日別アーカイブ: 2017年10月20日

米くへば鐸が鳴るなり

文化館とは近しい関係の滋賀県立安土城考古博物館さんは、今年開館25周年を迎えられます。明日21日から開催される開館25周年記念秋季特別展は、「青銅の鐸と武器―近江の弥生時代とその周辺―」。ポスターやチラシをご覧になった方もいらっしゃると思いますが、そこにずらりと並んでいるのが、野洲市・大岩山出土の銅鐸です。

銅鐸については、みなさんよくご存知でしょう。米作りの始まった弥生時代に作られた青銅製の鐘です。日本史の教科書にも、巻頭カラー写真で出ていましたね。ちなみに、教科書によく載っている、トンボの描かれた「袈裟襷文銅鐸」(伝香川県出土)は、ただいま京都国立博物館で開催されている「国宝」展に出陳されているようですよ。

残念ながら、滋賀県に国宝の銅鐸はありませんが、実は、銅鐸について語る上で外せないのが滋賀県なのです。記録に残る限り、初めて発見された銅鐸は、大津に都が置かれた頃、滋賀里山中に崇福寺を建立する時に掘り出されたもの。そして、野洲市の大岩山では、明治14年に14鐸、そして昭和37年に10鐸と、2度も大量の銅鐸が出土し、しかも、その数はのちに越されたものの、大きさでは今でも日本一を誇っております!

特に、大岩山での昭和の大発見は、文化館とも少なからず関わりがありまして。。。昭和37年7月、東海道新幹線の建設に伴っての工事中に発見された10鐸は、世間を大いに沸かせました。そして、紆余曲折ありましたが、当時の滋賀県の埋蔵文化財担当技師さんの奔走により、ようやく滋賀県が所有・保管することが決まり、その年11月に文化館で開かれた「琵琶湖考古展」でのお披露目となったのです!! その時のポスターがコレ!! なんともシンプルな!それでいて、しっかりと銅鐸の雰囲気を取り入れた色遣いで。。。じわ~んと心に鳴り響きます♪♪

またその後、発見された銅鐸を保管するため、埋蔵文化財の収蔵庫が琵琶湖文化館前に建てられ、安土城考古博物館ができるまではずっとこちらに収蔵されていました。その間、昭和62年には重要文化財に指定されましたが、なにより発見以来55年、散逸することなく県で保管できたことは誇るべきことでしょう。今後もずっと滋賀の宝として守っていきたいですね。

さて、この銅鐸、考古学研究の上ではどうなのでしょうか?55年間に、弥生時代の銅鐸を含む青銅器に関する研究は、目を見張るように進展しました。ただし、「何に使ったのか?」という最大の謎については、決定的な答えが出ていないようです。ということで、みなさんもこの機会に実際に銅鐸と向き合ってみて、謎に挑戦してみてはいかがでしょうか?

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