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令和4年度「花湖さんの打出のコヅチ」第1回 開催しました

 皆さん待望のこの日がやってまいりました! 5月25日(水)「滋賀の文化財講座 花湖さんの打出のコヅチ」、今年度第1回目の開催日です。会場には、事前に申し込みいただいた100名の方がお越し下さいました。幸先の良いスタート♪これも講座を楽しみに待っていてくださる皆さまのおかげです。

講師:井上優

 今回の講師は県文化財保護課・井上優(琵琶湖文化館副館長兼務)で 「滋賀県の誕生と県政150年」というテーマで、お話しいたしました。
 2022年は滋賀県政150年を迎える年です。講座で紹介された歴史資料「滋賀県行政文書」は、県政150年の歴史を物語る基礎資料で、滋賀県指定文化財になっています。今年度“滋賀の文化財講座”の初回を飾るのに相応しいテーマなのです。

会場の様子

 「滋賀県行政文書」は、書類を綴じた本のような体裁にした「簿冊(ぼさつ)」の形になっていて、その数9,068冊。一括して、県指定文化財として県庁に保管されています。
 その内容は滋賀県の前身・大津県庁発足の明治時代(慶応4年含む)から、昭和初期(昭和20年)までの文書となっており、この文書を紐解けば近代滋賀県の歴史がわかるのです。その中には今では信じられない滋賀県の姿もあります。明治9年から明治14年にかけて、滋賀県は敦賀県を合併しており、この5年間は、現在は“海なし県”でお馴染みの滋賀が、なんと“海あり県”だったのだとか。この事実には、会場からも驚きの声が聞かれました。ちなみに、この時期の文書には、福井県である敦賀の行政文書も含まれているそうです。

 行政文書は、滋賀県立公文書館でのみ閲覧が可能です(利用申請が必要)。閲覧方法等詳しくは、公文書館のホームページをご覧ください。また公文書館では、企画展示や公開講演会なども行っているそうです。この講座で気になった方は、行ってみてくださいね。

スクリーンに映し出される大津事件の概要

 そして、県政150年を語る上で忘れてはならない出来事といえば、明治24年に起こった「大津事件」です。当館にその関係資料が収蔵されていることは文化館ファンの方なら、よくご存じですよね?!講座では、事件後を中心に当時の生々しい調書や、事件後の県と国についてより詳しく解説しながら語られました。事件のあらましなどは、教科書などでご存知の方もおられますが、事件のその後については、知らないという方が多かったようで、アンケートを拝見していると「大津事件を詳しく知ることができて良かった」といったお声もありました。

 平成20年度より、会場[コラボしが21]で始まった「滋賀の文化財講座」は、今年で15年目を迎え、参加人数は延べ7,000人を突破致しました。本講座は、皆さまの知りたい・学びたいという気持ちに支えられております。
 これからも、滋賀の文化財をとりまく魅力あふれる情報を、“ 打出のコヅチ ”のひと振りが皆さまの期待に応えられますよう、頑張ってまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願いたします。

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テレビ放映のお知らせ / 大津事件関係資料

 当館が誇る収蔵品の数々。ときど~き、皆さんも良くご存じのテレビ番組に、登場していることをご存じですか?ということで、今日は(今日も?!)、マニアな文化館ファンクラブ(?)のために、近々放送予定の番組を要チェック!です♪

 さて、先日のブログでチラっとお見せしておりましたが、今回テレビに登場する収蔵品は、「大津事件関係資料」です。

 大津事件は、明治24年(1891)5月、来日中であったロシア皇太子ニコライに、滋賀県大津町(現:大津市)で警護にあたっていた巡査の津田三蔵が、 突然 持っていたサーベルで斬りつけた・・・!・・・近代化に向け歩み出した日本を、大きく揺るがせた事件として知られています。当館にはこの大津事件に関係する資料が収蔵されており、5月某日、カメラマンさんが撮影に来られたました。今日は、その時の様子をちょこっと潜入取材・・・デス♪

←こちら、仰々しくも、とある桐箱を手に登場する当館の学芸員。さて、その中身は一体・・・ 勘のいい人ならもうお分かりですね?実はこの中には、凶器となったサーベルが収められています。事件の最重要物品・・・。見ているこちらもキンチョーします・・・。

 →そして念入りな打合せ。どのように撮りたいのか、先方の意図や希望を聞きながら、サーベルの向きや角度を調整します。

← いざ、じっくり、 こってり、撮影中・・・。
ライトに照らされ、事件の生き証人は無言で語ります。。。 その頃、当館の学芸員は・・・ ?

← ・・・陰に隠れてコッソリ見守り中。。。(笑)。。。
 いえいえ笑いこっちゃない!大切なコトなのですヨ!

→その後、サーベルの刃こぼれについて詳しく説明。
 実はこのサーベルにはキズがありまして、これがニコライを斬りつけた時にできたキズか、はたまた、津田がサーベルを奪われ逆に打ち付けられた時に出来たキズか、真相ははっきりとはわかっていません。そのような情報も含めて丁寧に説明させていただきました。

 潜入できのはここまで!・・・さすがに撮影のお邪魔ばかりもしていられません。この後、事件の重要物品を もう1点、 撮影されたとのこと。それは何か?・・・それは放送を見てのお楽しみ~♪

 今回撮影された内容・・・その気になる番組は・・・ズバリ! 5月30日(月)放送のBS-TBS「にっぽん!歴史鑑定/大津事件」(22:00~23:00)デス!

 なぜ大津事件は起きたのか?歴史的背景を探りながら、司会の田辺誠一さん(俳優)が、謎を解き明かしてくださいます!これは必見♡皆さん要チェックですよ~ !!

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「青鬼踊」原稿発見のナゾ?!

  このたび、石山寺第50世座主であった故・鷲尾光遍(わしお・こうへん)師が作成した「青鬼踊」の歌詞原稿が、当館の資料の中から発見されました【詳しくはコチラ】

  「青鬼踊」は、石山寺で毎年5月に行われる青鬼まつりの中で、蛍の精と青鬼が酒を飲み交わして踊るもので、唄の作詞を鷲尾光遍師が手掛けられました。
 実はこの「発見」については、いささかナゾがございまして・・・というのも、①原稿が鷲尾光遍師の自筆かどうかについては研究中で、②なぜ琵琶湖文化館に残されていたのかも不明・・・なのです。おやおやこれ如何に・・・・・?

文化館マスコットキャラクター
トンボのあきつ君

 そこで登場するのが名探偵あきつ君♡見た目はトンボで頭脳はコドモ!しばしあきつ君の迷(?)推理にお付き合いくださいませ(笑)。

  さて1つめ、鷲尾光遍師が直々に書かれたのか?という謎です。 これは表紙をよ~くご覧ください。「青鬼踊 鷲尾光遍作詞」とあります。他の人が書き写したものであれば、石山寺の長たる「座主」さまに対して、名前を呼び捨てにするワケがない、少なくとも「鷲尾光遍師 作詞」など敬った言い方をするだろう・・・というのがあきつ君の見解です。出た!迷推理!!

謎解きは得意です

 更に・です。鷲尾光遍師は昭和34年(1959)、滋賀県立琵琶湖文化館建設後援会発起人代表の一人となるなど、琵琶湖文化館の建設や初期の活動に積極的に関与されています。当館には、師が書かれた「書」もございます。このあたり、2つめの謎とも関係してくるのですが、師と当館との親密な関係性がうかがい知れます。座主自ら書かれたものだから「光遍作詞」。皆さん、いかがでしょう?

  あきつ君の迷推理は続きます。2つめ、なぜ琵琶湖文化館に残されていたのか?という謎については、「三」の歌詞にご注目ください。
 かがやく光は 不夜城の
 とてもよいとこ よいながめ

 気付かれました?これって当館のコト・・・なのでは?当館の開館は1961年、師が亡くなられたのは1967年(88歳)。

昭和40年頃の琵琶湖文化館

 当時の文化館は夜になると本館頂上のトンボをはじめ、各階に設けられた照明設備が煌々と点灯し、周囲の漆黒とも相まってさながら不夜城のようだと言われています。ましてや5階は展望閣、琵琶湖の眺めも最高です。 ・・・これは間違いない、文化館のことを唄っている。。。そのご縁もあって、師からこの「直筆」の原稿を頂戴したのでは? ・・・と、あきつ君は申しております。

 ふむふむ、そう考えると「光遍作詞」という書きぶりも、なんだか幾分、師の照れ隠し(?!)的な要素が感じられないこともない?・・・師は、ちょっぴりお茶目な方であったのではないでしょうか、この青鬼踊の楽し気な詞からも、そのお人柄が偲ばれるようです。

  さて、如何だったでしょう、名探偵あきつ君の迷推理!お楽しみいただけました?あくまでトンボのあきつ君が申しておることでございます。笑ってお許しいただければ幸いです。さて、あなたの見解は?真相や如何に??

追記:皆さんにはこちらの方が謎かも?↓ ↓

① 何故、石山寺で青鬼踊りなのか。平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて活躍した、石山寺屈指の学僧:朗澄律師(ろうちょうりっし)は、自分の死後、鬼となって経典・聖教類を守ることを誓ったと伝わっています。その遺徳を称えるお祭りが青鬼踊りです。長らく踊りは絶えていましたが、2019年の令和改元を祝って復活し、今年は5月15日(日)に行われます。

② 何故、歌詞にたくさん「蛍」が出てくるのか。古くから瀬田川の河口付近はたくさんの蛍が飛び交う蛍の名所として有名でした。「青鬼踊」の歌詞では、蛍の精と青鬼がお酒を酌み交わし、そのもてなしのお礼にと青鬼は如意の珠を授けます。その宝珠の威光で、蛍の精はいよいよ美しく瞬いた、という歌詞になっています。

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テレビ放映のお知らせ / 山法師強訴図

  当館が誇る収蔵品の数々。ときど~き、皆さんも良くご存じのテレビ番組に、登場していることをご存じですか?こちらも、ときど~き、あることなので、うっかり皆さんにお知らせするのを忘れて、家で慌てて布団から飛び起きることがあります(笑)。
 ということで、今日は、マニアな文化館ファンクラブ(?)のために、近々放送予定の番組を要チェック!です♪

 こちらはファンクラブにはもうお馴染みですね~。『ぬりえ 』 にもなりましたよ~作りましたよ~。そうです、山法師強訴図です。

山法師強訴図屏風(本館蔵)

 この屏風には、武装した比叡山の僧侶・僧兵(山法師)たちが、神の威光をかざして神輿(しんよ・みこし)を担ぎ、朝廷や幕府に無理やり訴えを通そうとする「強訴」の場面が描かれています。時代にして平安中期以降・・・強大な権力を持つ白河法皇が、朕(自分)の意のままにならぬものとして「賀茂川の水、双六の賽(さい)、山法師」の三不如意を挙げたという有名なエピソードもあります。実際の画題として描かれることは珍しく、本図は貴重な絵画資料となっています。

 この屏風が登場する、気になる番組とは・・・ズバリ! 5月11日(水)放送・NHK総合「歴史探偵/比叡山延暦寺」(22:00~22:45)デス。≪※見逃し配信5月18日 22:44まで

 番組紹介をチェックすると ・・・
[比叡山延暦寺を徹底調査!寺を開いた最澄の不屈の挑戦。比叡山に現れた「悪僧」の正体とは?焼き打ちにまつわる奇跡のエピソードまで…知られざる1200年の歴史に迫る。]
となっています。なるほど~・・・山法師強訴図が出てくる気配がプンプンしますな・・・ファンクラブならずとも、当館の地域連携企画展「伝教大師最澄と天台宗のあゆみ」展をご鑑賞くださった皆さんなら、存分に楽しめる内容ではないでしょうか?(あ、十分にファンクラブの領域です(笑)。)
 伝教大師が亡くなって1200年、関連するテレビ番組や展覧会など、私たちには歴史を知り、歴史に学ぶ機会がたくさんありますね。

 さて、次にご紹介するのが、5月の文化館に欠かせないこの話題!皆さん、事件です・・・そう、「大津事件」!
 社会科の授業にも出てくるこの事件が発生したのは、明治24年(1891)5月11日。当館には事件に関わる重要な資料があり、某日も、カメラ取材に来られました。

 その番組は、その放送は・・・おぉ~っとぉ、まだ内緒なのでした!エヘッ。5月末の予定ということで、今日はご勘弁くださいませ。続報をお楽しみに♪

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いよいよ始まる“アレ”と思いがけない出会い

 さぁ!いよいよアレ始まります! 4/1付けのブログでお伝えしていたアレとは、、、そう。滋賀の文化財講座花湖さんの打出のコヅチです。4月になってから、多くのお問い合わせがあり、情報解禁したのが、4月後半だったにも関わらず、4月のホームページアクセスで一番の人気となりました。

 まだ新型コロナが心配なため、今年もメイン会場(コラボしが21)の人数を100人に抑えての開催となりますが、各市町のご協力もあり、全6カ所のサテライト会場を設けております。こちらも是非ともご利用くださいね。会場によって開催する回が異なりますのでご注意ください。
 初回は、5月25日(水)「滋賀県の誕生と県政150年」をテーマに、滋賀県文化財保護課兼琵琶湖文化館副館長の井上優がお話しさせていただきます。メイン会場の予約は若干名となっています。ご参加を検討されている方はお早めに。。。(※定員となった場合は、キャンセル待ちでの受付として対応させていただきます。)

 さて皆さん、ゴールデンウィークはどこかに出かけられましたか?今年は、3年振りに規制の無い大型連休となり、ニュースでも連日各地の観光地の様子が映しだされていました。関西では、琵琶湖畔で寛ぐ親子連れや、観光客でにぎわった京都清水寺の様子が映し出されていました。

諸大夫の間 矢印部分が「虎の間」

 連休中に京都に行く機会があったのですが、思いがけず京都御所で“岸岱の虎”と出会いました。“岸岱の虎”といえば、館蔵品の「巌上咆哮猛虎図」です。寅年の今年、文化館の新年の挨拶でもご紹介しました。この虎を描いた岸岱が京都御所内にある「諸大夫(しょだいぶ)の間」に同じく虎を描いているのです。「諸大夫の間」は、正式に参内した人の控えの間で、身分に応じて「桜の間」「鶴の間」「虎の間」へと通されたそうです。一番位が高い人が通された「虎の間」です。コチラの襖に岸岱の虎図がありました。建物内に入ることは残念ながら出来ず、外から襖を見る形となるのですが、館蔵品の猛々しい虎とは違い、少し落ち着いた感じが見て取れます。遠目からでもわかる隆起した虎の体つきが「巌上咆哮猛虎図」にそっくりで岸岱の虎と実感しました。

 連休中の出会いに思わず嬉しくなりました。京都御所は、一年を通じて公開されており、誰でも無料で見学することができます。皆さんも是非、文化館の虎との違いを見てみてくださいね。

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