琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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浮城モノ語り

第56話 柿叭々鳥図
 叭々鳥(ははちょう)は、ハッカチョウの別名で中国原産のムクドリの仲間です。全身を漆黒の羽毛に覆われ、翼に白い斑点があるのが特徴です。美しい声を持ち、人によく懐き人語を真似るということで、中国では古来より飼い鳥として親しまれ、花鳥図などの題材にもされました。日本には生息しない鳥ですが、輸入された絵画の模写などによって国内でも室町時代以降多くの画家たちによって描かれてきました。

 今回紹介する「柿叭々鳥図(かきははちょうず)」は、叭々鳥の黒色と、秋の実りを代表する果物・柿の朱色の対比が絶妙で、沈南蘋風の画法の洗練された墨線と着彩が印象的な作品です。

 作者の高橋草坪(たかはし そうへい:1804~1835)は、江戸時代後期の文人画家です。豊後国杵築城下(大分県杵築市)に生まれ、19歳のとき、文人画家の巨匠・田能村竹田(たのむら ちくでん:1777~1835)に入門を願い出、みごと入門を果たした後、竹田の自宅兼アトリエの「竹田荘」で修業に励みました。

 入門した翌年(1823)正月、草坪は竹田と共に京都に向かいました。この時、竹田は各地の友人たちと交友を重ね、それは同行した草坪にとっても、刺激的な出逢いであったと思われます。帰国後は竹田荘での毎日が続きますが、やがて風邪により体調を崩し、保養のため杵築の実家にもどることになります。保養の間も精力的に画を描いて竹田のもとに送り、竹田はきめ細かな指導を書簡に書いて送る、いわば通信教育のような方法で指導をしていました。
 1828(文政11)年、再度京都に上り、浦上春琴などと交友しました。この頃より画技の進展が明確に現れてきています。良い画に数多く接し、画法を模写することにより、古法を基盤とした自己の表現、画法というものを磨いていったのでしょう。翌年、上京してきた竹田に数年ぶりに会い、竹田に同行して伊丹の坂上桐陰(清酒「剣菱」醸造元)を訪ね、頼山陽・篠崎小竹との交友を果たします。1830(天保元)年に、一時帰国をするも翌年には大坂に居を構えています。

 その後の動向については、ほとんど伝わっていませんが、徐々に病魔に蝕まれていったようで、1833(天保4)年以降、作品が激減しています。翌年の竹田の書簡には、草坪の病気回復を祝う文面が書かれていましたが、結局病は回復には向わず、1835(天保6)年2月3日、大坂天王寺にて病没します。32歳の若さでした。

 田能村竹田が直接出会った師並びに、画友たちについて記した『竹田荘師友画録』には、著名作家のほか、現在ではあまり知られていない作家など105人が登場します。その中で正式な門人中ただ一人取り上げられたのが高橋草坪です。竹田がいかにこの若き逸材を認めていたかがわかります。

(学芸員 上野 良信)