月別アーカイブ: 11月 2015
工房お訪ね日記②
さて、不定期に継続中の工房お訪ね日記。今回は文化財の修理工房で見せていただいた「ノリ」についてご紹介です。
行った時は、掛軸の解体修理をされていましたので、ここでは「古糊(ふるのり)」についての豆知識をご紹介します。古糊は小麦粉のでんぷんから作った糊(新糊)を10年ほど寝かせて熟成させたものが「古糊」と言われます。壷に保管されていた古糊は、まるでバターの様でしたが、匂いでみると酸っぱくなってしまった甘酒?の様な発酵が進んだ独特の匂いがしました。でもこれが重要な役割をはたします。
古糊は、時間をかけて寝かすことで粘り気が弱くなり、乾燥後の強張りが少なくなるという特性があります。掛軸や巻物などはクルクルと巻いて保管するので、貼った後もしなやかでないと、折れが入ったり絵の具がひび割れたりしてしまうので、肌裏打ち以外は敢えて古糊を使うのだそうです。
古糊に対して作り立ての糊は「新糊(しんのり)」と呼ばれますが、新糊は主に屏風など、パリッとピシッとスキッとハキッと貼る作業の時に使われます。同じノリでも使い分けが必要なのですね。なるほどでございます。
作業の中で実はこの糊、私たちが日常使うノリとしての使い方とはまるで使い方が違うとうかがいました。概念が違うとでも申しましょうか。合成糊は、あくまでくっつける「接着剤」としての機能を求めますが、こちらの糊はそれ自体の接着力は弱いのだそうです。だから裏から水を吹いただけできれいに剥がせるのですね~。
ちなみに、糊は自前で「ダイカンの頃に作る」そうです。「エッ?体感で作る?!」もうテンション上がっちゃって日本語がうまく聞き取れてマセン。要するに二十四節気の大寒(この時期の水は、雑菌が少なく長期保存に向いているとされる)の頃に作るということです。聞き間違いにご用心。。。煮詰める作業はとても大変らしく、体力も使うとのこと。そこで尋ねてしまったのが「アンコ作るより大変ですか?」・・・質問が所帯じみているのがタマにキズ・・・。曰く、「餡子作るより大変」なのだそうです。。。そうして職人さん自らの手で作り上げた糊はまさしく「秘伝」の糊となり、きっとよい「お仕事」をしてくれる相棒となるのでしょうね。これがないと仕事にならないとも言っておられました。
では次回はこのノリを使った紙の貼り付けの様子をご紹介します~。
筆:あきつ
秋の一般公開
滋賀のお山も紅葉がグッと進みましたね~皆さんはどこかへお出かけされました?県内の社寺さんでは秋の特別公開が真っ盛りですよ~。
さて、先ずご紹介したいのが湖東三山の一つ、西明寺さま。11月30日まで特別に国宝である三重塔内に描かれた壁画「法華経曼荼羅図」(重要文化財)が一般公開されています。雨天の場合は、文化財保護のため拝観中止となるようですから要注意ですね。12月13日までは「玄武刀八(げんぶとうばつ)毘沙門天三尊像」も特別公開されていますので、そちらもお見逃しなく。
そして今日の新聞テレビ欄:番組紹介で気付かれた方いらっしゃいます?MBSテレビ夕方の「ちちんぷいぷい」で、「昔の人は・・・今週末に見頃を迎える紅葉の名所滋賀湖東三山に咲く満開のサクラ?」と載ってましたね~。紅葉が美しいことで有名な西明寺さまですが、なんとこの時季にサクラ??必見です!見たら行きたくなるカモですよ~(笑)。
それからもう一つ。草津市の芦浦観音寺さまでは、秋の一般公開が23日(勤労感謝の日)1日限定で行われます。普段の拝観は予約制となっていますが、この日は観光ボランティアさんが境内を案内して下さったり、お茶席が用意されたりするそうです。実はこの地元ボランティアさん、とても勉強熱心で先日も25名の方が文化館へ研修に来られました。文化館では芦浦観音寺さまご所蔵の文化財を、多数お預かりしていますからね。それらの見ドコロ褒めドコロ、しっかり伝授させていただきました(笑)。当日の解説に活かして下さる?かな?
この一般公開では、当館がお預かりしている芦浦観音寺文書(県指定文化財)の中から、織田信長判物含む7点の文書類や焼印(船印・鑑札印)なども展示されます。行かれた方はこの機会に是非、しっかりと目に焼き付けて来てください。
筆:あきつ
奇石マニア
最近、ちょっと気になる展示があります。それは、草津市立草津宿街道交流館で開催されている企画展「石亭を継ぐもの」(12月6日まで開催)。当館にも出陳依頼がありました。
木内石亭は、江戸時代、近江国滋賀郡下坂本村(現:大津市下阪本)の生まれで、後に母の生家である栗太郡北山田村(現:草津市)の木内家の養子となります。小さいころから「石」に興味を持ち、珍石、奇石、鉱石、化石などを収集、弄石家(石の愛好家)の間で指導的役割を果した人物です。その石亭が今年生誕290年、今回そのご縁で草津市での企画展が開催される運びとなりました。
奇石(変わった石)収集家として有名な石亭は、「石の長者」とも呼ばれており、かの有名な平賀源内とも交流があったそうです。でも僕がこの「奇石マニア」さんのコトを知ったのは、文化館の収蔵品紹介で「雲根志(うんこんし)」を紹介した時でした。江戸時代になんともマニアックで変わった人がいたものだと、ビックリだったことを覚えています。お山へザルを持ってトパーズを探しに行った僕にとっては師匠と呼べる人かも・・・学芸員さんの話では、石亭が集めた貴重な石たちは残念ながら散逸していまい、コレクションの全容を知ることは出来ないということですが、見たかったなぁ~という思いとともに、僕の記憶に石亭の名が刻まれたのでした。
今回の展示では、「伝木内石亭収集奇石類」(栗東歴史民俗博物館蔵)が、彼が集めたであろうその一部が、展示されるそうです。・・・やっぱりちょっと気になります。。。
文化館へは、木内石亭書蹟「石」の出品依頼がありました。学芸員ではない僕は、個人さまから寄託されているこの書蹟がどのようなモノか知りませんでした。ですが今回!こちらのチラシの表紙に使っていただいたみたいです!コレですッ!
究極の石マニアが「石」と書いたその想い・・・是非会場で見てみたいと思います。皆さんも足を運んでみてはいかがですか?
筆:あきつ
工房お訪ね日記①
先日、文化財の修理を依頼している業者さんのところへ、学芸員さんと一緒に事務方代表として行って参りました。初めて見る修理工房にテンションが上がってしまい、自分でも「イチイチ素人の質問やな~」と分かってはいるのですが・・・いろいろと質問してしまいました。お仕事中、さぞ煩わしかった事と思います。今思えば大変申し訳なく・・・でもここは気を取り直して!工房で仕入れてきた「あきつ豆知識」を皆さんにしっかりご紹介!させていただきます。。。
先ず目にしたのが、あろうことか霧吹きで濡らした和紙の上に、掛軸の表面が置かれて・・・(あきつ心の声)「ぎゃぁ!そんな事をしたら墨や絵の具がにじむじゃないですかーッ!」。(あまりの衝撃に絶句・・・写真を撮るのを忘れました・・・)その後も裏側から霧吹きで水をぷしゅぷしゅと・・・「マジですか。あかんでしょ・・・」と心の声はどこまでも疑心暗鬼だったのですが、専門家曰く、「ニカワが墨や絵の具に使われていて接着剤の役目をしているから大丈夫」なのだそうです。ホッ。なるほどです。だって小学校で絵を描いた時には、そんな秘密兵器なかったですもの。。。そうでした。絵の具からして違うのデシタ。。。
さてここで、「ニカワ」についてお勉強です。漢字で書くと「膠」。こちらの工房で使われていたのは「鹿膠」で、状態を見ながら今回の場合は水に約2%の濃度で溶かして絵の具の剥落止めなどに使うとのことでした。重要な役目を担う膠も実はこんな魅惑の物体。琥珀のような色合いですが、動物の骨や皮、腱などを煮詰めて作られるとのこと。コラーゲンデスカ?会話の途中、頭の中では『ニカワ=煮皮』の漢字を思い浮かべてしまい・・・気持ち的に手を合わせてな~む~。。。ちなみに牛から作った「三千本膠」や「兎膠」というのもあるそうで、「シカ」より「ウサギ」の方が軟らかく、水に溶かす濃度も違うそうです・・・な~む~。。。
修理工程では、裏からたっぷり水を吹きかけた後、裏打紙(肌裏紙)をピンセットと指先で器用に剥がしておられました(解装)。きれいに剥がれるものなのですね~イチイチ驚きです。実はこれには秘密があります。。。
あぁ!もっとご紹介したいのに、書くスペースに制限が・・・残念!ということで、こちらのお訪ね日記は、不定期に継続される予定デス。かなりもったいぶった連載となるかもです~(笑)。
筆:あきつ
仏さまのご帰還
皆さん覚えておいでですか?本年4月9日のブログ「文化館の存在意義」に書かせていただきました甲賀市からお預かりしている仏さま。無事、お寺の本堂の改修が完了したということで、お預かりしていた仏さまをお納めさせていただきました。
今回はお預かりしていた仏さまも付随する持物も多く、2日間に分けて搬出するので、先ずはその選別から始まります。どの仏さまから運ぶのか、トラックに乗せる順、お堂に納める順、各仏さまの持物の確認、段取りが命の「指令」が飛び交います。
文化財を移動させる際には実はとても天気が気になります。作業をした2日間はお陰様で秋晴れの良い天気。さすが「私は晴れ女」と豪語する日頃の行いのヨロシイ学芸員さんが付いておられましたからね(笑)、晴れて良かったです。お寺の駐車場から本堂まで距離があるので、天気が悪いと運ぶのが大変だと聞いていましたし、何より文化館のこの階段が・・・晴れていればこの正面玄関から運ぶのが一番!・・・「重いぞーチカラ入れろー!」「階段!前上げるぞー!」「斜めにするなー!」・・・なんだか文化館ならではの掛け声が混じっていますが・・・抜群のチームワークで難なくクリア。無事お寺さまに到着です。
お預かりして約7ケ月、咲いた桜が見事な紅葉に変わるころまで・・・と申し上げていましたが、お寺さまにとってはご本尊がいらっしゃらないお盆やお彼岸を過ごされ、待ちに待ったご帰還であったことでしょう。トラックが到着すると、ご住職さまが鈴を鳴らし般若心経を唱えて仏さまをお迎えされた、とのことでした。地元の方たちも入れ代わり立ち代わり見に来られていたそうです。
文化財の移動、それは失敗が許されないシビアな状況の中で、無事に届けて当たり前のお仕事・・・とは言え、こうして事故無く無事終えることができ、地元の皆さんに喜んでいただけた、それが何よりの励みにもなり、やり甲斐にも繋がっています(お留守番の僕もそう思っています)。
いつも皆さんのおそばに文化館・・・
頼りにされる存在でありたいと願っています。
筆:あきつ
県外初出品!
今から約160年前の1854年、日本はアメリカとの間に「日米和親条約」を結び、約200年続いた鎖国から開国することになります。ここから日本の近代史が始まります。
現在、幕末期から昭和時代にかけての日本の外交のあゆみを紹介する展覧会が茨城県立歴史館で開催されており、琵琶湖文化館収蔵の「大津事件関係資料」(滋賀県指定文化財)の中から、サーベル・木綿のハンカチ・「凶行者近傍配置巡査調書」が展示されています。これらの「大津事件関係資料」が県外で公開されるのは初めてです。
大津事件は歴史の教科書に記載されることもあり、また、学校の歴史の時間で習ったことがある方もおられるかと思います。「大津事件関係資料」については、HPなどでこれまでも紹介してきましたので(コチラ)、みなさんよくご存じかと思います。明治24年(1891)日本を訪れたロシアのニコライ皇太子を、警護にあたっていた津田三蔵巡査がサーベルで突然斬りつけた大津事件は、日本の司法権の独立を守った歴史事項として知られています。「大津事件関係資料」は当時の様子と、ニコライ皇太子を介抱した呉服屋永井家を巡り、事件後にロシアと日本との間で水面下で買収の駆け引きが行われたことが記録されているなど、近代政治史・外交史上貴重な資料です。
展覧会ではその他に、幕末から昭和時代にかけての条約を中心とした外交に関する貴重な史資料が展示されています。
現代に生きる私たちに直近の近代史、特にグローバル化が叫ばれる中、世界の中で日本がどのように歩んできたのかを知ることはとても大切ですね。ぜひ、みなさん、展覧会にお運びくださいませ。
展覧会:特別展 外務省外交史料館・茨城県立歴史館共催
「日本外交のあゆみ」
会 場:茨城県立歴史館
会 期:平成27年10月10日(土)~11月23日(日)
ホームページ10月のアクセス数
本日は朝から珍しく冷た~い雨が降っております。気温も低く、湖上に浮かぶが故の文化館の名物「足元の底冷え」が厳しい季節ともなってきました。しかしおかげで周辺の紅葉がすすみ『オータムイン打出浜』の景色も一段と鮮やかです。
皆さん大丈夫ですか?もう今年も残りあと2ケ月となりましたよ?月日が過ぎるのがとっても早く感じてしまうのは・・・そういうお年頃?否否、充実しているのでございます。必死過ぎて記憶がないのでございます。。。やっぱり歳のせいかなぁ・・・
ということで、淡い記憶を行きつ戻りつ、先月のホームページのアクセス数についてご報告です。驚くべき10月のアクセス数はなんと1,400件!出ましたピッタリ賞です!
アクセスの地域別トップ10は、大津、大阪、京都、名古屋、草津、港区、横浜、新宿、彦根、神戸となりました。一方で平均滞在時間の長い地域となると、こちらはやはり地元に愛されている文化館。大津、東近江、長浜、甲賀、野洲、高島と滋賀県内から強いご支持を頂いております。有り難い事でございます。
さて、10月のブログでは、文化館の近くにある井上敬之助氏の銅像について、ご紹介させていただきました。1週間に2本。しかも連続で。「どれだけ敬之助さんのこと好きやねんなぁ(笑)」と職場内で話していたのですが、ここ最近、変化というかその効果が表れ始めています。
ホームページのあきつブログは、更新毎に館の前にある掲示板に貼り出されるのですが、明らかに足を止めて読み込んでおられる方が増えた!ような気がします。信号待ちをしている時に、ちょうど視界に入ってくるのですよね~敬之助氏の凛々しいお顔の写真が。銅像の前の道を毎日通っておられる方、あの銅造が一体誰なのか、ちょっぴり気になっていたでしょ?!
皆さんの「?」が「!」になるように、あきつブログ、お役に立てれば幸いです。
筆:あきつ