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【明治モノ語り】山元春挙の書蹟

明治150年にちなんでの、ブログでチョコっと収蔵資料紹介、第3弾です!今回取り上げるのは、明治生まれで、湖国滋賀ゆかりの日本画家・山元春挙の作品。といっても、画家として有名な春挙の絵画作品ではなく、書蹟です。これまた珍しい?!!

まずは、山元春挙って誰?という人のために、ご説明を。明治4年(1871)、大津は膳所(文化館の近くです)に生まれた春挙は、円山応挙に始まる京都の円山派に絵を学び、16歳で京都青年絵画研究会に出品して入賞し(スゴイ!)、世間の注目をあつめます。以後、各種の展覧会や博覧会で順調に受賞を重ね、のちには京都市立美術工芸学校などの教授として、また画塾「早苗会」を指導して多くの画家を育てる一方、大正6年(1917)には帝室技芸員となり、昭和8年(1933)、63歳でその生涯を閉じるまで、近代京都画壇の重鎮として活躍した人物です。春挙はまた、伝統に基づきながらも時代に応じた新たな技法を積極的に取り入れ、日本画の近代化に大きく貢献した画家としても知られています(ホ~!)。

さて、こちらが春挙の書いた書です。全体に、線はやや細めですが、一字一字力強くしっかりと書かれています。右の大きな2文字は「撥雲(はつうん:暗雲を取り除くという意味)」ですね。そして、左の2行は「寒梅始綻/野村南(寒梅始メテ綻フ/野村ノ南)」と書かれています。こちらは、永源寺の開祖・寂室元光(1290-136)の偈頌(げじゅ:仏の教えを詩歌の形で分かり易く説いたもの)から採られたもののようです。句の意味は。。。え~っと、禅の言葉なのでやはり難解ですね~。ここはみなさま、自力で悟りを開いて頂くことにいたしましょう(笑)。

ところで、彼はなぜこんな禅語を書き残したのでしょう???春挙は特に、透明感のある鮮やかな色彩による風景画を得意としましたが、それらは精神性の深い迫真の画面が描かれているとして高い評価を得ました。実は、春挙という人は、20代の頃から京都の天龍寺に通い禅の教えを学んでいたようで、そこで禅を通して物事の内面を見る眼力を養っていたということです。なるほど!!春挙の絵の奥深くから滲み出てくる精神性というのは、対象の内側を深~く深~く見つめる中で、ようやく”暗雲”を取り除いて体得した「真理」なのかも知れませんね。そして、その真理はまた東洋の理想にまでつながるものだったのかも???春挙の絵は今までに何度も見ているのですが。。。禅だけに、ゼ~ンゼン気が付きませんでした(笑)。ワタクシまだまだ修行が足りませんね。

さてさて、「脱亜入欧」の掛け声のもと、近代国家建設への道を駆け足で進んだのが明治時代です。もちろんその頃と現代とでは、国の内外の状況は全く違いますが、時代はまた急速な変化を遂げつつあります。そんな中、私たちも物事の本質を見極める眼力をしっかりと養っていくことが大事なのでしょうね。春挙の書蹟を前にして、そんなことを思います。。。

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