明智左馬之助湖水渡り像建立計画(昭和37年)資料が見つかりました
滋賀県立琵琶湖文化館が保管している資料のなかから、昭和37年に明智左馬之助が馬に乗って湖水を渡る姿をかたどった鉄筋コンクリート像を、琵琶湖の中に建立する計画について書かれた書類が見つかりました。
明智左馬之助(弥平次)秀満は、令和2年に放送されたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の中でも重要な登場人物の一人でしたので、印象深く覚えていらっしゃる方もおられるのではないでしょうか。
天正10年(1582)6月14日、坂本城への道をふさがれた明智左馬之助は、打出浜から馬に乗ったまま柳ヶ崎まで琵琶湖を渡り、坂本城へ帰還したと伝えられ、琵琶湖文化館前には「明智左馬之助湖水渡ところ」と刻まれた石碑が建っています。
像の建立は当時の琵琶湖文化館長(草野文男氏)が発案し、昭和36年に開館した文化館の附属施設として建立し、「琵琶湖の名物」とするとともに文化財愛護のシンボルにしたいと考えたようです。計画書を印刷し、資金調達を図ろうとしましたが、夢は実現しませんでした。
書類の中には、滋賀県出身の彫刻家であった森大造(1900~1988)が描いた完成予想図を含む「明智左馬之助湖水渡像建設計画書」が含まれています。 【PDFはこちら】
明智左馬之助湖水渡ところ (打出浜) 湖水へ乗り入れたとされる ところ |
あきつブログ2019.8/9 明智左馬之助 湖水渡りの 不思議 |
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明智左馬之介光俊駒止松 (柳ヶ崎) 湖水渡りの馬をつないだと されるところ |
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明智光秀 近江出身伝説 |
収蔵品紹介 | 「淡海温故録」 | |
研究紀要第33号 | 「淡海温故録」の明智光秀出生地異伝と現地伝承に ついて |
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