カテゴリー別アーカイブ: 明治モノ語り

【明治モノ語り】:駆け込み編 スカーレット・シガラキ?

来年のことを言うと「鬼に笑われる」のかもしれませんが、来年の秋からNHKで放映される朝の連続ドラマが発表となりましたね。朝ドラって、時間が合わなくてなかなか見ることがないのですが、“スカーレット”という新しいドラマは、舞台がなんと甲賀市信楽町で(滋賀県ですよ!嬉しいですね!!)、高度成長期、モノ作りに情熱を燃やす女性陶芸家の物語だということ。これはぜひ見てみたいですね。

 甲賀市信楽町はいうまでもなく、中世から続くやきもの・信楽焼の産地。平成29年(2017)には「六古窯」の一つとして日本遺産にも登録されています。こちらの文化館にも、滋賀県指定有形文化財となっている桃山時代の「信楽矢筈口水指」をはじめとした茶道具や日常雑器にいたる「古信楽」と呼ばれるものから、現代の作家さんによる作品まで、数多くの信楽焼の作品を収蔵していますが、今日はその中から、ちょっと変わった“あるモノ”をご紹介しましょう。

左の写真にある、白い洗面器のようなもの。これ、何だと思いますか?大きさは径37cmほどあります。底に穴が開けられているので、洗面器ではないですね。実はこれ、信楽焼で作られた「糸取鍋」というものなんです。「糸取鍋」とは、繭玉を湯や蒸気で煮て糸を取り出すための道具で、繭を煮て生糸を巻き取るまでの行程を行う繰糸器械に欠かせない部品です。

今から150年近く前、明治時代になって日本の近代化を担うものとして、明治5年(1872)に官営の富岡製糸場が群馬県に建設され、欧米の技術を取り入れて生糸の大量生産を行います。この富岡製糸場は平成26年(2014)に「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録されていますね。実は、近年発掘調査が行われた富岡製糸場跡から、文化館の収蔵品と同じような陶器製の糸取鍋が多数出土しているのですが、ここで出土した糸取鍋の底には「江州信楽鍋要」「ナベヨ」などの印が押されていて、明治のはじめに信楽で奥田要助という人物が創業した会社の製品であることがわかっています。

文化館収蔵の糸取鍋には、底裏に「信楽¬(カネ)用合名会社製造」という刻印が押されています。これは、明治27年(1894)に「鍋要」から社名を変えた「信楽糸取鍋合名会社」のことです。糸取鍋は、技術の進展にともなって少しずつ形を変えていきますが、明治20年代後半~30年代の糸取鍋(糸繭鍋)は、円形でスチーム用の管が設けられており、噴出用の小孔が穿たれて、鍋の内面に白色の釉薬をかけています。上の写真をよ~く見てくださいね。文化館のものもそうなっていることが、お解りでしょう?

そもそも外国製の鍋は金属製でしたが、この信楽焼の鍋は、陶器であることから熱に強く、錆や(染色の際の)化学変化での色移りがないということから、富岡製糸場をはじめ全国の製糸場で大人気、大ヒット商品となっていったということです。余談ですが、明治33年(1900)にはパリ万博にも堂々の出品となったそうです!日本の近代化、特に工業化が女工さんたちに支えられていたことは良く知られていますが、さらにそれを縁の下で支えていたのが、信楽焼の糸取鍋だったとはオドロキですね!

さてさて、早くも12月となりました。「明治150年」へ年内駆け込みの収蔵品紹介、なんとか間に合ったでしょうか?(ハァハァ、ゼイゼイ、、、)これで安心して年を越せる?いえいえ、文化館にはまだまだ年内にやらければならないことが山積みデス。。。2018年が”風とともに”去らぬうちに、ここはひとつスカーレットに炎を燃やし、情熱的に頑張らねば(何のこっちゃ?)エ~イ!!

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【明治モノ語り】:番外編

皆さんお楽しみいただけましたか?5月のあきつブログは、今年が「明治150年」にあたることから、「文化館的『明治』集中月間」として、館蔵品の中からいくつか作品紹介をしてきました。読みやすく親しみやすい文章で書くことを信条としたブログを中心に、「興味を持って貰えたら嬉しいな」と、そんな気持ちで始まった「明治モノ語り」。それなら統一タイトルは「チョコっと明治」にする?という提案がありましたが、職場内で異議申し立てがあり即却下・・・実際には、それこそ甘いチョコレートが必要なくらい知的労働に明け暮れる日々を送ることになりました。。。

少し僕の話になりますが、中学・高校と社会科の授業で近・現代は(3学期後半で時間がないため)先生もほぼスッ飛ばし・・・あまり記憶にゴザイマセン。ですので実は苦手です(泣)。
それでも、紹介する作品が決まり、職場の皆さんと「あーだ」「こーだ」話をしていると、いろんな発見がありました。(一番の発見は職員の中に「隠れ幕末・維新マニア」がいたこと!学生の頃に史実を追って様々な歴史の舞台を訪ね歩いたそうです!)
この1ヶ月、職場の皆さんに触発されながら、素人ながらにいろいろと調べ(学べた気になっている僕ですが)、身に沁みて感じたことがあります。それは「近代は史実がハッキリと残り過ぎているだけに、短い文章で紹介するのは存外に難しい!」ということでした。悩みながら作業を進める僕でしたが、そこは休館していても文化館!「この資料調べてみては」と助言をくれる、調べもの・調べ方についてのエキスパートが身近にいて下さったので、とても有り難かったデス。ご縁あって文化館のキャラクターとなった僕ですが、楽しくお仕事させていただいております。

気付いたのですが、ひとえに「文化財」と言っても、楽しみ方がいろいろありますね。作品自体の美しさ、繊細さ、力強さなどを感じとる楽しみ方。作品の時代背景や作者の意図を読み解く楽しみ方。そして今回僕は、作品について「調べる」という楽しみ方を知りました。どれも、作品とじっくり向き合うことで得られる楽しみです。
文化財の楽しみ方は多種多様、広がる世界がいっぱいあります。一つの作品をきっかけに、皆さんもいろんな楽しみ方を見付けて下さいね。

ちなみに僕が書いた「大津事件関係資料」は内容的にほぼ番外編(ゴメンナサイ)。裏ネタ的要素が強いのですが、大津事件が起こった頃の滋賀県史関連の図書を調べると、必ずと言っていいほど、すぐ隣に「琵琶湖疎水」の記事が載っていました。なるほど琵琶湖疎水も明治期の滋賀県にとって一大事業。「調べる」楽しみの余波として、ここまで読んで下さった皆さんへ、今春のサービスカットをご紹介。是非訪ねてみたい明治の文化遺産です。

※「明治モノ語り」は今後も継続予定~乞うご期待!

筆:あきつ

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【明治モノ語り】山元春挙の書蹟

明治150年にちなんでの、ブログでチョコっと収蔵資料紹介、第3弾です!今回取り上げるのは、明治生まれで、湖国滋賀ゆかりの日本画家・山元春挙の作品。といっても、画家として有名な春挙の絵画作品ではなく、書蹟です。これまた珍しい?!!

まずは、山元春挙って誰?という人のために、ご説明を。明治4年(1871)、大津は膳所(文化館の近くです)に生まれた春挙は、円山応挙に始まる京都の円山派に絵を学び、16歳で京都青年絵画研究会に出品して入賞し(スゴイ!)、世間の注目をあつめます。以後、各種の展覧会や博覧会で順調に受賞を重ね、のちには京都市立美術工芸学校などの教授として、また画塾「早苗会」を指導して多くの画家を育てる一方、大正6年(1917)には帝室技芸員となり、昭和8年(1933)、63歳でその生涯を閉じるまで、近代京都画壇の重鎮として活躍した人物です。春挙はまた、伝統に基づきながらも時代に応じた新たな技法を積極的に取り入れ、日本画の近代化に大きく貢献した画家としても知られています(ホ~!)。

さて、こちらが春挙の書いた書です。全体に、線はやや細めですが、一字一字力強くしっかりと書かれています。右の大きな2文字は「撥雲(はつうん:暗雲を取り除くという意味)」ですね。そして、左の2行は「寒梅始綻/野村南(寒梅始メテ綻フ/野村ノ南)」と書かれています。こちらは、永源寺の開祖・寂室元光(1290-136)の偈頌(げじゅ:仏の教えを詩歌の形で分かり易く説いたもの)から採られたもののようです。句の意味は。。。え~っと、禅の言葉なのでやはり難解ですね~。ここはみなさま、自力で悟りを開いて頂くことにいたしましょう(笑)。

ところで、彼はなぜこんな禅語を書き残したのでしょう???春挙は特に、透明感のある鮮やかな色彩による風景画を得意としましたが、それらは精神性の深い迫真の画面が描かれているとして高い評価を得ました。実は、春挙という人は、20代の頃から京都の天龍寺に通い禅の教えを学んでいたようで、そこで禅を通して物事の内面を見る眼力を養っていたということです。なるほど!!春挙の絵の奥深くから滲み出てくる精神性というのは、対象の内側を深~く深~く見つめる中で、ようやく”暗雲”を取り除いて体得した「真理」なのかも知れませんね。そして、その真理はまた東洋の理想にまでつながるものだったのかも???春挙の絵は今までに何度も見ているのですが。。。禅だけに、ゼ~ンゼン気が付きませんでした(笑)。ワタクシまだまだ修行が足りませんね。

さてさて、「脱亜入欧」の掛け声のもと、近代国家建設への道を駆け足で進んだのが明治時代です。もちろんその頃と現代とでは、国の内外の状況は全く違いますが、時代はまた急速な変化を遂げつつあります。そんな中、私たちも物事の本質を見極める眼力をしっかりと養っていくことが大事なのでしょうね。春挙の書蹟を前にして、そんなことを思います。。。

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【明治モノ語り】大久保利通の書蹟

今年は明治維新から150年。放送されている大河ドラマも、まさしくその激動の時代を描いた「西郷どん」で話題となっています。ドラマでは俳優の瑛太さんが、”せごどん”こと西郷隆盛の盟友でライバルでもある大久保利通を演じていますが、本日5月14日は、その大久保利通の命日にあたります。

幕末・維新…滋賀県とは所縁がうすいように思われますが、当館の館蔵品には、幕末志士や近代の偉人たちが書いた書蹟を多数収蔵しており、その中に大久保利通が書いた書蹟もあります。ということで、今回は、その作品をチョコっとご紹介します。

それがコチラ!う~ん、達筆すぎて難解ですよね。事務方で働く素人の私には全く読めません(笑)。聞くところによると、これには漢詩が書かれており、大久保利通が通州の運河を下った時に詠んだ詩だとか。通州とは、今の中国北京市通州区のことで、北京と天津を結ぶ運河の北に位置します。大久保利通は、明治7年(1874)5月に起きた台湾出兵の和平交渉のため、日本側の全権弁理大臣として、同年8月に清国の首都北京へ向かいました。難航した交渉はイギリスの調停もあり、10月末に和議が成立します。
幕末に、新時代を築くために奔走した大久保利通は、明治になってからも、日本のために尽力します。この書蹟の文字からも、その勢いのある力強さが感じられます。

盟友だった西郷隆盛は、征韓論によって野に下り、明治10年(1877)に西南戦争で自刃して亡くなりますが、大久保利通もまた翌年5月14日、東京・紀尾井坂で不平士族の暗殺によって亡くなります。奇しくも、維新で活躍した薩摩藩士2人は、同じ頃にこの世を去り、明治をたった10年しか見ることができなかったのですね。。。

文化館では、開館間もない昭和37年(1962)に「ここ百年書蹟展」が開催され、この書蹟も展示されました。「ここ百年」が、今や「ここ百五十年」。歴史と共に文化財も大事に守っていきたい。。。改めて、しんみりと思ったのでした。。。

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【明治モノ語り】大津事件関係資料

平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から起算して満150年の年に当たります。故にこれに因んだ企画展や特別展を、他の博物館・美術館さんが開催されているので、皆さんもよく目にされていることと思います。
「明治」を一言でいえば「激動」の時代、大きく歴史が動いた時代でもあります。文化館的に、当館の数ある収蔵品の中から、明治にかかわる珠玉の逸品を紹介するならば・・・ここはやはり、トップバッターにこの資料を紹介せねばなりません。そう、「大津事件 関係資料」です!

「大津事件」は、1891年(明治24年)5月11日、訪日中のロシア皇太子ニコライが、遊覧先の大津の地で、警備にあたっていた巡査・津田三蔵にサーベルで切りつけられ負傷した事件です。この事件は、その後の裁判で「司法権の独立」を守ったことにより、三権分立の意識を広めたことなど、近代日本史において重要な事件とされています。事件の詳細は、様々な解説本や国立公文書館さんのサイトなどに掲載されていますので、是非参考になさって下さい。

当館が所蔵する「大津事件関係資料」の中には、サーベルやニコライの血をぬぐったハンカチ、ニコライが腰を掛けた床几(しょうぎ)や座布団のほか、津田の取り調べ調書などがあり、滋賀県の指定文化財となっています。ホームページのブログでも、2015年5月8日付け「事件です。」や、滋賀咲くブログ2007年12月7日付け「大津事件っっっ!」などで紹介をしていますが、今回は、『あきつブログ』ならではの切り口で、この大津事件に絡んで(?!)みたいと思います。

突然ですが、皆さん。。「銃砲刀剣類所持等取締法」というのをご存知ですか?銃や刀剣類は、原則として所持することは出来ませんが、銃砲刀剣類所持等取締法第14条により、美術品もしくは骨董品として価値のある火縄式古式銃砲等の古式銃砲及び刀剣類は、都道府県の公安委員会の許可(銃砲刀剣類登録証の交付)を受ければ所持することができるようになっています。博物館においては「展示物として公衆の観覧に供するため」(同法第4条)、所持することが許されています。

ということは?!・・・実は大津事件関連資料の中にも、この「登録証」の交付を受けているモノがあります!そう、凶器となった「サーベル」です。このサーベルは、日本刀を改良したものであり、立派な「刀剣」に当たります。故に博物館資料と言えども、きちんと登録証の交付を受け、法に則った手続きが行われている!のですよ~。
先日も、滋賀県から「銃砲刀剣類を保有する公立博物館等に係る調査」があり、保管・管理状況等について報告させていただきました。

明治の大事件を振り返りつつ、歴史の生き証人である博物館資料との関わりについて、あきつブログ的にちょこっとご紹介・・・してみました。

筆:あきつ

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