日別アーカイブ: 2020年6月11日

明智左馬之助湖水渡り像建立計画(昭和37年)

湖岸をお散歩されている皆さ~ん、お気付きですか~?一度は視界に入っているハズのこの石碑。「明智左馬之助湖水渡」の碑です。
明智左馬之助(秀満・弥平次)は、「明智五宿老」と呼ばれた重臣の一人。家臣であった明智光秀が主君の織田信長を討ちとった「本能寺の変」は有名ですよね。本能寺の変の後、光秀の命により安土城を奪いに向かった左馬之助が、山崎の合戦で光秀が羽柴秀吉に敗れたことを知り、坂本城に引き返します。その途中で敵に阻まれた左馬之助が、打出浜から馬に乗ったまま琵琶湖の湖水を渡り、明智の本拠である坂本城まで向かったというお話が、「明智左馬之助湖水渡り」として、講談などで語り継がれています。(この石碑のことは、過去のブログでも紹介していますので、そちらもご覧くださいね。)

実は、このお話を元に、明智左馬之助が湖中を進む勇ましい姿を現した「像」を造る計画が、昭和37年(1962)にありました【詳しくはコチラ】
その場所は琵琶湖文化館から東へ30m、岸から50m離れた沖合い、計画書には滋賀県の彫刻家・森大造氏の完成予想図も描かれています。→
当時、この付近は埋め立てが始まったばかり。びわ湖ホールさんもまだ建っていなかったので、今の景色とは随分異なりますが、波を受けて湖の中で浮き沈みする像が実際にあったなら・・・それはそれは。。。
昭和36年(1961)に開館した当館。その翌年に実行しようとした建立計画。当時の館長が「琵琶湖の名物に」と、思い描いた夢とロマンは、しかし、残念ながら実現することはなかったようです。

それでなのか、どうなのか、昭和42年に撮影された記録写真を見ると、湖岸にはこんなかわいいお馬さんの乗り物が!これぞ子どもたちの夢の実現?!
・・・先代職員さん達も知恵を絞られたようです(笑)。

話は変わりまして、先日石山寺さんで、本能寺の変の後、明智軍と信長軍が琵琶湖で船で戦ったということが記された古文書が見つかったそうです。その中に明智左馬之助(弥平次)の名前も出てくるのだとか・・・これまた、なんとも興味深い。。。見つかった資料は、秋に石山寺さんで展示されるそうですので、こちらも要チェックですね。


本能寺の変が6月2日、山崎の合戦が13日、そして左馬之助が坂本城で自害したのが14日・・・。今年の6月は何やら例年以上に「歴史ロマン」が熱い!気がいたします。。。

カテゴリー: あきつ | 明智左馬之助湖水渡り像建立計画(昭和37年) はコメントを受け付けていません