日別アーカイブ: 2025年1月7日
安土城の近江富士
新年明けましておめでとうございます🌟本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ところで、みなさまはどんな初夢をご覧になりましたか?「一富士二鷹三茄子」と言いますが、これは初夢に見るものの中で縁起が良いものを順に挙げた言い方で、富士山を夢にみるのが最も縁起が良いということになるようです。
さて、我らがご当地:滋賀で「富士」と言えば三上山!三上山は野洲市に位置しており、滋賀県南部ではどこからでも見えるといっても過言でないランドマーク的存在です。紫式部が「打ち出でて 三上の山を 詠れば 雪こそなけれ 富士のあけぼの」(打出の浜から三上山を眺めれば、雪こそないが富士山の朝のよう)と詠んだように、美しく山裾が広がる佇まいから「近江富士」とも呼ばれています。
そんな三上山、あの織田信長の居城・安土城の障壁画にも描かれていたそうですよ~。天正四年(1576)の築城開始からたった6年で焼失してしまった安土城ですが、天守内部は日本美術史を代表する天才絵師・狩野永徳らが制作した障壁画で彩られていたことがわかっています。
さて、いくつかの文献には狩野永徳が安土城「書院」の「一の間」に三上山図を描いたことが記されています。永徳が描いた三上山図の内容を要約すると以下の通り…
- 昼に絵が描かれた戸障子を開けば実際の三上山を眺めることができ、夜に戸障子を閉じれば絵に描いた三上山を見ることができる。
- 絵は三上山から「尾崎」(唐崎か?)にかけての風景を描いていて、昼に戸障子を半分開けば実際の風景と絵の中の風景がつながって見える。
・・・なんと!安土城から見える三上山を絵に描くことで、一日中三上山の風景を楽しめるようにしてしまったと?!!
現代でも高く評価される狩野永徳。絵の上手さだけでなく発想も天才的だったのかもしれませんね♪この絵に感心した信長は、当時は「源四郎」と名乗っていた永徳に「法印(仏教で高位の僧に与えられる位で優れた画家に与えられる)」の位を授け、「永徳」の号を与えたとも言われます。
現在も近江富士として親しまれている三上山。信長が眺め永徳が描いたことに想いを馳せると、当館から見える何気ないいつもの風景も特別に感じられます。これはきっと良い年明け♡♡