少し前のことですが、新聞に「発掘とアート つながりを紡ぐ」というタイトルの記事が掲載され(7月29日(土)京都新聞)、京都文化博物館で開催されている「京都の画家と考古学」という展示(8月20日まで)が紹介されていました。そして、記事の続きには、米原市の杉沢遺跡周辺で開かれる「芸術と考古学 夏休みの遺跡」展(8月25日~31日)の案内が掲載されていました。遺跡を発掘調査した立命館大学の学生さんたちと現代美術家が共同で、地中と地上に出土品と現代の作品を並べて作り出す展示会だそうです。考古学とアートの関係って、これまでもなかった訳ではないと思いますが、遺物だけでなく、遺跡の調査自体と結びつけた形でのアートというのは新たな発想で、ここから何が飛び出してくるのか楽しみです。
さて、杉沢遺跡というと、実は、琵琶湖文化館ともご縁のある遺跡です。今年の5月に、真陽社さんより『小林行雄考古学選集 第3巻 縄文文化の研究、通史・概説』という本が刊行され、そこに、昭和13年に東京考古学界から出された雑誌『考古学』掲載の「近江坂田郡春照村杉澤遺蹟」という論文が再録されましたが、この報告書に写真が掲載されている杉沢遺跡出土の石器(御物石器・多頭石斧)は、今は文化館の館蔵品となっています。
この論文、戦前に発表されたもので、編集した東京考古学界も今は解散していて、さらに著者のお一人である小林行雄先生もすでに亡くなられ。。。ということで、出版社の方は権利関係の確認に大変ご苦労されたようです。
それでも、いろんな方面を調査してようやく、写真に写る石器が今は琵琶湖文化館にあるということを突き止めて、当館に確認のお電話を下さったのです!!
というわけで、再録された本の最後には、出土品の所蔵者ということで「滋賀県立琵琶湖文化館」の名称を載せていただいております。いやぁ、出版物にたった数文字を入れるだけのことなのですが、そこにいたるまでの編集者さんのご苦労は、ホントに、並大抵のことではなかったとお察しいたします。それも、1枚だけでなく、1冊の本に掲載されるものすべてについてなのですから。。。当館としては、よくぞ探し当ててくださいました!! という感謝の思いで一杯です。
そして、このような学史的に有名な滋賀県の遺跡が、学史の中だけで終わるのではなく、新たな装いで今の時代に蘇り、またもう一方で、アートと協働するという最先端の活用がされるなんて(!!)、これもまたとっても嬉しいことです。そこにちょっぴりですが文化館が関わっているということも。。。
杉沢遺跡出土の石器は、現在、地元の米原市伊吹山文化資料館にて展示中です。みなさまには、こちらの方にも足を延ばしていただければ幸いです。

年代物の写真を前に、途方に暮れていた私たちですが、そこへ現れた救世主がこの方:今回の講座の講師先生でいらっしゃいます、滋賀県教委文化財保護課(民俗担当)の矢田直樹さんです。急遽こちらがお願いしたヘルプ!の要請を、快く引き受け下さった矢田さんは、お宝写真を眺めて、「おぉ~なるほど」「すごくいいですね」を連発!当時の様子にコーフンしながら、それはもう楽しそうに僕たちに詳しく説明して下さいました。
だから僕のテンションも上がっているわけです↑↑。
そこで気付いたコト・・・武将の肖像画には、体型・体格を想像させる「立ち姿」が残されていない?!戦や合戦の場面では、ガッチガチの甲冑姿ですもの、体型まで分かりませんよね。それが狙いだったのか、流行だったのか、座り姿の肖像が定番であるように思います。聞くところによると、エライ武将さまは神様・仏様と同じとされ、その威光により念珠や袈裟を掛けていらっしゃることもあるとかなんとか・・・そんな偉大な方に何時間も立ってていただくことはできませんよね?とにかく「戦国時代の武将の肖像画には立ち姿がない」というのが、『あきつ妄想研究所』の見方です。。。

インターネットで検索をし、アタリを付けたのは、長浜市にある「孤蓬庵」さん。こちらは、小堀遠州(1579-1647)の菩提を弔うため、江戸時代前期に開山した臨済宗大徳寺派のお寺で、遠州が京都大徳寺に建立した孤篷庵にちなんで、近江孤篷庵とよばれています。昭和34年4月には、庭園の石組み等が江戸当初の遠州流庭園の基本的な条件を遺しているということで、滋賀県史跡名勝にも指定されました。
っと、ここで今回のミッションを思い出せ!・・・お目当ての石はいづこに???あった!ありました!本堂の南西側、イブキリンドウの群生が広がるその奥に、石組みが確かに!!あぁなんだろう。アイドルの追っかけをして現地でご対面しちゃった気分(笑)。テンション上がります~!
北東面の池泉回遊庭園→)
この写真を見て、どこの何かわかる人?!!
とりあえず気になってしまったのだからショウガナイ(笑)。行動あるのみ!です。
みなさま、ここ最近「源信」というお名前をよく見かけませんか?「源信」とは恵心僧都・源信のことで、平安時代に比叡山横川にいた天台宗のお坊さんです。彼が「往生要集」に説いた死後の世界である六道は、「六道絵」としても描かれ、私たちが想像する”地獄”という世界を確立しました。また、紫式部の『源氏物語』や芥川龍之介の『地獄変』に出てくる“横川の僧都”は、どちらもこの源信がモデルではないかと言われていますが、いつの時代にも影響を与えたお坊さんなのです。
梅雨の真っただ中なのですが、地球温暖化の影響なのでしょうか?以前のようにしとしととした長雨ということは少なくなり、まるで熱帯地方の雨季のよう。晴れていたかと思えば、急変して激しい雷雨ということもしばしば。。。今日は今のところ曇り空ですが、いったいどうなるのでしょうか?天気予報もコロコロ変わり、予測のつかない毎日です。
さ~て、いよいよ7月に入りました。そろそろ夏休みのお出かけの計画も立てなければいけませんよね?文化館の収蔵品たちの中にも、この夏、滋賀を離れて、奈良や東京などあちこちの会場へおでかけするものがありますので、是非チェックしてみて下さい。(詳しくは「
コチラの写真。はじめて見たとき「県庁が写っているけれど、どこの辺から撮影したものだろう?」と思っておりました。ですが、よ~~く目を凝らして見ると小さく”小舟入の常夜燈”が写っております。え?見えません?では、拡大してみますね。ほら、この通り!
江戸時代に小舟入(今の大津市中央4丁目)では石場と並び、草津・矢橋へ渡し舟を出していたそうです。“石場の常夜燈”は現在、文化館とびわ湖ホールの間にあるなぎさ公園の一角にあり(詳しくは
60年近くたった現在、湖岸沿いの歩道を歩きながら、南側を見ると、同じ場所とは思えないくらいに変わっています。様変わりした街の中に、200年たっても変わらない“常夜燈”があるのがとても不思議な感じがいたします。そして同時に古い写真に写っている今現在もあるものを見つけるとワクワクします。。。みなさまも懐かしい写真を片手にブラリと外に出てみてはいかがでしょうか?
博物館だけでなく、自治体と地域で盛り上げていく連携の「うまさ」は、見習うべきところも多く、「さすが長浜市さん」と思いながら、帰途に着いたのは僕だけではないハズ・・・です。地域から県全体へ、盛り上がる滋賀県であればいいな、と思います。


当館の館蔵品「蟇図」です。咄嗟に僕の頭に浮かんだのはこの蟇ガエルです。この作品は、明治時代末から昭和20年代にかけて活躍した長浜出身の画家・清水節堂が描いたもの。筋骨隆々のガマガエル・・・どうですか、このリアル・・・。他に清水節堂が描いた作品では、米原市の徳源院所蔵の「幽霊図」が有名ですが、女性のオバケ(幽霊)が斬新な構図で描かれていて、それこそ夢に出てきそうなリアルさです。
毎月ごとのアクセス数は、このブログでも報告していますが、年間合計にすると、結果がその成果として見えてくるから不思議です。ちょっと見方を変えるだけで新たな発見が・・・!そんな見方も出来るものだと、これからも滋賀の文化財に興味を持っていただいけるよう、情報発信を続けていきたいと思います。


当館の「寿字群仙図」は、全体的に赤を基調に描かれ、「寿」の文字を画の中央に大きく配し、字の中に多くの仙人たちが生き生きと描かれている掛軸です(作者不詳)。「寿」「不老不死の仙人」「赤色」という「ハレ」の文化を体現した目出度さもあり、文化館では年明け、新年を寿ぐテーマ展などで展示をしていました。
当時、学芸員さんが展覧会開催を告知する記者発表資料として、目出度さが「これでもか!」とわかるくらいの派手な写真を・・・ということで(笑)選ばれた写真が、この「寿字群仙図」でした。展示室に入ってすぐに目に飛び込んでくる鮮やかな朱色の大幅を、僕もよく覚えています。
現在休館中の当館では、皆さまに実物をご覧いただく機会がなかなか無いのが心苦しいところ。ですが、『新しい美術館の素晴らしい開館を御祈念申し上げます』と結んでいただいた今回のお問い合わせのように、次につながる「ご縁」を大切にしたいと思っております。







外された板を見ると、確かにボロボロで・・・でも壊そうと思ってもナカナカ壊れないシロモノで。。。さぁてどうしましょうか。とりあえず、錆びて折れ曲がった五寸釘と格闘・・・する僕たちなのでした。
「海北友松」展を開催しています。そのサブタイトルは「-湖国が生んだ桃山時代の巨匠!-」。展覧会ポスターには、おそらく当時としては珍しい「!」マークがしっかり入っていましたし、当時の様子を知らない僕でもそのポスターから受ける印象には、「イチオシ感」満載だったので、図録をうっとり眺めたりしていたものです。
海北友松は、江北小谷城主浅井長政に仕えた重臣の子として近江に生まれ、独自の画風を築き上げました。その画風は、華麗な・・・というよりは、激しく凄まじくダイナミック?!「龍図」と聞いてギョロッと睨みを利かせた眼の水墨画を思い浮かべたなら、それはきっと海北友松の作品かも?この度の展覧会では、図録で見ていた作品もお目見えするそうなので、実物のその迫力をじっくり体感(拝見)したいと思います。
今は休館していますが、開館していた当時、常設展示にさらっと海北友松の作品が並んでいたあたりが、琵琶湖文化館のすごいところだと思うのですが・・・(自分で言う?!)。