日別アーカイブ: 2019年11月14日

「湖東三山 金剛輪寺の名宝」展とその周辺

地域連携企画展第2弾「湖東三山 金剛輪寺の名宝―滋賀県立琵琶湖文化館寄託品里帰り特別公開~」が始まって、早いもので2週間が経ちましたが、皆さまもうご覧いただけましたでしょうか?会場の愛荘町立歴史博物館は、紅葉の名所である金剛輪寺のまさにお膝元にありますので、「紅葉が見頃になったら行こうかな?」とお考えの方、今週末辺りからいよいよ見ごろを迎えますよ。行きドキです!しかも愛荘町立歴史博物館さんは、「関西文化の日」に協力されていますので、16(土)・17(日)・23(土)・24(日)は、入館無料でご鑑賞いただくことができます!紅葉狩りとともに、多くの方に企画展を存分に楽しんでいただければ幸いです。

さて、今回の企画展でご覧いただけるのは、平安時代から江戸時代にかけての工芸品・経典・絵画など、金剛輪寺に伝えられてきた寺宝の数々。その多くが重要文化財や県指定、町指定の文化財で、これらを見るだけでもお寺の長い歴史を感じることができますね。ところが、そもそもこのお寺の始まりはというと、なんと奈良時代にまで遡るそうです。伝承によると、聖武天皇の勅願により僧・行基(ぎょうき)が開いたのだとか。行基という人は、諸国をめぐり、橋を架けたり、堤防を築いたりという土木事業を行なったことで有名ですが、その背景には、当時の最先端技術を持っていた渡来人の力があったと言われています(行基自身も渡来系氏族の出身)。金剛輪寺のあたりは旧の秦荘町にあたりますが、秦荘の「秦」は、まさに古代にこの地域を本拠地としていた渡来系氏族「依知秦(えちはた)氏」に由来するとのこと。すると、行基がこの地に金剛輪寺を建てた背景にも依知秦氏の力があったのでしょうか。。。想像が膨らみます。

そして、この依知秦一族の祖先の墓と考えられているのが、愛荘町上蚊野から蚊野外の地にある古墳群です(金剛輪寺からは車で5分程のところ)。300基ほどもあったとされる大規模な古墳群は、終戦後の食糧難時代に行われた土地開墾などでほぼ消滅してしまいましたが、一部が「依知秦氏の里古墳公園」として残されています。実は、文化館には「秦荘・北蚊野古墳出土」と伝えられる須恵器の直口壺と金属製の馬具(雲珠:うず)が収蔵されてるんですよ。収納されていた紙箱には「昭和31年6月」の日付が記されていますので、当時県立産業文化館(文化館の前身です)の学芸員でいらっしゃった故・宇野茂樹先生が指揮されたという、昭和31年の滋賀県による調査の際に発見されたものでしょう。文化館と愛荘町(当時は秦荘町)のこんな頃からのご縁。ここにもちょっぴり長い歴史があったようです。

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