日別アーカイブ: 2026年4月15日

福井)金ヶ崎古戦場碑文は滋賀県知事が書いた 何ゆえに?

 皆さんご覧になりましたか?先のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、「金ヶ崎の退き口」のエピソードが描かれましたね。

 元亀元年(1570)4月、織田信長は越前朝倉氏を討つべく大軍を率いて出陣し、敦賀の金ヶ崎城を攻め落しました。ところがその直後、同盟関係にあったはずの近江の浅井長政が裏切って朝倉方についたため、挟撃の危機に瀕した織田軍は京へと必死の撤退を始めます。まさに袋のネズミ!!

 金ヶ崎城を拠点に、撤退の殿(しんがり)として敵軍を引き付けたのが木下秀吉、明智光秀らであり、歴史小説やドラマでその決死の戦いがたびたび取り上げられてきました。
 今回のドラマでも秀吉らが知略を用いて朝倉軍を退けながら、浅井軍の到着で窮地に陥ったところを、さっそうと現れた明智光秀(演:要潤)率いる鉄砲隊の活躍で九死に一生を得る、というちょっと「意外」な場面が描かれました。

金ヶ崎古戦場碑

 実のところ、秀吉や光秀が具体的に戦場でどのような活躍をしたのかについては史料上明らかではありません。 ですが、世に「金ヶ崎の退き口」として知られるこの撤退戦を象徴する城郭が福井県敦賀市の「金ヶ崎城跡」です。この城は元亀元年の合戦以前にも、南北朝時代や戦国時代にたびたび大きな合戦の舞台となっており、城跡にはそうした合戦の歴史を伝える「金ヶ崎古戦場碑」という大きな石碑が建立されています。石碑は大河ドラマ紀行でも紹介されていましたね。

 と・こ・ろ・が・ですよ、皆さん!・・・この石碑をよく読むと「滋賀県令正六位籠手田安定撰」、すなわち二代目の滋賀県知事(当時は「県令」という称号だった)が文章を書いたむねが刻まれているのです!!
・・・福井県なのに、ナニゆえに??

 実はこの石碑、明治11年(1878)8月12日の建立。そのとき、この地は滋賀県だったのです!。明治9年8月21日から同14年2月6日まで、現在の敦賀市は滋賀県の管轄下に属し滋賀の一部でした。わずか5年足らずの「海あり滋賀県」時代をしのばせる、貴重な歴史資料でもあります。三方を海に囲われた要害・金ヶ崎城跡を訪れ、戦国と近代の激動のドラマに、遠く思いをはせてみてはいかがでしょうか?。

金ヶ崎城跡から望む敦賀湾

 

 
 


 と・こ・ろ・でですよ、皆さん!・・・金ヶ崎古戦場碑について、「写真ではあんまりわからんナァ」と思われたのでは?(・・・実際、実物でも見辛いデス。)そんなあなたに!あきつブログでは追加記事を後日掲載! 「 金ヶ崎古戦場碑 」について どこよりも詳しくご案内できる・カ・モ?!お楽しみに!

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