日別アーカイブ: 2026年4月27日
大河ドラマ初期メンバー〔森可成(よしなり)〕は近江の聖衆来迎寺で眠る! なにゆえに?

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、比叡山焼討ちが描かれました。罪なき女性や子どもたちを「なで斬り(皆殺し)」する信長の方針に葛藤する秀吉と明智光秀。とくに光秀の苦悩ぶりを俳優の要潤が好演したことが、ネット上の話題となりましたね。今回のドラマは豊臣兄弟が主役なのですが、明智光秀らの立場や思いにも寄り添った、繊細な描写が光っています!

さて、ドラマでは焼討ちの前哨戦となった「志賀の陣」(元亀元年9月)で、織田家の家臣として初回から出演してきた「初期メンバー」のひとり、森可成(もり よしなり・1523~70 演:水橋研二)が壮絶な戦死を遂げるシーンも描かれていました。
可成は槍の名手として知られ、いかなるときも信長の忠実な家臣として身命を賭して働きました。森蘭丸(成利)らの父としても知られ、子らの多くも信長のために戦死しています。
その亡骸は、戦場近くの聖衆来迎寺の住持であった真雄上人が引き取り同寺に葬ったと伝えており(『来迎寺要書』)、今も境内に森可成の墓があります。

現在の墓石は寛文10年(1670)、可成の百回忌を機に子孫にあたる美作津山藩主・森長継らが建立したもので、瑞垣に囲まれた三段の基壇上に、大きな石造五輪塔がそびえ威容を誇っています。
ドラマでは大津市の宇佐山城で戦死したように描かれていましたが史実はそうではなく、城主を務めていた宇佐山城から出撃して坂本の町はずれ(下坂本)で北国街道を封鎖。数に勝る浅井・朝倉連合軍を相手に奮戦しますが「下坂本瀬戸在家」の地で討ち死にしました。
聖衆来迎寺(大津市比叡辻二丁目)には他にも明智光秀が坂本城の城門を移築させたと伝える重要文化財表門など、織田家家臣ゆかりの歴史をしのぶ遺産があります。

さらに!毎年8月16日に聖衆来迎寺では貴重な寺宝を展示公開するお盆の風物詩「虫干会(むしぼしえ)」が行われていますが、今年はふだん琵琶湖文化館に寄託されている寺宝の里帰り展示などを含めた「地域連携企画展」として開催します。詳しい内容については、追って当館HPなどで発信しますので、ぜひご注目くださいね!