月別アーカイブ: 1月 2018
OK!バブリーの残したモノ
開館から57年を経て、さまざまなモノが蓄積されている琵琶湖文化館。館内で片づけなどをしておりますと、時々ビックリするもモノが現れます。といっても、今回現れたモノは文化財などの収蔵品ではありません。とある部屋に置き去りにされていた段ボール箱。機材か何かを運び入れた時に使ったのでしょうか?中を開けると、そこに現れたのは・・・、古新聞とともに緩衝材にしていた、ある婦人雑誌の平成4年(1992)正月号でした!
平成4年(1992)1月というと、今からちょうど26年前、バブルの絶頂期の余韻がまだまだ残るころです。で、その雑誌ですが、お正月号なので表紙を飾る日本髪を結った和服姿の女優さんや、豪華なおせち料理の特集は、まあ納得できますが・・・、小特集の「ともかく5000万円ためる法」や、厚い肩パットの入ったきらびやかなスーツやドレスを着て、髪をソバージュにしたモデルさんによる「フォーマルウェアの着こなしとマナー」などなど・・・、なんともバブリー!!この時代をリアルタイムに知る世代としては、懐かしいを通り越して、ちょっと気恥ずかしい・・・デス。これ、若い世代には、まさに“ぶっ飛びー!”に、“おったまげ~”なんでしょうね。
世間ではこのところ、大阪の高校生たちが荻野目洋子さんのヒット曲「ダンシング・ヒーロー」に乗せて踊る、バブリーダンスなるものが話題となっているようです。これがまた、当時の雰囲気をよく捉えていてなかなかのもの。聞くところによると、衣装などは、彼女たちのお母様が大事に残していたものなどを借りてのことだそう。なるほどね!きっと、今の高校生の親御さんがバブル世代で、いろいろな思い出がたっぷり詰まっていて、手放せなかったのでしょう。そこに今度は、娘さんたちの青春の証があらたに詰まっていって。。。ああ、モノってきっと、お金をかけたってことではなく、思い出がいっぱい詰まってこそ、次の世代に伝えられていくのね~と、しみじみ。
同じことは、文化財にも言えるのかも?先人の思い、そして歴史の重みがあってこその文化財。でも、その思いが過去の人だけのものではなく、今の私たちの思いともしっかりと重なってこそ、伝わり残されていくのでは?そして、地域の中でモノが伝わっていく過程で、博物館という場にお手伝いできることは、まだまだたくさんあるのではないかと。。。冬眠から覚めたように躍り出てきたバブリーなモノを目の当たりにして、そんなことを感じた次第でございます。。。
さあ!それでは最後に、我らが文化館のキャッスル・ヒーロー:あきつ君による「ダンシング・ヒーロー(あきつVer.)」をお届けしましょう!一緒に踊ってみてね~♪
赤いしっぽの さみしがり屋なの
くるくるライトの 素敵な瞳
(間奏)
今夜だけでも トンデレラ・ボーイ
Doいうお名前かな
輝く羽で 踊って 君の名はあきつ
ちょっときどった ツンデレラ・ボーイ
Doいうお名前かな
湖岸チックに まわって 君の名はあきつ
←屋上の大トンボが光って回っていた頃の写真(昭和36年4月撮影)
文化財防火デー
今日は『文化財防火デー』です。これは、昭和24年1月26日に、現存する世界最古の木造建造物である法隆寺(奈良県)の金堂が炎上し、壁画が焼損したことに基づいて昭和30年に制定されました。以来、毎年この日を中心に、文化財を火災、震災その他の災害から守るとともに、全国的に文化財防火運動を展開し、文化財愛護に関する意識の啓発が図られています。
当館の別館は八角形の形をしているため、法隆寺の「夢殿」とも浅からぬご縁を感じて(勝手にそう思って)おり、文化財を守る当館においても、一層の緊張感を持って消防設備のチェックなどを行っています。
昨日の写真アーカイブでは、当館の「鴟尾(しび)」を紹介しました。「鴟」は鳥のトビのことで、鴟尾には火除けや魔除けのまじないの意味があると言われています。トビの尾であるとか魚の尾であるとか、これには諸説あるようですが、いずれにしても建物を守りたいとの思いが込められているのです。もちろん当館の鴟尾にも・・。
最初僕は「鴟尾」をイメージだけで「鳩尾(はとお・きゅうび)」と勘違いしていました。調べてみると「鳩尾」とは「みぞおち」と紹介されています。・・・頭の中は???だらけ・・・
屋根に「みぞおち」が設置されているワケがない!!
と、改めて他の職員さんに聞いてしまった・・・というのは、恥ずかしい笑い話。。。一字違いでエライ違いです。皆さんお気を付けて。。。
鴟尾は、宮殿や寺院などの大建築の大屋根に設置されていることが多いとか。奈良の東大寺や唐招提寺金色堂の鴟尾が有名ですね。・・・ん?寺院?・・・当館の鴟尾がのっている本館は、難攻不落の「お城」の形をしているのです・・・が?。
夢殿、鴟尾、お城・・・昭和36年当時、当館の建設に関わった人たちが、様々な「夢」と「願い」をこの建物に託していたことは間違いありません。滋賀の文化財を守って行くために。
文化財防火デーをきっかけに、文化館にまつわるエトセトラに思いを馳せ、気を引き締める一日となりました。
筆:あきつ
「追分の道標」を追いかけて
琵琶湖文化館を10数年以上前からご存知の方はきっと、文化館前に建てられていた「追分の道標」のことを覚えていらっしゃることでしょう。「逢坂の常夜灯」や「車石」、「近江国分寺の礎石」などの石造物もありましたね。これらは平成17年に移設され、今は安土城考古博物館さんの屋外展示物となっています。
大津の追分の地は、東海道と伏見・奈良へ向かう街道の分岐点にあたり、角には道案内のための道標が建てられています。特に、石柱の表面に刻まれた「みぎハ京ミチ、ひだりハふしミミち、柳緑花紅」という風流な字句が、多くの人々の目に留まったようで、江戸時代の『伊勢参宮名所図会』などにも記された、古くから有名な道標です。
現在、追分に建っているものは、昭和29年に再建されたもので、「初代の道標は文化館前に移された」という話が、一般に流布しているようです。でも、琵琶湖文化館が開館したのは昭和36年のこと。それまでの間、初代の道標はどこにあったのか?疑問に思われた方もいらっしゃるでしょう。謎・・・ですよね~?!でも、そこは歴史と伝統の文化館!あるのです、謎を解くカギが!
先日、古い写真ガラス乾板を整理していたところ…出てまいりましたよ「みぎハ京ミチ」の文字の刻まれた道標の写った写真!!昭和30年代前半の滋賀会館(昭和29年建設)の写真です(右の写真)。
昭和23年に出来た滋賀県立産業文化館(琵琶湖文化館の前身)は、昭和30年12月から昭和36年3月の文化館開館までの間、陳列場を滋賀会館の2階に移しておりました。おそらくその頃のものと思われる滋賀会館の、東側入り口脇に「追分の道標」が写っております。
追分の道標は、琵琶湖文化館前に移るまでの間、滋賀会館前にあったのです!!
さて、これで一件落着、円満解決!めでたし、めでたし・・・?いいえ、どうもそうではないようです。。。
実は、道標のことは当館の昔の記録に「昭和25年9月 大津市藤尾(追分)から」とあり、すでに産業文化館時代に館の収蔵品となっていたことが確認できます。左の写真は、昭和27年2月から3月頃に撮影された、産業文化館(武徳殿)の全景写真です。こちらの写真をよ~く見ると、正面に向かって右手の方の片隅に、しかと道標らしきものが建てられております。拡大して見ると、「みぎハ京ミチ」の文字もしっかりと。
昭和23年に開館した直後の写真には、道標は写っていないので。。。昭和25年に産業文化館に収蔵されたという記録は、写真によっても裏付けられるのです。結局、道標は、追分→産業文化館前→滋賀会館前→琵琶湖文化館前→安土城考古博物館、と移動したということ、なんですね。どうですか?皆さま、謎が解けて、すっきりされましたか?
さて、ここでもう一度思い起こしていただきたいのが、「初代の道標は文化館前に移された」と巷に流布する話です。この「文化館」というのは、もしかして「産業文化館」のことだったのではないでしょうか?そうすると、辻褄は合ってきますよね。「初代の道標は(昭和25年に)(産業)文化館前に移された」と。
時は移り、「産業文化館」は「琵琶湖文化館」となり、道標も産業文化館前から(滋賀会館前を経て)琵琶湖文化館前に移ったので、この話の中の「文化館」が「琵琶湖文化館」に取り違えられていっても、あながち間違いではないのでしょう。。。
でも、実際には、道標は追分からいきなり琵琶湖文化館前に移されたのではなく、また、どこか他所へ行っていた訳でもなく、55年の間ず~っと(名前も場所も変わりましたが)「文化館」の前に建ち続けていたのだということを、ここで皆さまにも知っておいていただければと思います。
(写真は上から、①滋賀会館全景 昭和30年代前半 ②滋賀会館入口 昭和30年代前半 ③滋賀県立産業文化館全景 昭和27年 ④③の部分拡大)
「57年前の思い」を現在も。
みなさま、新年が明けて初めて更新した「写真アーカイブ」 をご覧になってくださいましたか?昭和35~36年にかけて琵琶湖文化館を建設していく様子を、一昨年12月からお伝えして、はや一年。(途中お休みもいただきましたが…)ようやく、先週の更新で上棟祭までの写真をお見せすることがきました。文化館の開館まで着々と近づいていますよ!
上棟祭についての写真をホームページにアップした日は、「1月11日」。奇しくも、57年前の昭和36年に上棟祭を執り行った、まさにその日でした!偶然とはいえ、すごい繋がりを感じます。そして、更新作業中に「文化館の棟札」の写真を見て思い出したのです。「私、この実物を見た事がある」と…
覚えておられますか?「ビックリ箱にご対面」というタイトルのブログの中で、本館5階展望閣の屋根裏にある棟札のことに、少し触れています。そう!実は私、この時に琵琶湖文化館の棟札の実物を見ていたのです。
棟札は、一般的に天井裏などに掲げられるため、建設後はほとんど目にすることがありません。私も、この時に初めて見ました。
「写真アーカイブ」でもお伝えしたように、文化館の棟札は大人の身長ほどもある、とても大きなものです。そんな棟札を前にすると、他に誰もいないはずの真っ暗な天井裏に、まるでそこに”誰かがいる”かのような気持ちがしてきました。
土地の守り神様、建物の守り神様、工匠の守り神様、どうか琵琶湖文化館をお守りください…57年前に建設に携わった方たちの思いが、半世紀以上経った現在に繋がっているのかと思うと感慨深くなって、しばらく動けずに見つめていたことを思い出します。
この大きな棟札に懸けられた「思い」を今、改めて胸に刻んでおきたいものです。
世界記憶遺産『朝鮮通信使に関する記録』登録記念展 開催決定!
展覧会の開催お知らせです。
昨年10月31日、ユネスコの「世界の記憶」に、「朝鮮通信使に関する記録」が登録されたことを祝い、滋賀県では安土城考古博物館で特別陳列が開催されます。
朝鮮通信使に関する資料には、当館の館蔵品である「琵琶湖図」や近江八幡市所蔵の「江州蒲生郡八幡町惣絵図」、同市本願寺八幡別院所蔵の「朝鮮通信使従事官李邦彦詩書」などがあり、登録決定後初めて、県内で皆さんにご覧いただく機会となります。
展覧会名:特別陳列「世界記憶遺産『朝鮮通信使に関する記録』登録記念展」
会 場:滋賀県立安土城考古博物館(滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6678)
会 期:平成30年2月24日(土)~平成30年3月18日(日)
実は、当館の「琵琶湖図」については、ユネスコの決定を受けて「是非展示に貸してほしい」という他県の美術館さんからの依頼がございました。が、しかし!そこは何よりも先ず「地元の皆さんにご覧いただきたい、作品の文化的価値を知っていただいて、滋賀の誇りにしていただきたい!」という思いもあって、断腸の思いで他県からの依頼をお断り・・・しての登場となります。
もちろん他県からのご来場も大歓迎ですので、この機会に是非、多くの方々にご覧いただければと思います。
筆:あきつ
受験生の皆さんへ
まもなく大学入試センター試験ですね。いよいよ受験シーズンに突入!!というわけで、今日は文化館のシンボル:トンボの「あきつ君」からメッセージをお届けします。
受験に挑まれる皆さんへ、自分を信じて全力で試験に挑んで下さい!
大丈夫!『勝ち虫』トンボのあきつ君も応援しています!
なぜ、唐突にこの僕が応援することになったかと申しますと・・・
僕たちトンボは空中を飛び回る生き物です。前にしか飛ばない(後退しない)トンボを『勝ち虫』として、戦国武将たちは好んで兜の前立てや武具の模様としてトンボを描いてくれていたそうです。「敵を前にして決して後ろには退かない」「臆することなく前進する」姿が縁起の良いものとされ、武将の心意気にもピッタリと重なったのでしょう。(ちなみに、役所広司さん主演のドラマ「陸王」では、こはぜ屋のシンボルマークに勝ち虫=トンボが使われてましたよ!) 勝負に勝つ!!
どうですか?トンボは、目指す目標に向かって受験に挑まれる学生さん達を応援するのに、ピッタリな生き物でしょう?!
僕は皆さんの勉強のお手伝いはできませんが、応援することなら任せて下さい。ということで『合格御守』(携帯で画像保存できます⇒)!!ここまできたら、あとはトンボ頼み?! 緊張せず肩の力を抜いて深呼吸!
自分を信じて、前だけを見て、未来にはばたいて下さ~い!
晴れて合格の暁には、文化館のトンボと笑顔の写真を、SNSにアップしていただけると嬉しい。。。な?!
筆:あきつ
ホームページ12月のアクセス数
あけましておめでとうございます。琵琶湖文化館は本日4日が仕事始めでございます。
昨年12月、酉年の最後の月には、やはり、鶏のようにせわしなかった文化館ですが、皆さまはいかがでしたか?きっと同じようにお忙しかったのではないでしょうか。そんななかでも、文化館ホームページへは1,187件ものアクセスをいただきました。本当にどうもありがとうございました。
さて、年が明けて、今年は戌年です。皆さんは、イヌというとどんなイメージをお持ちですか?年末にこのブログでもご紹介いたしました、円山応挙の描く「狗子図」の犬は、コロコロとして本当にかわいらしいですね。悩んだ末に、文化館前の掲示板では、全員そろってのデビューとなりましたよ!一匹、二匹・・・、全部で何匹いるのでしょうか?文化館前をお通りの際は、ぜひご覧になって下さいね。
ところで、日本語では、犬は一匹、二匹・・・というように数えますが、同じ漢字文化圏の中国語では、犬のことは「狗(ゴウ)」といい(「狗子図」の「狗」ですね!)、縄や川と同じく「条(ティアオ)」で数えるそうです。「一匹の犬」は「一条狗(イーティアオ ゴウ)」なんですね。でもどうして、縄や川と同じように数えるのか???それは、生き物かどうかに関わらず、「細長く伸び、しなやかなもの」の仲間というイメージでとらえられているからだそう。ちょっと意外な感じもしますが。。。確かに、文化館にいるもう一匹のイヌ、波多野等有の描いた「洋犬図」の犬などを見ていると、手足をグ~ンと伸ばすと、なるほど「細長く」なり、「しなやかに」駆け出しそうな気もしてきます。
考えてみると、このようにいろんなイヌに囲まれた文化館です。このイヌたちに因んで、今年も一年、細長~く、そして、しなやかに、お付き合いいただけたら幸いです。
本年もどうぞよろしくお願いいたしますワン。