日別アーカイブ: 2019年11月21日
あきつブログで楽しむ朝ドラ
突然ですが、皆さまは朝の連続テレビ小説「スカーレット」、ご覧になっていらっしゃいますか?11月からは、舞台が大阪から信楽へと戻り、滋賀県民としてはますます目が離せなくなってきましたね。ところで、多くの方は「信楽焼」と聞くと、「タヌキの置物」を思い浮かべるでしょう?確かに今、信楽の町を訪れると、道沿いにある陶器店の前に山のように並べられたカワイイ顔のタヌキの置物が、ニコニコと私たちを迎えてくれます。ところが、ドラマでは、どうもタヌキはそれほど登場しない。主人公の働き出した窯元にずらりと並んでいるのは「火鉢」ですし、お父さんが車に載せて運んでいるのも「火鉢」。「これってどういうこと???」と、ちょっと気になっている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
信楽焼の歴史は古く鎌倉時代にまで遡りますが(主人公・喜美子が「旅のお伴に」と拾ったのは室町時代の壺らしきものの破片でしたね)、実はその中でタヌキの置物の歴史はまだまだ浅いのです。置物自体は明治・大正時代から作られていたのですが、戦後すぐの昭和26年、タヌキがお好きだったという昭和天皇の信楽行幸の際、タヌキの置物に日の丸の旗を持たせて歓迎したことがきっかけで有名になり、また、縁起ものとして喜ばれるようになり、全国へ広まったということです。
なるほど、ドラマは今、昭和30年代のはじめですか?確かに道沿いにポン!と置かれたリアルなお顔のタヌキも登場しますが、この頃はまだまだ本格的な「タヌキの時代」ではなかったようです。そして、「火鉢」というと、ほらあれです!このあきつブログを以前から読んで頂いている方は、きっと覚えていらっしゃるでしょう?今年1/28と2/5のブログでご紹介した信楽焼の火鉢のことを。信楽で明治時代から作られていた火鉢は、特に終戦後、全国へ飛ぶように売れ、それは「火鉢景気」と言われるほどだったそうです。ところが、昭和30年代に入って、火鉢は石油ストーブに取って代わられ、産地である信楽は苦しい時代を迎えることになります。ドラマは今まさにこの「火鉢の時代」に陰りが見え始めた頃なんですね。そんな背景を知っておくと、ドラマの展開がもっと楽しめること間違いなしデス。気になる方は、ぜひまた過去のブログを覗いてみて下さいネ!
文化館には、火鉢以外にも信楽焼の資料を収蔵しています。そんな収蔵品のことも、また追々いろいろな形で、皆さまにご紹介出来たら良いな~と思っております。どうぞ楽しみにしていて下さいね。それでは、今日はここまで!