)