日別アーカイブ: 2023年10月23日

「花湖さんの打出のコヅチ」第4回 質問回答②

 9月28日、文化財講座:第4回「新県指定 弘誓寺本堂と近江の浄土宗建築」に参加された皆さん、お待たせいたしました~!アンケートにご記入いただきました、皆さんからのご質問について、その回答第2弾! 滋賀県文化財保護課建造物係さんが、めいっぱい(!!)ご協力くださいましたので、ご紹介します~♪

建築と石造美術、建築と庭園とのかかわりがあると思いますので教えてほしいです。本尊の向きや庫裏との位置関係のかかわりなど教えてほしいです。

庭園については、来客をもてなす庫裏の座敷に面して回遊式庭園が設けられています。石造物は、境内の主なものは、墓所に中世の宝篋印塔(供養塔)が一基ありますが、本堂や庫裏、その他の建造物とは明確な関わりは無いようです。
本堂および本尊は、共に西方浄土を向いており、ほぼ西面しています。庫裏と本堂は、境内の敷地形状から、ほぼ南北に横並びしています。

本堂内の間取りがなぜそうなのか。経文上或いは儀式上の必然があるのか

内陣の後門形式および凸型の平面構成については、先に回答した、本堂内で本尊の後ろを通り本尊の前を大きく回る礼拝方法があること、外陣の凹型の平面については、礼拝の際に、内陣正面部分と内陣両脇の脇陣とは、僧侶や縁者・参拝者等に着座する場所に決まりがあり、そうした浄土宗の礼拝(儀式)に適した平面構成(間取り)が、次第に出来上がったものと考えられます。

近江七弘誓寺で一番古いのはどのお寺?

近江七弘誓寺の各建立年代について、郡誌、市町村誌等を確認しましたが、建立年が不明のお寺もあり、明確に建立年代を並べてここが一番古いと断言するのは難しいようです。講義資料では那須与一の7人の子供が近江七弘誓寺を建立したとありますが、実際は那須与一が活躍した平安時代末よりも、後の江戸時代に建立された所も散見され、あくまで伝承の域を超えないのかもしれません。ただ「弘誓寺由緒書」によれば現在の東近江市瓜生津に那須与一の末孫の愚咄が弘誓寺を開いた後に移転、分立等で他の弘誓寺が建立されたようで、そこから考えると瓜生津の弘誓寺が最も古いと推察されます。

 いかがでしたか?皆さんの疑問や謎は解けましたか?実は、産休に入られた講師の代わりに、講師が所属する県文化財保護課建築係の方々が、「係として真剣にお答えしたい」と、追加の現地取材や資料調査を行うなどしてご対応下さいました。講師を務められた伊藤静香氏のお人柄(♪)と、建築係の皆さんのチームワークがあったからこそ成り立った、今回の【質疑応答全8問】でございました。ご協力いただいた皆さまに心より感謝申し上げます。本当に有り難うございました!

 皆さんの「学びたい」&「応えたい」の気持ちに影響されたコヅチ事務局・・・うずうず・・・結果、湖東を駆け巡り↓↓近江七弘誓寺を制覇してまいりました!ご利益ありそうな予感♡

※但し(!!)建造物の写真は“曇り”の日に撮る方が写りがいい!のだそうです・・・しくじった。。〔もう少し大きな画像で見たい人は➡ コチラ

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