琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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収蔵品

巖谷小波(いわやさざなみ)書跡  3幅対       江戸時代  本館蔵

 「おとぎのおじさん」として知られる巖谷小波は、明治3年(1870)に東京に生まれた。父は巖谷一六(1834~1905)。貴族議員を務め、書家としても「明治の三筆」と称された人物の息子である。
 明治24年(1891)、日本で最初の少年向け図書である「少年文学叢書」が発行されることになり、小波の「こがね丸」が刊行された。当時としては珍しい創作童話で、これを機に小波は児童文学の世界で創作を続け、その名声は高まる一方であった。晩年の小波は、創作活動の傍ら全国各地を巡って「おとぎ話」を語り続けた。
この書跡は3幅対であるが、これは掛け軸が3幅で1セットであるという意味である。第1幅の冒頭に「大津市高等女学校々歌」と記されており、1~3番までの歌詞が書かれている。
図左より
(1番)ふりさけみれば長等山 むかしなからに咲き匂ふ
朝日の下の山さくら これそ我らの心なる
(2番)打出の濱にうちよする 波も黄金に色とりて
大空高くすむ月や これをわれらか鏡なる
(3番)仰けば比良の頂きに 白く積れる雪もさへ
凌きてひらく梅の花 これを我等のしるしなる
この最後に「巖谷小波 作 并(ならびに) 書」とあることから、小波が自ら作詞して書いたものであることが、わかる。
小波は近江に生まれ育ったわけではない。しかし、その筆名「小波」は、実は琵琶湖にちなんで名乗ったものである。小波はこの他に「漣山人(さざなみさんじん)」とも号した。標記は異なるが、いずれも「さざなみ」である。ここに近江に対する並々ならぬ小波の思い入れをうかがうことができるだろう。この校歌を読んだとき、脳裏に美しい近江の風景が色鮮やかによみがえる。これが小波の文学者としての力量によるものであることは言うまでもないが、近江への強い思いが、この地の象徴的な美しい風景を端的に表現することを可能にしたのではないだろうか。