【告知】おかげさまで1万人達成!!イベント開催します♪

 あきつブログをご覧の皆さまにはお馴染みの、滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」。平成20年(2008年)にはじまり、毎年数回の講座をかさね、次回の9月16日の回で講座の総数は123回(ワン・ツー・スリー)!!!そしてなんと参加者の総数は1万人を達成します🎉🎉🎉

 

 文化財をめぐる最新の情報について、文化財保護課の専門技師や琵琶湖文化館の学芸員らが講師となって発信している「花湖さんの打出のコヅチ」ですが、ここまで続けられ、そして1万人もの方にご参加いただけたのは、ご関心をお寄せいただいている皆さまのおかげです😊本当にありがとうございます!

 さて、この参加者総数1万人達成を記念し、次回はちょっとしたイベントを開催します!

滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」参加者総数1万人達成イベント
※令和8年度滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」第5回にて開催
  テーマ:木の仏像のヒミツ
  講師:和澄浩介(琵琶湖文化館主任学芸員)
  日時:令和8年9月16日(水)14:00~15:30(受付は13:30から)
  会場:コラボしが21 3階大会議室(滋賀県大津市打出浜2-1)

 
 この講座にご参加の方全員に、琵琶湖文化館のクリアファイルを差し上げます!→→→(右の写真)当館屋上にあった「大トンボ」をあしらったクリアファイルか、教科書にも掲載されることの多い館蔵品の屏風「山法師強訴図」クリアファイル、どちらかを差し上げます✨

 また、新しい琵琶湖文化館が募集するボランティアの活動について紹介するブースを、次のとおり設けます。

◆◆ ボランティア活動紹介・アイディア募集ブース ◆◆

① ボランティア活動紹介パネル展示
 …活動イメージ(施設ガイド、ワークショップ・講座補助、資料整理等)や、募集イメージ(登録制、初年度の定員は20名程度、採用面接・研修等あり)をパネルでご紹介します。

② 活動アイディア募集コーナー
 …ボランティア活動へのアイディアを、配布する付箋に自由にご記入ください。

③ 募集情報ダイレクトメール配信登録席
 …ご登録いただければ、ボランティア募集情報をお知らせいたします。

 新しい琵琶湖文化館でのボランティア活動について、はじめてご紹介する機会です!ご興味のある方はぜひお越しくださいね~。

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秀長と七本槍の躍動、いざ賤ケ岳古戦場へ!

 近江の地を舞台にした場面が多い、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』。次週(8月23日)のサブタイトルはついに、「賤ケ岳の決闘」と予告されましたね。

 賤ケ岳合戦は天正11年(1583)4月に北近江の賤ケ岳周辺(現長浜市)で行われた、羽柴秀吉と柴田勝家の決戦です。信長死後の織田家中の実権をめぐって両雄が激突し、秀吉の弟である羽柴秀長や「賤ケ岳七本槍」と呼ばれる武将たちの活躍により、秀吉方が勝利を収めました。

 これまでドラマの中で、主役であるはずの秀長は兄・秀吉を側面から支えるサポーターとしての姿が目立ち、単独で華々しく合戦の中心に躍り出るシーンは少なかったのではないでしょうか。

 ですが、今回こそは待ちに待った大チャンス!。秀長は大活躍するはずなのです!!

 柴田勝家は天正11年3月12日、約3万の軍勢を率いて近江柳ケ瀬(長浜市)に布陣し、片や羽柴秀吉は3月19日に約5万の兵力で近江木之本(長浜市)に陣を敷いて柴田軍と対峙しました。ところが4月16日に美濃岐阜で織田信孝が柴田に呼応して挙兵したため、秀吉はこれを討つため美濃へ出陣します。

 秀吉の留守の間、秀長は木之本の羽柴軍本陣を守るとともに田上山に布陣し、佐久間盛政ら柴田軍の攻撃を凌いだのです。美濃を鎮め、4月20日の一日わずか5時間ばかりで木之本まで帰還してきた秀吉を迎えて、翌21日に羽柴軍は賤ケ岳砦などの柴田軍に猛攻撃を仕掛けます。

 
 そのとき手柄を挙げた羽柴方の若武者、加藤清正・加藤嘉明・糟屋武則・片桐且元・平野長泰・ 福島正則・脇坂安治の七人が「賤ケ岳の七本槍」と呼ばれます。七人は長浜城主であった秀吉子飼いの家臣たちで、中には近江国出身の片桐且元と脇坂安治、子孫が近江水口藩主となった加藤嘉明も含まれています。近江賤ケ岳で武功を挙げて出世の糸口を掴んだ彼らはみな、近江ゆかりの武将と呼んで差し支えないでしょう。

 一方敗軍の将となった柴田勝家もまた、長光寺城に居城した近江ゆかりの武将であることは、以前に当ブログで紹介した通りです。次回はいよいよ、「近江ゆかり」の集大成といったところ。

  振り返れば数年前、当館の井上専門幹はNHK大河ドラマ制作スタッフの皆さんによる賤ケ岳古戦場へのシナリオハンティングに同行しました。リフトに乗って意気揚々と賤ケ岳山頂へ。琵琶湖や余呉湖を一望しながら長浜市の関係者とともに合戦の様子について御説明したものです。

 スタッフの皆さんも、古戦場に設置された脇坂安治ら七本槍武将の「顔出し看板」にお顔を突き出し、ノリノリでしたよ!どのようなドラマに仕上がったか、今からオンエアが楽しみでなりません。

 みなさんもぜひ、ドラマ鑑賞とともに絶景の賤ケ岳へ足を運んでみてください!

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大盛況御礼!地域連携企画展「聖衆来迎寺の名宝」虫干会

 本当に多くの方々にお越しいただきました!
 8月16日、大津市の聖衆来迎寺にて開催した琵琶湖文化館地域連携企画展「聖衆来迎寺の名宝」虫干会。1日限りの特別公開はこちらの想定を上回る人波となり、午後2時には用意していた解説リーフレットが無くなってしまうほどの賑わいに。嬉しい悲鳴を上げる展開となりました♪

 また、同時開催した滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」も大盛況。 午前・午後の2部制(各回定員20名)でしたが、ご当選された皆様が誰一人欠席されることなくご参加くださり、講演とギャラリートークをお楽しみいただきました。

 講演の講師を務めたのは、「打出のコヅチ」ではすっかりお馴染みの井上優専門幹(滋賀県文化財保護課兼琵琶湖文化館)。「聖衆来迎寺」という寺号の由来をはじめ、”比叡山の正倉院”と称される貴重な寺宝の数々をスライドで紹介されました(盛りだくさんすぎて紹介しきれなかった?!)。
さらには、お寺と琵琶湖文化館との長年にわたる深いご縁についても語られ、 参加の皆さんも熱心に耳を傾けておられました。

 そしてこちらはギャラリートークで特に関心を集めた国宝「六道絵」の解説シーン。解説を担当した当館の久我学芸員の声が、皆さんにしっかり届いていれば良いのですが…。とにかく前のめりになる皆さんの熱気がすごかったです(笑)!

 ほかにも重要文化財の客殿に設えられた狩野派絵師による美しい襖絵や、織田信長の孫・三法師の(大人になった)織田秀信の肖像画、明智光秀の書状など、歴史に名を残した人々の足跡も垣間見ることができました。また、聖衆来迎寺の復興に尽力された慈眼大師天海の杖や念珠などからは往時の苦労が偲ばれ、「これぞ虫干会にふさわしい遺品」という井上専門幹の説明に、皆さん深く頷いていらっしゃいました。

 ギャラリートークの締めくくりは、県指定文化財の「六道絵」です。国宝「六道絵」の模写として江戸時代に描かれた作品ですが、彩色が非常に美しく、六道の苦しみや悲惨さがとてもリアルに描かれています。

 「こちらの地獄はまだまだ序の口…」「ノコギリでミンチのように切り刻まれて…」「この悲惨な状況が2,000年繰り返される地獄…」といった、 子どもが聞いたら泣き出してしまいそうな恐ろしい内容も、井上専門幹の巧みな話術にかかれば、なぜか会場からはクスリと笑いが(笑)。 まさにスバラシイ「絵解き」の時間となりました! ちなみに、「最後は念仏を唱えれば救われる」という説明を聞いて、大人の参加者の皆さんがホッとした表情を浮かべていたのも印象的でした(笑)。

 今回、縁あって連携展を開催させていただいた聖衆来迎寺さま。多岐にわたるご宝物の数々が往時の歴史や文化を物語り、その奥深さを堪能させていただくことができました。

 毎年開催されている虫干会は、お寺さまのご尽力と、それを支える地元の世話方の皆様のパワーがあってこそ成り立っているのだと思います。今回連携させていただいた当館としましても、 現場で感じた熱気やエネルギーは大変貴重な体験となりました。この学びを、これからの新しい琵琶湖文化館における展覧会活動へしっかりと繋げてまいります。

 開催にご協力いただきました皆様、そして暑いなか会場へ足をお運びくださった皆様に、心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました!

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1日限りの地域連携企画展 8/16開催します!「聖衆来迎寺の名宝」虫干会

 皆さん、今年のお盆休みの最終日のご予定はお決まりですか?
「大津にお出かけ」……ふむふむ。

 ちなみに大津のどちらまで?
「比叡辻にある聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)」へお参りに? …… なるほど。

 なになに? 「普段は公開されていない寺宝の数々が特別公開される『虫干会(むしぼしえ)』を見に行く」と??……奇遇ですね! 私たちもです!!

 改めまして、皆さんこんにちは。8月16日(日)、大津市比叡辻にある古刹・聖衆来迎寺に私たちも駆けつけます!

 現在休館中の当館が、毎年県内各地で実施してきた「地域連携企画展」。今年は「比叡山の正倉院」とも称される聖衆来迎寺さまを会場に、1日限りの地域連携企画展「聖衆来迎寺の名宝」虫干会を開催いたします!!

 長年「あきつブログ」を愛読してくださっている皆さまなら、すでにお気づきかもしれません。当館ではお盆の恒例行事として、寄託品の一時返却を行っています。そう、実はこの「虫干会」は毎年実施されている行事なのです。普段は当館や京都・奈良の国立博物館などに寄託されている絵画や工芸品といった貴重な文化財が、この日に合わせて一堂に里帰りし、地元で公開されてきました。

 今年は、この虫干会を当館が全面的にバックアップ!地域に伝わる歴史や文化財を「身近な宝」として多くの皆さまに感じていただきたいという思いから、展示の面でもご協力させていただくこととなりました。

展示作業の様子

 おかげさまで、当日実施する関連企画・滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ④」(講演&ギャラリートーク)は、午前・午後ともに受付開始早々定員に達する好評ぶり! 皆さんの「見たい」「知りたい」という熱意、しっかりと私たちに届いております!!

 残念ながら講座の参加受付に間に合わなかったという方も、ご安心ください。虫干会自体は9時~16時まで開催されておりますので、ぜひ足をお運びいただき、寺宝の数々をご堪能いただければ幸いです🌟

  (会場へは、この「のぼり旗」が目印です♪→→→)

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「聖衆来迎寺の名宝」虫干会展で、大河登場予定の三法師に会おう!

 NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」に注目してきた本ブログ、近江ゆかりの明智光秀も退場して少し寂しい気分です。
 しかも!次週の8月2日はお休み(放送休止)で、次回放送は8月9日の第30話「清須会議」となるそうではありませんか⁉一層寂しいニュースです。
 ですが、楽しいニュースもありますよ~!

 

「清須会議」は天正10年(1582)6月27日に羽柴秀吉が主導して尾張清須城で行われ、織田家後継者を信長の孫・三法師(織田秀信:1580~1605)に決定した会議としてあまりにも有名です。

 歴史ドラマ定番のハイライトシーンは、秀吉が幼い三法師を左肩に抱き上げ家臣らを睥睨し、「上様の御前である、頭が高い!」と一喝する場面です。江戸時代刊の『絵本太閤記』で初めて絵に表現されたこのシーンは、浮世絵や歌舞伎などで繰り返し描かれて、今や日本人の常識と化した感があります。

 三法師こと織田秀信(1580~1605)は信長の 嫡男・信忠のさらに嫡子(嫡孫)で、織田家第三代の当主となりました。安土城、坂本城、さらに岐阜城などを転々とした後、天下を掌握した秀吉のもとで元服して秀信と名乗り、のちに羽柴姓を与えられて「岐阜中納言」と呼ばれるに至ります。洗礼名をペトロと称したキリシタン大名でもありました。

 慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦では西軍に属して岐阜城で籠城し激戦したものの降伏し、高野山に送られます。さらに慶長10年、高野山からも追放されました。その後まもなく死去しますが、最期を迎えた事情については諸説あり、詳しいことはよくわかっていません。

 ところが、この織田秀信が聖衆来迎寺で供養されているのです!母の徳寿院とともに当寺に位牌があり、肖像画も存在します。本ブログでは同様のエピソードが他にも森可成陰優妙森禅定尼(浅野長吉母)と相次いでいますので、「またか」と思われ誰が誰だか混乱されているかも知れません。ですが、今回のお方は琵琶湖文化館に肖像画が寄託されているのでわかりやすい(ハズ)!これが、大人になった三法師のお姿です。聖衆来迎寺には、実に多くの戦国武将とその家族が関わっているのです。

 8月16日(日)開催の地域連携企画展「聖衆来迎寺の名宝」虫干会で、織田秀信肖像画の実物を展示します!御来寺の際には『要チェック』ですよ~♪

※ちなみにこの肖像画、8月9日(日)までは大津市歴史博物館で開催中の企画展「豊臣秀吉と大津」(前期展示)でも公開中ですので、16日に御来寺になれない方については、そちらでも御覧になれます。

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聖衆来迎寺は浅野長吉の母を弔った 何ゆえに?

 あきつブログ的:久しぶりにNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の話題です!
  藤堂高虎、宮部継潤、織田信澄ら近江出身、もしくはゆかりの深い武将が多数活躍しているこのドラマ、触れたいエピソードは多いのですが、前回(7月19日)は「本能寺の変」を受けて、秀吉の居城・長浜城へ走りねね(演:浜辺美波)をはじめ女性たちを救出する浅野長吉(演:大地伸永)の姿が描かれましたね(史実として、脱出劇に長吉が関与した可能性は低いですが)。

 浅野長吉(長政、1547~1611)は秀吉の一門衆として活躍した著名な武将です。尾張国に父・安井重継と母・浅野氏(実名は不明)との間に生まれ、叔父である浅野長勝の養女・やや(演:増井湖々)の婿養子となりました。同じく長勝の養女となっていた、ねねが秀吉に嫁いだことから、長吉は織田家臣団の中でも早くから秀吉の与力として活動していたようです。

 そうした近しい関係から、長吉は本能寺の変後も秀吉に仕えて中国大返しや山崎合戦、賤ケ岳合戦などで功績を挙げ、天正11年(1583)8月に近江瀬田城(大津市)2万石余の城主となり、同年11月には坂本城へ移りました。同14年に秀吉の命で坂本城を廃城して大津城を築城することになりますが、それまでの間長吉は坂本城主として城下を治めていたのです。

重要文化財 聖衆来迎寺表門
(旧坂本城の城門遺構)

 文禄4年(1595)11月14日、長吉の実母が亡くなりました。そのお弔いは旧坂本城下の聖衆来迎寺で行われたようで、同年に作成された『来迎寺過去帳』の中に、年間物故者の一人として「陰優妙森禅定尼 浅野弾正様御母」の名が見えます。

 (聖衆来迎寺所蔵)

 お墓も同寺に存在したようですが、墓石銘の摩滅も進んでどのお墓がそうなのかは特定に至っていません。

(聖衆来迎寺所蔵)

 浅野長吉の実母については伝えられるエピソードが少なく、現在までの段階で大河ドラマの中での登場もありません。しかしながら、法名からおして息子や一族の安寧を陰から支え、優しく見守った女性だったのではないでしょうか。そうした女性が、息子(長吉)や孫(幸長)が近江国を離れて甲斐国に転封していた文禄年間に、聖衆来迎寺に葬られた事情についても謎があります。

 長吉の母は、息子たちが近江を離れた後も琵琶湖を望む聖衆来迎寺の近くに隠棲し、静かな晩年を過ごしたのかも知れません。
 

 8月16日に聖衆来迎寺を会場に開催する滋賀県立琵琶湖文化館地域連携企画展「聖衆来迎寺の名宝」虫干会では、謎を秘めた『来迎寺過去帳』の実物も展示します!みなさんも御覧になって、戦国のロマンに思いをはせてください。

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滋賀の文化財講座『花湖さんの打出のコヅチ』第3回 書は人格なり!

 7月15日、滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」の開講日。
 大津市の日中の気温は34.6℃!猛暑日に迫る暑さの中、会場にお越しいただいた皆さま、誠にありがとうございました♪第3回目となる本講座、その内容も気温に負けずアツかった!!今回は「昭和100年の書画」と題し、当館の寺前公基学芸員がお話しさせていただきました。

 「書にはあまり興味がなかった」とおっしゃっていた皆さま……実は、そうではなかったでしょう!?「難しそう」「とっつきにくそう」と言われがちな書の世界。 なのに、寺前学芸員の講座では、なぜか会場から「クスッ」と笑いが起こり??今回の講座も、いたるところに「驚き」と「納得」、そして「笑い」が散りばめられていました♪
 

 まずは、琵琶湖文化館が開館した翌年の展覧会「ここ百年書蹟展」を振り返り。当時の会場の様子を伝えるモノクロ写真を紹介しつつ、(自慢ではないですが…と控えめながら)この展覧会が戦後の日本の博物館全体においても「書」を特集した画期的なものであった、と評価(やっぱり大自慢!笑)。
 当時、なぜその作品が展示されたのか? そこに隠された意図や館としての熱い意気込みを、作品の解説から丁寧に紐解いていきました。

昭和37年に開催された「ここ百年書蹟展」
(テレビ取材の様子)

 あまりにも詳しい解説に、「寺前学芸員、もしや当時その場にいたのでは…?」と思ってしまうほど!(ないナイ、それは絶対にないです。笑)

 明治から昭和にかけての作品が並んだ「ここ百年」展でしたが、その後の琵琶湖文化館の歴史(ここ64年間)の中で、新たに『中国の皇帝によって書かれた希少な書』が寄託されたというビッグニュースも明かされました!!マジですかっ!!!(気になる方は、ぜひ講座のチラシをよーくご覧くださいね★)

これは講師の名前の篆刻

 お話はさらに、昭和の書の特徴へと進みます。昭和の書が大きく発展した背景には、「調和体(漢字かな交じりの書)」や、実印などにも使われる古くて新しい書体「篆書(てんしょ)」の普及があったとのこと。講座では、東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)や小野成鵞(おの せいが)、大田左卿(おおた さきょう)らの名筆を詳しく解説。さらに、ハンコに刻まれる「篆刻(てんこく)」に豊かな絵画性と芸術性を見出し、世に広めた大津出身の篆刻家・園田湖城(そのだ こじょう)の功績と、その個性あふれる作品も紹介されました。

 昭和という時代、書が文人趣味の世界から現代的な「芸術」としての創作へと進化し、より個性的な表現が求められるようになった・・・。寺前学芸員は、その一端には「博物館で作品が展示され、一般の人々が過去の名筆を目にする機会が増えたこと」も大きな要因だったと語ります。=す・な・わ・ち=「それこそが、まさに琵琶湖文化館がこれまでやってきたこと!そして、その意志は新しい琵琶湖文化館へも、絶対に引き継いでいく!」と、力強い宣言も飛び出しました!

 ねぇ皆さん、新しい琵琶湖文化館で、当館が収蔵する素晴らしい書の作品を見るのがとっても楽しみになりましたよね!さらには、「令和の皆さんが書く個性的な書を展示する、ギャラリースペースとしてもぜひ活用してほしい!」という、呼びかけも。 これは今から本当に楽しみです!!

「昭和100年」という演題から、琵琶湖文化館の歴史とその存在意義、そして新しい琵琶湖文化館へのバトンまで、見事に語りまとめ上げられた今回の講座。「書は人格なり!」 —そう熱く語り、書をこよなく愛する寺前学芸員…さすがでございます!(笑)!

 では最後に皆さまへ、復習を兼ねたプチクイズです!

Q1. この篆刻(てんこく)の読み方は「益」。では「覚え方」は? (※ヒント:この漫画を知っているアナタは、ズバリ昭和世代?!笑)

Q2. 150年前に中国で「竜骨」を買い求め、甲骨文字を発見した人物の名前は?

――おやおや?講師先生のギャグのセンスについては……もう少し鍛えていただいた方がよろしかったかしら??(おぉいぇ~い!)

気を取り直して、最後の問題です。

Q3. 琵琶湖文化館の「中の池」でボートに乗り、吉井勇の歌碑にたどり着いて、真剣な表情で拓本を採り、その出来栄えに超ご満悦♡だったのは、一体どこの誰??

(ここ一番、皆さんに笑ってもらえたかも?!良かったですね♡寺前学芸員!)

〔詳しい内容を知りたい方は6月23日付けのブログをご覧ください🌟〕

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『湖国と文化』夏号の特集は「書の国・近江」です!

 いよいよ本格的な夏の到来を予感させる今日この頃・・・、滋賀県の文化を情報発信する『湖国と文化』196号(2026年7月夏号)は、「書の国・近江」の特集です。

 「書」を取り上げてくださるなんて…これまであまりなかった試みの特集は、昨年より熱い要望があり、県文化財保護課職員と琵琶湖文化館の書跡担当学芸員がタッグを組んで、原稿執筆と写真撮影を行いました。お声がけ感謝、感謝です。

〈祈り・求法の器〉として「延暦寺の書」「三井寺の書」「石山寺の書」と近江の名刹に伝わる書からはじまります。〈歴史の証言者〉として「近江の墨蹟」「雨森芳洲と朝鮮通信使の書」「幕末の雄藩と明治の三筆」…、全部言いたいところですが、そちらは本誌でご確認ください。充実のコラムは、県内の文化財にかかわる執筆者たちによる多彩なラインナップとなっていますので、ご期待ください。

 掲載している作品は、国宝・重要文化財の名品のほか、琵琶湖文化館収蔵品からは、旧膳所藩士・斎藤求の旧蔵品を中心に構成された「斎藤虚心斎コレクション」、昨年寄贈を受けた「中神コレクション」も含まれています。また、昨年度に県指定文化財となった近江八幡市・大圓寺所蔵の「浄土和讃断簡」もお披露目です。

 そのほか、誌面には琵琶湖文化館の彫刻担当、和澄学芸員による好評連載「近江の里の仏たち」も掲載されています。これは見なきゃ損、損!

 できあがった本誌を見て、「近江の書の特集なんて、二度とないかも!?」という実感もありますが、第2弾、第3弾があるのかないのかは、この特集の反響次第ですので、ぜひご覧ください!

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『花湖さんの打出のコヅチ』第2回ご質問にお答えします✨

 去る6月17日(水)に、令和8年度滋賀の文化財講座『花湖さんの打出のコヅチ』第二回「八景とその絵画」を開催しました(6/18付ブログ)!アンケートではさまざまなご感想をいただき、中には素敵な「自分八景」(?!)を書いていただいた方もいらっしゃいました😊
 さて、アンケートの中で、最も多かったある質問に、担当学芸員がお答えいたします。

Q. なぜ「八」景なの?

 ご質問ありがとうございます!この話題、担当学芸員も講座の中でお伝えしたかったのですが、時間の都合上、泣く泣く端折ってしまったところなのです💧

 なぜ「八」景なのか、決まった説はいまだありませんが、「八」という数字が持つ意味から、ある程度その成り立ちを想像することができます。

 数字の「八」は東アジアの漢字圏において、「八方(はっぽう:あらゆる方角の意)」「八紘(はっこう:全世界の意)」「八洲(やしま:数多くの島、転じて日本全土の意)」というように、全ての方角・場所を表す際に使われます。

 身近な例で言えば、誰に対しても(どの方向にも)愛想よく振る舞う人を「八方美人」と言ったり、どの方面にも差し障りがあって手の打ちようがないことを「八方塞がり」と言ったりしますよね♪

 このように考えると、「八」という数字は、ある地域の風景の「すべて」を一言で表すのに、ぴったりの数字に思えてきませんか?「瀟湘(しょうしょう)八景」や「近江八景」など、数字の「八」を使った呼び方は、瀟湘や近江の風景を一言で言い表すものとして、捉えられてきたのかもしれません。また、選ばれた八つの景色は、その地域全体を代表する、つまり「この八つさえ押さえればあなたも○○(瀟湘/近江)通!」と見なされる景色だったのかもしれません。

 また、風景の名称に数字が使われたこと自体も重要です。数字には創作意欲を掻き立てる魔力がある、と言われることがあります。アンケートで「自分八景」を書いてくださった方は、まさに数字に創作意欲を掻き立てられてしまった実例と言えるのではないでしょうか✨

 講座では、元祖八景である中国・瀟湘八景に憧れたかつての日本人たちが、様々に独自の八景を創作していったことをお伝えしました。今の日本に、近江八景をはじめとする八景が数多く残っているのは、たくさんの人がこの「八」という数字の魔力に魅せられた結果なのかも??みなさまも気の向くままに自分だけの八景を作ってみてはいかがでしょうか🌟


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琵琶湖の上で拓本(たくほん)~こんなお仕事もあります!~

 梅雨の晴れ間となった6月某日、ライフジャケットを着用し、長靴をはいた学芸員が舟に乗って出動しました!その行先は・・・。

 琵琶湖文化館の中池には、歌碑が建っています。 歌碑には、吉井勇(1886~1960)が書いた「うつしよの夢にうつつに見せしめぬ琵琶湖の上に浮かぶ美の城」の和歌が彫られています。歌の作者である吉井勇は、歌人として知られる他、脚本家や小説家など多彩な顔を持っている文化人です。歌碑は、昭和36年3月20日の開館時に銭高組より寄贈され、当日は除幕式が行われました。当館の情報誌の「浮城」という名前は、この歌碑から取られています。

 ところで、皆さんは「拓本(たくほん)」ってご存じでしょうか?拓本は、石などに刻まれた文字を墨を使って紙に写しとる、昔から伝わる技法です。難しそうと思われた方、いえいえ、お家でお金やコインの上に紙を置いて鉛筆で擦(こす)ったことはありませんか?それも拓本です。

 こういった大きなものを採る場合は、和紙を水で濡らしてタオルで貼り付け、表面が乾かない内に「練墨(ねりずみ)」という油を多く含んだ墨を付けていきます。

 
  墨を丁寧に少しずつ付けていくと、文字がみるみる浮かび上がってきます。た、楽しい!と、今月イチでテンションの上がる学芸員!!


 湖岸沿いを歩く人たちも「何やっているのだろう?」と思われたかもですが、気にせずどんどん墨を付けていき、紙がはがれる寸前までに取り終えることができました。
 本日の労働成果は拓本3枚!次回はぜひ全面を1枚の紙に収めたい・・・新たな野望を抱く学芸員なのでした(笑)。

 こうやって拓本を残しておくことは、石碑などが万が一失われた場合でも、大切な記録となります。このような、墨や紙以外は身近な道具で手軽にできる拓本の魅力を知っていただければ幸いです。

 今回採った拓本は、碑文に刻まれた文字の原本にあたる実際の掛軸とともに、お披露目される機会があるかもしれません。こうご期待!

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滋賀の文化財講座『花湖さんの打出のコヅチ』第2回 あこがれ八景

 6月17日に開催しました滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」第2回。講師を務めたのは今年で3回目の登壇、当館で絵画担当の萬年香奈子(まんねんかなこ)学芸員です。「見やすいスライド」「聞き取り易い話し方」を心がけ、準備万端で臨んだ今回の講座。若手学芸員のひたむきな努力の成果が、皆さんにしっかり届いていれば嬉しいです♪

 
 さてさて、そんな講師が選んだ今回の講座タイトルは『「八景」とその絵画』。 ・・・でも、ちょっと待ってください。本講座は“滋賀”の文化財講座です。「八景」と言ったら、当然「近江八景」と思って参加された方も多かったのでは?・・・ところがどっこい! 講座は“驚き”がいっぱいの内容でした。

 まずは近江八景のルーツとなった、中国の「瀟湘(しょうしょう)八景」から始まり、日本各地に広まった数々の「八景」を作品とともに紹介。そして、お待ちかねの我が「近江八景」の特徴へと、1時間半の講座で見事にまとめ上げました♪


 中国で11世紀の書物に登場し、元祖「八景」とも言われる瀟湘八景。
・・・おやおや、これって近江八景にそっくりな情景じゃないですか!? もしかせずとも近江八景ってすごいのでは!?

 ところ変わって、日本各地の八景。
・・・近江八景のほかに、こんなに様々なご当地「八景」があるなんて知らなかったー! でも、内容を詳しく見ると、元祖の要素を完全にコンプリートしている地域は少なく皆さんオリジナル感にあふれています。
・・・おやおや? となれば、元祖・瀟湘八景にそっくり(完璧にリスペクト)な近江八景は、やっぱりすごい!?日本にある八景の『代表』を自負させていただきま〜す♪

 滋賀県民は信じています。他府県の方に「日本を代表する八景は?」と問いかければ、全員が「近江八景!」と答えてくださることを・・・。今回、作品に表現された様々な「八景」があることを知り、さらにお国自慢の度合いが高まった滋賀県民です♡身近にあるいつもの風景が、実は美しくも歴史ある憧れの風景なのだということ。それが、私たちの誇りです🌟

【受講した皆さんのご感想 】
近江八景にモデルがあったとは思いませんでした。
実例が多く分かり易かった。テーマが興味深い。
古くから近江という地が人々のあこがれの地であったこともよく理解できた。
近江八景に描かれた風景が現在も大津に残っているのが誇らしい 。
水墨画や工芸品に近江八景が描かれているのは面白い。「憧れの風景」をいつでも見られるところに住んでいて幸せです。

講師を務めた萬年香奈子学芸員
(琵琶湖文化館)

 今回の講座を通して、地元・滋賀の素晴らしさを再認識していただけたようで、講師もホッと胸をなでおろしていました(笑)。

 なお、アンケートにお寄せいただいた疑問・質問には、後日、本ブログにてお答えする予定ですので、こちらもお楽しみに♪

 ちなみに今回の講座、なんと滋賀県から中国湖南省に派遣されている「滋賀県誘客経済促進センター」の所長さんや湖南師範大学の先生も、オンラインで視聴されていました。湖南省…そうです皆さん! 元祖八景「瀟湘八景」の発祥の地!本場の八景では今、一体どんな景色が広がっているのでしょうか??

 「八景」でつながり、「八景」をきっかけに、観光面でも更なるご縁で結ばれますよう、滋賀の魅力を現地から大いに発信していただきたい!

 ここで文化館学芸員は声を大にして言いたいと申しております。
   願わくは、「八景」の研究調査で現地に行きたいと!
 ・・・よしっ!世界にはばたけ! 近江八景!(と文化館学芸員!!)

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仏像撮影の舞台裏 in 聖衆来迎寺

  5月某日、徐々に夏へと近づく日差しを浴びて学芸員が向かった先は、大津市比叡辻の聖衆来迎寺。仏像の撮影という貴重なお仕事をしてきました!

 現場に到着したらまずは撮影する場所を考えます。像を移動させられるか、機材を全て置けるか、天井の高さは充分かなど、考慮すべき条件は色々あります。それらを踏まえて、限られた空間の中で撮影場所を吟味していくのです。ベストな場所が決まったら、機材をセッティングして早速撮影を……と、その前に大切な準備が待っています。

それは、毛筆を使って細部のほこりや汚れを丁寧に払う作業。写真うつりのためだけでなく、保存のためのお手入れという意味でも、万全の状態になっていただいてから撮影に臨みます。

 
 

 
 

 仏像の撮影で最も重要なのは、ずばり光の当て方。同じ仏像でも、光の角度によって表情や質感がガラッと変わってしまうのです。そこで私たちは、明るさを細かく調整しながら何枚もシャッターを切ります。さらに、像をぐるぐると動かして、正面、背面、斜め、顔のアップ、はたまた像底など、あらゆる角度からその姿を記録していきます。
 こうして入念に撮影した写真は、学術研究や書籍の図版として活用されていきます。鑑賞の面でも学術の面でも、仏像の魅力を最大限お伝えできる写真を目指して……数時間に渡る撮影、完了しました!

  さて、今回撮影させていただいた聖衆来迎寺さんは、毎年夏に「虫干会(むしぼしえ)」を開催して、寺宝を公開されています。以前もお伝えしましたが(4/27付ブログ)、今年はなんと私たち琵琶湖文化館の地域連携企画展とコラボレーションしちゃいます!

  聖衆来迎寺の歴史をめぐる、より充実した内容となるように準備を進めていますので、ぜひお見逃しなく!

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滋賀の文化財講座『花湖さんの打出のコヅチ』第1回 鉈彫り像を深掘り

 皆さま、ご参加いただけましたでしょうか?
 
 今年度初となる滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」が5月22日に開催されました♪大津市打出浜のコラボしが21大会議室のメイン会場、また、彦根・米原・日野のサテライト会場にも、多くの熱心な受講生の方々がお越しくださいました。今年も皆さんにお会いできて嬉しいです🌟

 開催に先立ち先ずは当館の恩地衛館長より一言ご挨拶。今年で開催19年目という、誠に息の長い本講座を支えてくださっている皆さまに感謝の気持ちと、新しい琵琶湖文化館についての近況をご報告させていただきました。 

 そしていよいよ、打出のコヅチの一振りが滋賀の宝の魅力を語りだす講座の始まりです。今回“振るわれた”のはコヅチだけぢゃない?!
 

講師の飯村建成技師
( 滋賀県観光文化スポーツ部文化財保護課 )

 記念すべき第1回の講師を務めたのは滋賀県観光文化スポーツ部文化財保護課の飯村建成技師です。昨年着任したとは思えない(!?)堂々とした話しっぷりで、「新・県指定 長福寺木造阿弥陀如来坐像の魅力」を余すところなく語っていただきました🌟(アナタハ本当ニ2年目ノふれっしゅまん??(笑))

 近年では、新たに『県指定』有形文化財が決まるのはだいたい3月頃。私たちがいる滋賀県にとって大事で貴重で素晴らしいものが指定され、その一報に私たちは「わぁ~」「へぇ~」「ほぉ~」「やったぁ」などの感想を持って新聞等の紹介記事を読み込むわけです。が、飯村氏はその選定に「奮闘する側」の立場にいらっしゃいます。県として指定するに相応しいかどうかを審議会に諮るため、調査・研究を重ねて来られました。その苦労は、一体の仏像をテーマに1時間30分の講座を語ることが出来る(!)ほどの熱量をお持ちです。いやぁさすが!

 特に今回紹介された長福寺の阿弥陀如来坐像は、何と言ってもその特徴的な「鉈(なた)彫り」が魅力。[皆さん学習しましたよね~「ナタ」彫りと言っても本当に「鉈」で彫られているわけではなく「ノミ(鑿)」跡でした!]
 スライドで拡大された画像を見てみると、なるほど場所によってノミ跡の違いが分かります。「ザクザクのノミ目は荒々しくてダイナミック、まるで目の前で彫られているかのような繊細な感覚をみてとることができる」と飯村氏は表現されていました。う~んまさしく!

 指定に際し、他の類例と比較しながら制作年代を検証されることも学びました。 県内で見ることができる国・県指定の鉈彫り像の作例は、本日の配布資料に5件ほど掲載されていますので、そちらで復習を。他県で紹介されていたのは、神奈川県・宝城坊の木造薬師如来坐像、岡山県・安住院の木造聖観音立像、福井県・大谷寺大長院の木造不動明王立像、京都府・西住寺の木造宝誌和尚立像などなど、それぞれに特徴的なお姿です。鉈彫り・・・これは確かに、ハマる!

 受講後のアンケートには「仏像についての見方が変わる」「実物にお会いしたい!」「鉈彫りがとても美しく見えるようになりました」「“兄弟仏”の存在という話が面白かった」等のご感想をいただきました。講師の励みになるオコトバ、どうも有り難うございました(笑)。
 ノミ跡を残す鉈彫りが「完成」か「未完成」か、皆さんのご意見はどっち??
 魅力の尽きない滋賀の文化財。これからも皆で一緒に、注目していこうではありませんか!

 今回紹介された長福寺の木造阿弥陀如来坐像は、現在琵琶湖文化館に寄託されており、ホームページの収蔵品紹介で詳しくご覧いただくことができます。新しい琵琶湖文化館が開館した暁には、ぜひ実物を・・・皆さん、見たい?・・・見たいですか、そうですか!今から学芸員さんにリクエストしておきましょ💛

  次回は6月17日(水)第2回「八景」とその絵画 です。皆さま奮ってご参加ください♪ [申込はコチラ

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あの取材がついに放送されます!

 皆さん、今年の1月の大寒波の中、当館が取材を受けていたのを覚えていらっしゃるでしょうか?

 そうです、あの作品が遂にデビューします!その番組は毎週水曜日の午後10時よりNHKにて放送中の「歴史探偵」で、5月6日(水)放送のタイトルは「豊臣兄弟!コラボ 浅井長政と市」


  勘のいい皆さまならあの作品か!と思い出されるかも?当館が収蔵する浅井賢政の書状がお披露目されます。その書状は、賢政時代の若き日の長政の貴重な書状で、林檎一籠を贈られたことに対する御礼をしたためたものです。

 いやー、言いたかった、すぐに、皆さんに、お伝えしたかった!

 ですがそこは「豊臣兄弟!」の放送中・・・5月3日の「小谷落城」を終えてからの放送とあって、口を塞いで悶々とする日々。。。真実に迫る『歴史探偵』、満を持してようやく解禁です!

 とはいえ、取材当時のブログには、あきつ君がしれっと林檎を持って、ちゃっかりヒントを出していましたよ~♪気付いてました?

 放送は豊臣兄弟!とのコラボということで、ゲストも豪華に見どころ満載(!)とうかがっています🌟 そんな中、琵琶湖文化館はいつ出てくるのか?(どれくらい映っていられるのか??)乞うご期待!!

 春なのに(?!)、大寒波の寒さに耐えつつ熱く語る、学芸員の表情にもご注目ください!(笑)!

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大河ドラマ初期メンバー〔森可成(よしなり)〕は近江の聖衆来迎寺で眠る! なにゆえに?

 
 NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、比叡山焼討ちが描かれました。罪なき女性や子どもたちを「なで斬り(皆殺し)」する信長の方針に葛藤する秀吉と明智光秀。とくに光秀の苦悩ぶりを俳優の要潤が好演したことが、ネット上の話題となりましたね。今回のドラマは豊臣兄弟が主役なのですが、明智光秀らの立場や思いにも寄り添った、繊細な描写が光っています!
 


 さて、ドラマでは焼討ちの前哨戦となった「志賀の陣」(元亀元年9月)で、織田家の家臣として初回から出演してきた「初期メンバー」のひとり、森可成(もり よしなり・1523~70 演:水橋研二)が壮絶な戦死を遂げるシーンも描かれていました。

 可成は槍の名手として知られ、いかなるときも信長の忠実な家臣として身命を賭して働きました。森蘭丸(成利)らの父としても知られ、子らの多くも信長のために戦死しています。

 その亡骸は、戦場近くの聖衆来迎寺の住持であった真雄上人が引き取り同寺に葬ったと伝えており(『来迎寺要書』)、今も境内に森可成の墓があります。

森可成の墓(大津市・聖衆来迎寺)

 現在の墓石は寛文10年(1670)、可成の百回忌を機に子孫にあたる美作津山藩主・森長継らが建立したもので、瑞垣に囲まれた三段の基壇上に、大きな石造五輪塔がそびえ威容を誇っています。

 ドラマでは大津市の宇佐山城で戦死したように描かれていましたが史実はそうではなく、城主を務めていた宇佐山城から出撃して坂本の町はずれ(下坂本)で北国街道を封鎖。数に勝る浅井・朝倉連合軍を相手に奮戦しますが「下坂本瀬戸在家」の地で討ち死にしました。

 聖衆来迎寺(大津市比叡辻二丁目)には他にも明智光秀が坂本城の城門を移築させたと伝える重要文化財表門など、織田家家臣ゆかりの歴史をしのぶ遺産があります。

 さらに!毎年8月16日に聖衆来迎寺では貴重な寺宝を展示公開するお盆の風物詩「虫干会(むしぼしえ)」が行われていますが、今年はふだん琵琶湖文化館に寄託されている寺宝の里帰り展示などを含めた「地域連携企画展」として開催します。詳しい内容については、追って当館HPなどで発信しますので、ぜひご注目くださいね!

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滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」受付開始!

「もうそろそろチラシ出来てますかいな?」
  ・・・たった今、納品されたところです!
「申込をしたいのですが。」
  ・・・23日(木)からです!
「(館の前にある)掲示板を見て電話してます。」
  ・・・今すぐチラシをお持ちします!

 開催告知から1週間、いやぁ皆さんの “待ちに待った感” あふれる反応が、今年もとても嬉しい(笑)。

 令和8年度 滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」受講申込み、本日より受付開始です!

  平成20(2008)年以降、毎年実施している本講座は、今年で19年目を迎えました。継続は力なり!
 これまでに開催した講座の延べ参加人数も “夢の大台” に迫る勢いの “大人気講座”へと成長しています(自ら言ってしまっているあたり、スタッフの図太さも年々増し増し♪)。

 皆さんは過去にどんな講座に参加されましたか?特に今年、参加するとイイコトあるかも💛ですよ?!

 さぁ、令和8年度の「打出のコヅチ」を始めましょう!近江の文化財をめぐるその最新の情報について、県文化財保護課の専門技師や琵琶湖文化館の学芸員らが熱く語ります。

 講座のメイン会場は、大津市打出浜のコラボしが21 3階大会議室。いつもの“あの”会場で7回の座学を行い、あわせて大津市内(聖衆来迎寺)で1回の現地講座を実施。\全8回/充実のラインナップで、皆さまをお迎えします。
 オンライン配信でつなぐサテライト会場も5施設が協力して下さっていますので、皆さんの参加しやすい会場で、気軽にご参加ください♪全会場受講は無料!(※現地講座は観覧料必要・申込受付7/16~)

【第1回】5月22日(金)
「新・県指定 長福寺木造阿弥陀如来坐像の魅力」

メイン会場の参加申込は、当館へ!
  [電 話]077-522-8179
  [FAX]077-522-9634
  [web受付フォーム]こちらをクリック

 サテライト会場への申込など詳しくは[こちらをチェック]!皆さまのご参加を心よりお待ちいたしております☆彡

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「金ヶ崎城跡碑」その内容に迫る!

金ヶ崎古戦場碑(福井県)

 前回、ご紹介しました金ヶ崎城跡には、滋賀県知事の籠手田安定(こてだ やすさだ・1840~1899)が文を書いた石碑があります。敦賀にある石碑になぜ滋賀県知事が!?という謎については、ブログを読んでいただけると、なるほどー、と思っていただけるかと。

 さてさて、実は琵琶湖文化館には、金ヶ崎城跡碑の拓本が所蔵されています!何という幸運!!明治11年(1878)8月12日、滋賀県令の籠手田安定が撰文し、熊谷武五郎(くまがい たけごろう・ 1842~1902)が本文と額の文字を書きました。熊谷武五郎は、出羽国仙北郡(現在の秋田県仙北郡)にある社家に生まれ、幼い頃より国学を学び、岩倉具視や渋沢栄一にも一目置かれた人物です。習字も得意とした武五郎ですが、なぜここに!?と思われるでしょうが、熊谷はわずか6年だけ存在した敦賀県の初代知事だったんですね。その敦賀県は、明治9年(1876)8月21日に滋賀県に合併されます。海あり滋賀県がここに生まれましたわけですが、この石碑は、敦賀県と滋賀県との共同制作ともいえるでしょう。

金ヶ崎城跡碑(拓本)琵琶湖文化館所蔵
[写真をクリック:拡大画像を見る事が出来ます]

 その碑文の内容は、次の通りです。後醍醐天皇擁する南朝の忠臣である新田義貞(にった よしさだ)は、北朝方との戦を経て、恒良親王、尊良親王を奉じて北陸に赴きます。北朝からの迎撃をこの金ケ崎城にて守備していたものの、起死回生をはかり、義貞は弟の義助を遺し城を脱出します。その後、兵糧攻めにあった金ケ崎城では八百人の軍勢が亡くなり、僅か12人の手勢で逃れた恒良親王も捉えられてしまいます。延元2年(1337)、義貞は黒丸城を攻め、藤島にて戦死しました。この敦賀にて共に斃れた親王、義貞を悼み、籠手田は三首の和歌を詠みました。地元の有志が石碑を建て南朝の人びとの事跡を残すにあたり、当時、滋賀県令であった籠手田にその撰文を依頼し、同じく初代敦賀県令の熊谷武五郎に額と本文の書を依頼したものです。

 琵琶湖文化館にある拓本は、元々、膳所藩出身の斎藤求(さいとう もとむ/ 求馬とも、号は虚心斎)(1852~1926)が所蔵していたもので、斎藤求は警察官として京都に赴任した際に、縁あって巌谷一六(いわや いちろく・1834~1905)の生母(瑞松院)のお世話をしていたことから、一六をはじめ日下部鳴鶴(くさかべ めいかく・1838~1922)など当時の書画家とも交流していました。その後、求の孫である浅見美都里氏とその夫の素石(そせき・1923~2006)氏により、その所蔵品の書画およそ40件が平成17年(2005)に琵琶湖文化館へ寄贈されました(詳細な経緯は、令和6年(2024年)地域連携企画展図録『近江ゆかりの書画―古写経から近代の書まで』のコラムをご覧ください)。

  現在も金ヶ崎城跡に建つ石碑は、その歴史を伝える貴重な文化財です。とともに、この文化財に刻まれた碑文を記録するために、拓本は重要な保存技術といえます。琵琶湖文化館と金ヶ崎城との不思議な御縁をつなぐ貴重なコレクションの存在を、ぜひお見知りおきください。

ちなみに皆さん覚えてますか? 滋賀県令の籠手田安定、過去に当ブログで紹介しましたよ! NHK連続テレビ小説「ばけばけ」で佐野史郎さんが演じた島根県知事の江藤安宗。そのモデルとなったのが籠手田安定!でした♪(2025.10.28付け:朝ドラに滋賀県ゆかりの人物が登場しています!

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福井)金ヶ崎古戦場碑文は滋賀県知事が書いた なにゆえに?

 皆さんご覧になりましたか?先のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、「金ヶ崎の退き口」のエピソードが描かれましたね。

 元亀元年(1570)4月、織田信長は越前朝倉氏を討つべく大軍を率いて出陣し、敦賀の金ヶ崎城を攻め落しました。ところがその直後、同盟関係にあったはずの近江の浅井長政が裏切って朝倉方についたため、挟撃の危機に瀕した織田軍は京へと必死の撤退を始めます。まさに袋のネズミ!!

 金ヶ崎城を拠点に、撤退の殿(しんがり)として敵軍を引き付けたのが木下秀吉、明智光秀らであり、歴史小説やドラマでその決死の戦いがたびたび取り上げられてきました。
 今回のドラマでも秀吉らが知略を用いて朝倉軍を退けながら、浅井軍の到着で窮地に陥ったところを、さっそうと現れた明智光秀(演:要潤)率いる鉄砲隊の活躍で九死に一生を得る、というちょっと「意外」な場面が描かれました。

金ヶ崎古戦場碑

 実のところ、秀吉や光秀が具体的に戦場でどのような活躍をしたのかについては史料上明らかではありません。 ですが、世に「金ヶ崎の退き口」として知られるこの撤退戦を象徴する城郭が福井県敦賀市の「金ヶ崎城跡」です。この城は元亀元年の合戦以前にも、南北朝時代や戦国時代にたびたび大きな合戦の舞台となっており、城跡にはそうした合戦の歴史を伝える「金ヶ崎古戦場碑」という大きな石碑が建立されています。石碑は大河ドラマ紀行でも紹介されていましたね。

 と・こ・ろ・が・ですよ、皆さん!・・・この石碑をよく読むと「滋賀県令正六位籠手田安定撰」、すなわち二代目の滋賀県知事(当時は「県令」という称号だった)が文章を書いたむねが刻まれているのです!!
・・・福井県なのに、ナニゆえに??

 実はこの石碑、明治11年(1878)8月12日の建立。そのとき、この地は滋賀県だったのです!。明治9年8月21日から同14年2月6日まで、現在の敦賀市は滋賀県の管轄下に属し滋賀の一部でした。わずか5年足らずの「海あり滋賀県」時代をしのばせる、貴重な歴史資料でもあります。三方を海に囲われた要害・金ヶ崎城跡を訪れ、戦国と近代の激動のドラマに、遠く思いをはせてみてはいかがでしょうか?。

金ヶ崎城跡から望む敦賀湾

 

 
 


 と・こ・ろ・でですよ、皆さん!・・・金ヶ崎古戦場碑について、「写真ではあんまりわからんナァ」と思われたのでは?(・・・実際、実物でも見辛いデス。)そんなあなたに!あきつブログでは追加記事を後日掲載! 「 金ヶ崎古戦場碑 」について どこよりも詳しくご案内できる・カ・モ?!お楽しみに!

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「中神コレクション」寄贈者への感謝状贈呈式が行われました!

 みなさま、覚えていらっしゃいますでしょうか。昨年2025年末に、当館へ120点以上の滋賀ゆかりの書画作品が寄贈されたことを…!!! 【2025.12.24あきつブログ】

 このたび寄贈していただいたのは、草津市の医師で郷土史家としても活躍された故・中神良太氏が収集した滋賀県ゆかりの貴重な作品群「中神コレクション」の一部。草津出身の画人・横井金谷による書画や草津市域などを描いた貴重な浮世絵版画が多いことで知られていますが、このたび新たに発見された近江にゆかりの深い作者やテーマに関わる作品123件をご寄贈いただきました。

 2026年4月9日(木)の午後、滋賀県公館にて、寄贈してくださった中神源一さまへ三日月大造知事より感謝状が贈呈されました🎉
 贈呈式には、当館の学芸員も出席。中神コレクションを収集した故・中神良太氏の思い出話も交えながら、終始和やかな雰囲気で執り行われました。

 そしてこの日のために!当館にて、寄贈作品の写真を使用した特別パネルをご用意♪♪♪寄贈していただいた作品のほんの一部ですが、近江ゆかりの貴重な作品がこれだけ並ぶと、思わずうっとり✨・・・です(笑)。

 パネルを見た三日月知事も、寄贈作品に興味津々!学芸員に「こちらは誰の作品なのか?」「滋賀県とはどういったゆかりがあるのか?」と問いかける場面もありました 。

 
 寄贈作品は、新しい琵琶湖文化館で開催する展覧会で公開していく予定です。「どれも展示し甲斐がある貴重な作品ばかり」と、学芸員も公開に向け意気込んでいますよ~💪新しい琵琶湖文化館でのお披露目をぜひお楽しみに♪

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大河ドラマ「豊臣兄弟!」あの肖像画はかつて当館に…!

 つ、つ、ついに来た〜!NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の紀行に、滋賀県が…!!

 この「あきつブログ」を読んでいただいている皆さまは、きっと「豊臣兄弟!」もご覧になっていると思います。そうです、いつ出るか…?とそわそわしていましたが、やっと登場しました、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の紀行に、滋賀県長浜市の浅井長政ゆかりの地が…!!

浅井長政©biwakobunkakan

 皆さまご存知のとおり、近江ゆかりの浅井長政

 今回の第13話「疑惑の花嫁」は、仲野太賀さん演じる小一郎が、吉岡里帆さん演じる慶(ちか)をめとることになり…という内容。近江安土の常楽寺にて、中島歩さん演じる浅井長政と、小栗旬さん演じる織田信長が相撲をするシーンもありました!

 そして、ドラマ終了後の「豊臣兄弟!紀行」では、浅井長政の居城の小谷城や、祈願寺である小谷寺、そして浅井長政の肖像画が紹介されました。

長浜市 小谷寺(2020年撮影)

 この浅井長政が描かれた肖像画として名高い、小谷城址保勝会が所有する「絹本著色浅井長政像」(滋賀県指定有形文化財)。かつて琵琶湖文化館に寄託されておりました。桜が満開の4月初旬の日曜日に、長浜市小谷山の麓に位置する小谷寺にて、毎年、浅井三代の追善法要が営まれ、その際にお預かりしていたこの品が里帰りしていました。一時返却として当館学芸員が伺い、この法要の本尊として安置し、焼香もさせていただいていたのです (過去の「あきつブログ」では2015年2018年などにご紹介)。
 しかし、小谷城戦国体験ミュージアムの整備に伴い、この浅井長政像は所有者に返還されることとなり、この一時返却の慣例は昨年をもって終了しました。これはまさに、作品がそのゆかりの地である「地元に帰る」という喜ばしい流れです🌞

  浅井長政関連の論文も、当館の『研究紀要』に掲載しています。滋賀県を代表する戦国武将の肖像画に、これからもご注目ください!

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桜の季節がやってきました🌸

 今年も桜の季節がやってきましたね🌸滋賀県にお花見スポットはたくさんありますが、中でも大津市・三井寺(園城寺)は古くから桜の名所として親しまれてきました。

 例えば、平安時代後期に成立した『千載和歌集』には、「さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」という歌が掲載されています。「昔ながらの 山桜かな」の「ながら」には「ながらの山」、すなわち三井寺の背後にあり、その山号でもある「長等山(ながらやま)」がかけられています。「志賀の都は荒廃してしまっても、長等山の桜は昔と変わらず美しく咲いていることだなあ」という意が込められている歌です。

 『平家物語』によれば、この歌は平家一門の武将・平忠度が詠んだものです。都落ちの最中、忠度は和歌の師匠である藤原俊成に自らが詠んだ歌を託します。忠度が一ノ谷の戦いで討ち死にした後、『千載和歌集』の撰者となった俊成は、朝敵となった忠度のこの和歌を、読み人知らずの歌として掲載したと言います。

 『平家物語』によってこのような話が伝えられたこともあり、江戸時代の三井寺は桜の名所として大変に賑わっていたようです。江戸中期に活躍した俳諧師・上島鬼貫は「花散りて また閑なり 園城寺」という句を残しています。普段は静かで穏やかな時が流れる三井寺(園城寺)。桜の季節になって、花見客で活気に満ち溢れる様子が想像されますね。

近江八景図屏風 吉田元陳筆(琵琶湖文化館蔵)

 当館の収蔵品にも三井寺の桜が描かれています✨こちらは江戸中期の鶴澤派の絵師・吉田元陳が描いた「近江八景図屏風」。琵琶湖周辺の景勝地・近江八景を一双の屏風に描いた作品です。

 このうち左隻には、満開の桜に包まれた三井寺の伽藍が描かれています。花見に来た客なのか、はたまた参拝客なのか、旅人姿の人物が見えますね。

歌川広重「近江八景」三井晩鐘
(複製/ 琵琶湖文化館蔵)

 

 この他にも、歌川広重が描いた浮世絵「三井晩鐘」など、三井寺を描く江戸時代以前の絵画作品には、しばしば桜の花が描かれます。今でも桜の名所として有名な三井寺ですが、当時から三井寺と言えば桜という印象が強かったことがうかがえます。 三井寺の桜はもうすぐ満開を迎えるとのこと。この週末はお出かけして、お花見を楽しんでみてはいかがでしょうか🌸🍡🍺

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「しがわーくフェスタ2025」にブース出展しました!

 3月21日(土)、「しがわーくフェスタ2025」に琵琶湖文化館として出展をしました。このイベントは、滋賀県中小企業青年・団体中央会の主催で、お仕事体験・学習イベントとして今年で三回目となります。会場は草津市YMITアリーナで、「しがの仕事を親子で楽しみながら体験できる!」がコンセプトとあって、会場には県内の小学生以上の子どもたちと家族の皆さんが参加しました。

 イベントでは、琵琶湖文化館や学芸員の仕事にふれてもらうため、私たちが得意とするオリジナルしおりづくりのワークショップを開催しました。博物館や学芸員というと、難しいイメージをもたれるかもしれませんが、しおりに使用する収蔵品の写真に皆さん興味津々!琵琶湖や近江八景といった、滋賀県ゆかりの作品を揃えたかいがありました(笑)。

 しおり作りには、参加者に掛軸(かけじく)の構造を理解してもらう目的があります。いつもは写真を選んでしおりを作るという体験ですが、今回は「お仕事体験」ということで、下地の色紙に絵や模様を描いてもらいました。これは、表装の形式の一種である、描表装(かきびょうそう)について知ってもらおうという試みでした。絵をかいてもらうのは難しいかな、と思いましたが、参加者の子どもたちは私たちの想像をはるかに超えた、ユニークで面白い作品ばかり!

 しおりの仕上げを待ってもらう間には、武将クイズに挑戦!内部の人にも「むずかしい」という評判(?)のクイズでしたが、果敢(かかん)にチャレンジしてもらった子どもたちには、オリジナルグッズ(缶バッジ、ステッカー、クリアファイルから1種類)をプレゼントという大盤(おおばん)ぶる舞いでした。

 当日はしおりづくりの体験に90名、ブースへの来場者として180名の方にお越しいただきました。ご参加の皆さま、誠にありがとうございました。

 琵琶湖文化館では、新しい琵琶湖文化館における活動の普及目的のため、県内のイベントへの出展も計画しています。次はどちらのイベントに出展するでしょう??琵琶湖文化館が発信するホームページやプレサイト、SNSなどを要チェック!!

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頭上から、背中から、底面から、期待膨らむ3D

 3月某日、実は当館で・・・収蔵品の3D撮影!を実施しました(嬉)。撮影対象は、収蔵品の彫刻4躯で、今後の調査研究や新しい琵琶湖文化館で活用するためのものです。

 仏像などの彫刻作品を博物館のケース内で展示する場合、360度方向から見学することはできず、映像やパネルを使用して補うケースが見られます。「実際に見たい!」「仏像の中はどうなっているの?」というギモンも。。。

 そこで今回実施する3D 撮影は、仏像を360度から見られる、頭上から、背中から、底面から(普段はお目にかかれない内刳(うちぐ)りの様子も!) 、様々な角度で見ることが可能となります。撮影技術の進歩はスゴイ!カメラマンが特殊な機材を運び、設置していくにつれ、わくわく感が高まります 🌟

 今回は、フォトグラメトリーとスキャナーを使い、細部まで撮影をしていきます。正面、背面、左右側面、底部の隅々まで撮影しようとすると、1箇所の平均150カット撮影しないといけません。とすると、1躯につき1000カットに及ぶことも。。。専用ソフトを利用しつつ、3D再現をしつつ何度も確認、撮影できていない部分を補い再現性を高めていく、まさにプロの仕事ですね。

 私たち学芸員も、このような撮影に携われる機会は少なく、安全な文化財の移動に留意しながら、貴重な経験ができました。 今回、撮影したデータは、ホームページでの限定公開や新しい琵琶湖文化館での活用、将来的なレプリカ制作の素材としても利用できればと、期待は膨らんでいきます。今後の展開をお楽しみに!

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柴田勝家も近江の武将、なにゆえに?

 NHK 大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、いよいよ舞台に近江が登場してきましたね!

 小谷城の浅井長政に嫁いだ市(演:宮崎あおい)に「いっそお前と一緒になる方がマシであったな」と戯れごとを言われてドギマギする柴田勝家(演:山口馬木也)が『カワイイ♡』とネット上で話題を呼びました。
 愛すべき武辺者(ぶへんしゃ:勇敢な武士)のイメージがある織田家の宿老・柴田勝家(1522?~1583)は尾張国(愛知県)出身ですが、やはり近江ゆかりの武将です。

 元亀元年(1570)、浅井長政離反と六角義賢の攻勢に対して信長は近江南部に4人の武将を配置します。

柴田勝家 花押

 柴田勝家はそのうち長光寺城(近江八幡市:別名瓶割山城)に居城し、城主として六角勢と戦いました。江戸時代成立の『常山紀談』には、勝家は城の水の手を絶たれて水不足に窮しながら、あえて自ら水瓶を叩き割って決死の戦いを挑んだというエピソードを伝えています。「瓶(かめ)割り柴田」の二つ名の由来です。

 勝家はのちに越前国北ノ庄城49 万石を与えられて長光寺城を手放しますが、近江の城主・領主として活躍した時期があるのです。写真は蒲生郡の領主として、勝家が地域の水争いの裁許を行った古文書です。かつて当館の井上副館長が調査した結果を受けて、竜王町の指定文化財に指定されています。武辺者としてだけではなく、有能な政治家でもあった勝家の面影を伝える貴重な史料です。

中津井文書のうち天正3 年6 月26 日付け「柴田勝家裁許条々」
[竜王町/川上区自治会、川守区、綾戸自治会、駕輿丁自治会、弓削自治会 所有 ]

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竣工1年前イベント「建設現場公開デー」ありがとうございました♪

 3月7日(土)に開催した「建設現場公開デー」🎊たくさんの方にお越しいただき、本当にありがとうございました!

 この日は、春の訪れを感じる「第71回びわ湖開き」の日。県内外から多くの方が大津港に集まりましたが、そのすぐそばの新しい琵琶湖文化館の建設現場にて、建物竣工1年前を記念した「建設現場公開デー」を開催しました!

 建設現場見学への事前予約は、たいへん多くの方にお申込みいただき、また当日受付も満員となり、ご参加いただけなかった皆さまには申し訳ありません。。。こんなに多くの方が新しい琵琶湖文化館の完成を楽しみに待ってくださっていることを、琵琶湖文化館一同、あらためて感じました。

 建設現場見学は全9回、各回20分の入れ替え制。建設現場という危険な場所ですので、大人はもちろん子どもちゃんもヘルメットをかぶっていただいての入場です。学芸員や建築技術者の説明を聞きながら、普段はなかなか近くで見られない工事中の建物の外観をじっくり見ていただきました🏗️

 学芸員からは、琵琶湖文化館のあゆみや、これから新しい琵琶湖文化館で取り組んでいくことなどついてお話ししました。短い時間ではありますが、同じことを9回お話しするので、「今度はボケを入れてみようかな?」など変化をつけながらお話しいたしました(笑)。そのかいあってか(?)、笑いあり、驚きの声あり、などなど雰囲気よく進みましたよ☀

 ご説明以外にも、MR体験や模型の展示といったコンテンツもお楽しみいただきました。MRとは、Mixed Reality(ミックスド・リアリティ):現実空間と映像や情報を重ね合わせ、建物がそこにあるかのように見ていただける「複合現実」のこと。ここではタブレットの画面で完成後の建物の姿をご覧いただきました。「こんな感じになるんだ!」とワクワクしていただけたのではないでしょうか。

 この建設現場見学にご参加いただいた方には、イベントにあわせて作成した不織布バッグとクリアファイルを差し上げました。どちらも水色が印象的なグッズです。ぜひ普段使いしていただけたら嬉しいです!ご参加いただけなかった皆さまにも、お渡しできる機会を作っていきたいと思います。

 ところで新しい琵琶湖文化館は、建物全体に免震構造を採用し、大地震に備えます。この免震技術を体験できる「免震体験車」に、今回のイベントにてご乗車いただけました。耐震と免震の違いを体験できるのですが、揺れの感じが全然違ってびっくり!新しい琵琶湖文化館にご来場いただく皆さまと大切な文化財を守るための最新技術を、身近に感じていただけたと思います。

 建設現場からすぐ近くの浜大津アーカスでは、毎回好評の「館蔵品のしおり作りワークショップ」を開催。今回は「びわ湖開き」にちなんで、琵琶湖をテーマにした館蔵品の画像をたくさんご用意しました。お気に入りのしおりを作っていただけたでしょうか?

 当日は、老若男女問わず多くの方にお越しいただき、とても賑やかで楽しい一日となりました。

 新しい琵琶湖文化館への期待を高めていただけるよう、これからも努めてまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします!

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新文化館の縁の下のひみつ―免震装置―

 実は…暑さ厳しかった昨年の8月、新しい琵琶湖文化館の建設現場では、「免震装置」の設置が行われていました。

 「免震装置」とは、建物と地面を切り離し、装置が地震の揺れを吸収することで、建物に揺れを伝わりにくくしてくれるための装置です。
 新しい琵琶湖文化館では、最下層階に免震装置を設置し、建物免震の構造とします。文化財や来館者を守るための一つの手段として採用しました。建物免震である博物館は、全国でも少数しかありません。

 このような大事な工事、「是非、見に行かねば!」と学芸一同、現場に向かいました。時間を少しさかのぼりますが、そのときの見学内容をレポートしたいと思います。

 まずは、重機に見守られながら、安全第一、ヘルメットを着用します。建設現場の方に案内していただき、装置について色々教えていただきました。装置を目の前にして、その大きさにびっくり!

 免震装置は、「アイソレーター」と「ダンパー」で構成されています。
 文化館では、「積層ゴム支承」「すべり支承」などの全部で3種、30基のアイソレーターを設置します。建物を支え、地震のときにゆっくりと建物を移動させる役割を持ちます。

 写真は、「積層ゴム支承」とよばれる装置です。中央の太い円柱型の部分が、やわらかいゴムと硬い鋼板を交互に重ねた積層ゴムの部分です。傷ついて免震の効果に影響が出ないようカバーがついた状態です。
 そして、「ダンパー」は、揺れを抑えるための役割を持ちます。文化館では、オイルの粘性を利用したオイルダンパーを用います。こちらは、全部で8基を設置します。

  これらの装置のバランスは、設計者の方がシミュレーションを重ねて検討してくださいました。見学を終え、文化財を守る要素を、少しずつ積み重ねていくことの大事さを噛みしめました。

 さてさて、以上の夏の様子から、うって変わって寒さ厳しい現在の建設現場では、引き続き躯体工事が順調に進んでおります。

 博物館は長く使う建物です。新しい館を建てる機会に巡り合うことは、そんなに多くありません。その貴重な様子を、多くの方々と共有したく、3月7日(土)びわ湖開きの日に、「建設現場公開デー」を開催します。さらには、今回ご紹介した免震装置のしくみを体験できる「免震体験車」もやってきます。
 新しい琵琶湖文化館のプレサイトより、是非情報をチェックしてみてくださいね。

https://biwakobunkakan2027.jp/event/3506/


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新しい琵琶湖文化館 \クラファン終了・目標達成/

 新しい琵琶湖文化館のクラウドファンディングが2/17 終了しました。 目標の2倍を超える20,992,958円ものご支援【確定】をいただきました !!心から御礼申し上げます。
 これからも、皆さまに愛される博物館となるよう取り組んでまいります!引き続きの応援よろしくお願いいたします✨

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滋賀県博物館協議会の情報交換会「どうする!?博物館の防虫・防黴・殺菌」にて

 皆さんは滋賀県博物館協議会(略して「県博協」)という組織をご存じでしょうか?

滋賀県博物館協議会HPより(リンク)

【ホームページより引用】 滋賀県博物館協議会は、県内の博物館施設(美術館・資料館なども含む)相互の連絡を図り、博物館活動を通じて県民文化の振興に寄与するために、公私の別・規模・分野などさまざまな特色ある博物館がその社会的使命の達成のために協力することを目指しており、現在69館(2025年1月現在)が加盟しています。

 県内には多様な施設があり、それぞれの分野で個性や魅力を生かした活動を行っています。しかし、個々の取り組みだけでは限界があるのも事実・・・。そこで、各館が「横」のつながりを持ち、相互に連携しながら協力していこうという目的で設立されたのが県博協です。
 県内の博物館・美術館を掲載したガイドマップポスターの作成や、分野を超えた情報交換など、さまざまな取り組みを進めています。その取り組みの一つとして先日開催されたのが、情報交換会「どうする!?・・・」です。

「博物館に虫?カビ?菌??」と聞くと驚かれる方もいらっしゃるかもしれません。でもちょっと待って!嫌がらずに話をきいて~!
 作品に悪影響を及ぼすこれらの存在は、程度の差こそあれ、私たちの身近に必ずいる生き物です。その被害をどう食い止めるか・・・博物館でも美術館でも資料館でも図書館でも(!)その予防と対策に頭を悩ませています。さらに厄介なのは、こうした被害が施設にとって「負(マイナス)」のイメージを伴うデリケートな問題であること。「えっ、マジで?」と思われる方も多いでしょう。「カビ🌟出ました♪」なんて軽く言えるものではありません。だからこそ、情報が共有されにくいという厄介さもあるのです。

 1月23日に行われた情報交換会では、加盟館や市町の文化財担当者など42名が参加。関心の高さがうかがえました。「防虫・防黴対策のこれまでと今後」「文化財行政の現場における防黴防虫の現状と課題」といった発表が行われる中、当館の武内学芸員も登壇。「滋賀県におけるアルプ燻蒸の実施報告」というテーマでお話ししました。おや?ちょっと聞き慣れない言葉が出てきましたね。 これまで博物館では、虫にもカビにも効く「エキヒュームS」という薬剤を使った燻蒸が主流でした。当館でも、収蔵庫や新しく寄託・寄贈された文化財を守るため、殺虫・殺菌効処理を行ってきました。

 ところが昨年、このエキヒュームSが販売中止に。文化財に使えるのは、文化財への負担が少なくエキヒュームSと同じ効果のある「アルプ」という薬剤だけになりました。そこで、これからの対策をどうするかと検討を重ねた結果、「アルプ」を使った燻蒸へ切り替えることになったのです。

アルプ燻蒸のためのテント

 館としては初めて扱う薬剤で、対応できる施工者も限られていたため、施工までに何度も打ち合わせや聞き取りを重ねました。ガス管理は夜通し続くため、学芸員も宿直当番制で対応し、5日間かけてようやく作業完了。おかげさまで無事に施工することができました。

 滋賀県では初めての取り組みだったこともあり、「実際どうでした?」と他館の学芸員さんから問い合わせをいただくことが多く、今回、県博協の情報交換会にて報告させていただきました。

 文化財を適切な状態、適切な環境で守っていくことは、とても難しいことです。なぜなら、文化財の状態や材料、これまで置かれていた状況は様々。それらを一つの「収蔵庫」という場所で守っていかなければならないからです。そのためには、文化財のこと、周囲の環境のことをよく見て管理する人間の目、空調や断熱材などの設備、文化財の導線に考慮した構造など、様々な力を合わせていくしかありません。

 令和9年12月に開館する新しい琵琶湖文化館の収蔵庫の各設備も、こうした文化財を守るために重要な要素の一つと考えております。災害等により破損の恐れが生じた文化財を緊急的かつ一時的に保管するための「文化財緊急保管庫」や、燻蒸を行うための専用空間も備えます。

 現在、滋賀県では、新しい琵琶湖文化館の収蔵庫整備に向け、皆さまのご支援を募っております。ご理解とご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
クラウドファンディング:受付は2/17まで]

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今、話題の人物の作品も収蔵しています!

 令和8年から羽柴秀長を主人公としたNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」が始まりましたね。琵琶湖文化館にも秀長ゆかりの作品がないかと探していたところ、秀長の名前が書かれた収蔵品がありました!さすが、収蔵品の層が厚い博物館ですね(やや自慢)!!

 その作品は、『扶桑城郭誌』という3冊の書籍です。この本はその名前のとおり、東北地方から九州まで日本国内の城郭(城絵図)を記録したものです。上巻には、滋賀県内の城として、彦根城、水口城、膳所城が載せられています。江戸時代中頃に書かれた「主図合結記」を手本に写されたもので、当時、県内にはこの3城しか残っていなかったのです。

現・琵琶湖文化館に近い膳所城もあります。 [ 扶桑城郭誌/琵琶湖文化館蔵 ]
これが、秀長が治めていた大和郡山城の絵図です![ 扶桑城郭誌/琵琶湖文化館蔵 ]
2行目に「大和大納言秀長卿」と
書かれています。
[ 扶桑城郭誌/琵琶湖文化館蔵 ]

 そして中巻には、奈良県内の城として大和郡山城があり、「天正(年間)半ばより」城主として「大和大納言秀長卿」の名前があります。大和郡山城は筒井順慶により建てられ、秀長によって整備拡張がなされました。秀長は初代城主としてこの地を治め、秀長死後は養子(秀吉の甥、秀次の弟)の秀保が継ぎました(*資料には秀俊がありますが、秀保の誤りです。)細かく見ていくと、西側が右、東側が左に位置し、本丸、二の丸、外堀の様子や、「地形西高し」など地形の注記もあります。
 

 新しい琵琶湖文化館には、県内の文化観光拠点としての役割もあります。
 秀長の居城である大和郡山城は県外にありますが、収蔵品の展示をきっかけとして、近江ゆかりの人物の足跡を訪ねてみたり、昔の城絵図を見ながら現地を歩いてみたりする機会が増えていくことを期待しています。


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滝川一益を応援したい、なにゆえに

 皆さんはご覧になっていますか?NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、織田家の重臣・滝川一益(演:猪塚健太)が登場しましたね。一益は伊勢、甲斐攻略などで活躍し、信長から上野国と信濃国の一部を与えられて関東方面の攻略を任されました。信長の天下統一戦争における重要な部将として著名な人物です。

 一方で、一益が近江国甲賀郡にルーツを持つことについては、意外と知られていません。

 一益の直系子孫が江戸幕府に提出した系図によれば、一益は甲賀郡一宇野(櫟野)城主であった滝川一勝の次男とされています。別の子孫の伝えるところでは、甲賀に出自を有するが生まれたのは尾張国海西郡だともいわれるなど、諸説あるところです。

 ただし本人が遺した複数の古文書に「大原滝川」と名乗っている例があり、それはみずからが「大原同名中」の一員だという認識を示しています。戦国期の日本で大小の在地領主層が地域の防衛と支配のために郡単位で結成した連合を「郡中惣」と呼び、近江甲賀郡の「甲賀郡中惣」はその典型例として知られます。「同名中」は郡中惣の下部にあって、在地領主層が自分と名字を同じくする同族や被官、百姓らを傘下に取り込んだ在地組織です。大原同名中は櫟野を含む大原庄の武士たちが結成したもので、一益が大原同名中および甲賀郡中惣へ宛てた書状の差出に「大原滝川一益」と署名するのは出自を強く意識しているからです。

滝川一益書状写(個人蔵)

 写真は、かつて当館の副館長が撮影した個人蔵の滝川一益書状写です。年不詳7月4日付けのもので、天正2年(1574)から10年までの発給と考えられます。内容は(甲賀)郡中奉行に宛て、郡中で起きた喧嘩を強く非難し、御法度に任せて成敗することがもっともだと勧告しています。差出が「大原滝川一益」と書かれていることが重要で、江戸時代前期の写ではありますが一益の花押をまねた「花押影」も据えられています。一益のルーツが近江甲賀であったことを証拠立てる、貴重な史料です。

 どうでしょう、皆さん。 滝川一益、応援したくなったでしょう?
 誰もが知るほどの武将ではありませんし、「今回初めて名前を知った」という方もいらっしゃるかもしれません。地元としては「近江甲賀ゆかりの武将」というだけでも十分に“推し”なのですが、大河ドラマや『あきつブログ』をきっかけに、滝川一益とその活躍に注目していただければ幸いです。
ニンニン♪

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