日別アーカイブ: 2016年6月17日
平成28年度「打出のコヅチ」第2回が開催されました!
2016年6月16日(木)、海の向こうではイチロー選手が、日米通算4257安打という記録を作り出しましたが、こちら滋賀の文化財講座「打出のコヅチ」では、参加者が126名という過去最多記録を更新致しました!
梅雨に入り、朝からの雨で足元が悪いにもかかわらず、このように多くの方々にご参加いただき、本当に嬉しく思っております。皆様どうもありがとうございました。
「打出のコヅチ」第2回は、松下浩氏(滋賀県教育委員会文化財保護課)を講師にお迎えして、「信長文書の世界」というテーマでお話いただきました。
織田信長というと、古いしきたりや秩序にはとらわれず、新しい時代を切り開いた革命児といったイメージが定着していますね。ところが、信長が発給した文書(手紙など)を丁寧に見ていくと、書札礼(しょさつれい)という当時の文書の書き方のルールに厳格に従い、敬うべき相手かそうでないかによって、使う紙や書き止めの文言、日付の書き方、宛名の位置などを微妙に変えていた・・・つまり、既成の習慣・概念をことごとく打ち破るのではなく、相手方と認識を共有できる、従来からの枠組みの中で、意思の疎通を図ろうとしていたことがわかる、というのです。
さらに、そのことを踏まえると、文書に記された「麟」の花押(信長のサイン)と、有名な「天下布武」の印章について、「天下布武」というのは日本全国を統一するという意味ではなく、室町幕府の再興を目指しただけで、「麟」の花押も信長ではなく、足利義昭を指すのだと考えられる、という新たな説も紹介されました。
崩し字で書かれた古文書は、初心者にはとっつきにくいものではありますが、スクリーンに大きく映し出された文書を前に、細部にわたる丁寧な解説をしていただくと、まるでそこに信長が居て、「小早川様には斐紙(ひし:上質な紙)っぽいのでなければ」「兼松は朱印にして・・・」などと言いながら、右筆(代筆する人)に書かせている様子が思い浮かんだりして。。。そして、信長がこれほどまでにしきたりを重んじる人物であったことは、実に意外で、また驚かされることでもありました。
その後、参加された方々からは、「朱印と黒印は使い分けられていたのか?」「信長はいつから天下統一を目指したのか?」「(実際に文書を書いた)右筆は何人いたのか?」など、ご質問が相次いだのですが、質疑応答を続けるうちにとうとう時間切れ。すべてのご質問をお伺いしきれなかったのがとても残念で、申し訳なく思っております。
さて、次回の「打出のコヅチ」は、7月14日(木)、「近江の神仏習合-琵琶湖文化館収蔵品を中心に-」というテーマで、当館学芸員・渡邊勇祐が講師を務めさせていただきます。ただ今、参加申込受付中!まだお済みでない方は、どうぞお早目にお申込み下さい!