日別アーカイブ: 2019年8月9日

明智左馬之助 湖水渡りの不思議

みなさんは、明智秀満(左馬之助)をご存じでしょうか。明智光秀の重臣で、光秀の弟or娘婿or従弟とも言われています(諸説あり)。そう、来年の大河ドラマに向けて、滋賀県で大いに盛り上がっている「明智光秀」に絡む人物・・・ということで、文化館からみなさんに、一つ情報提供致しましょ~。
この明智さん、名前については秀満、弥平次、光春、満春など、歴史上複数の名で登場しますが、ここでは敢えて左馬之助と呼ばせてもらいます。この方を特に有名にしているのが『湖水渡り』です。
明智光秀が本能寺の変で信長を討った後、左馬之助は安土城の守備についていましたが、光秀が山崎の戦いで敗れたことを知り、急ぎ大津の坂本城へ向かいます。その途中、打出浜で敵に遭遇した左馬之助は、馬で琵琶湖を渡り(!)、柳が崎の浜にたどり着いたといいます(現在の陸路で3.5km程離れた所)。・・・馬が泳ぐ?大人を乗せて?水深結構ありますヨ?不思議なお話しですが、信念を貫く武士たちが活躍した時代・・・そのような事も起こり得るかと、妙に納得してしまいます。
この逸話を伝える石碑が、大津市内の2箇所に設置されています。1つは、当館(大津市打出浜)のすぐ近くにある、「明智左馬之助湖水渡」の碑。昭和36(1961)年に当館がオープンした時、未だ周辺が埋立地で文化館の他に何も建っていなかった頃の写真に、小さく確認することが出来ます。しかし、元々誰がいつ建てたものか等、詳しいことはわかっていません。今は土の下に埋まっていますが、全文では「明智左馬之助湖水渡ところ」と刻まれています。
もう1つは、大津市柳が崎の市営駐車場敷地内にある「明智左馬之介光俊駒止松」の碑です。こちらは、昭和29(1954)年に篤志家や地元の協力などで建てられたものであるのだとか。どちらの石碑も、大河ドラマブームなど想像もしていなかっただろう昭和の中頃に、こうして地域に残る逸話を形に残そうとされた方たちの思いが伝わります。

ここでみなさん、お気付きですか?不思議なことに、琵琶湖に乗り入れた打出浜では「左馬之助」、たどり着いた柳が崎では「左馬之介」。『助』と『介』、おやおや。。。こんなところにも謎が・・・。実は「助」と「介」、あて字として使われるので、違いにそうこだわらなくても良いのだとか。歴史上、さまざまな文献でママある違い・・・なのだそうですよ。
それよりも!「さまのすけ」を個人名だと思っている方!そちらの方が問題です!!馬の管理をする役所の役職名の一つで、「右馬之助」さんもいらっしゃるのですよ。なんだか頭の中がコンガラガッてきました?そんな時は純粋に、琵琶湖を眺め、湖水を渡る武者の猛々しい姿を想像して・・・勇気付けられて下さい・・・そしてそれは、想像ではなく現実であったかもしれない・・・というお話が!

実は、左馬之助が馬に乗って湖水を渡るこの伝説を、再現した像を湖中に建設しようとする計画がありました(昭和37年)。その時のイメージ図がこちら。何とも夢のあるお話ですね。実現はされなかったようですが、いつの時代も人を動かすのは夢と熱意なのかもしれません。

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