日別アーカイブ: 2026年7月24日

聖衆来迎寺は浅野長吉の母を弔った 何ゆえに?

 あきつブログ的:久しぶりにNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の話題です!
  藤堂高虎、宮部継潤、織田信澄ら近江出身、もしくはゆかりの深い武将が多数活躍しているこのドラマ、触れたいエピソードは多いのですが、前回(7月19日)は「本能寺の変」を受けて、秀吉の居城・長浜城へ走りねね(演:浜辺美波)をはじめ女性たちを救出する浅野長吉(演:大地伸永)の姿が描かれましたね(史実として、脱出劇に長吉が関与した可能性は低いですが)。

 浅野長吉(長政、1547~1611)は秀吉の一門衆として活躍した著名な武将です。尾張国に父・安井重継と母・浅野氏(実名は不明)との間に生まれ、叔父である浅野長勝の養女・やや(演:増井湖々)の婿養子となりました。同じく長勝の養女となっていた、ねねが秀吉に嫁いだことから、長吉は織田家臣団の中でも早くから秀吉の与力として活動していたようです。

 そうした近しい関係から、長吉は本能寺の変後も秀吉に仕えて中国大返しや山崎合戦、賤ケ岳合戦などで功績を挙げ、天正11年(1583)8月に近江瀬田城(大津市)2万石余の城主となり、同年11月には坂本城へ移りました。同14年に秀吉の命で坂本城を廃城して大津城を築城することになりますが、それまでの間長吉は坂本城主として城下を治めていたのです。

重要文化財 聖衆来迎寺表門
(旧坂本城の城門遺構)

 文禄4年(1595)11月14日、長吉の実母が亡くなりました。そのお弔いは旧坂本城下の聖衆来迎寺で行われたようで、同年に作成された『来迎寺過去帳』の中に、年間物故者の一人として「陰優妙森禅定尼 浅野弾正様御母」の名が見えます。

 お墓も同寺に存在したようですが、墓石銘の摩滅も進んでどのお墓がそうなのかは特定に至っていません。

 浅野長吉の実母については伝えられるエピソードが少なく、現在までの段階で大河ドラマの中での登場もありません。しかしながら、法名からおして息子や一族の安寧を陰から支え、優しく見守った女性だったのではないでしょうか。そうした女性が、息子(長吉)や孫(幸長)が近江国を離れて甲斐国に転封していた文禄年間に、聖衆来迎寺に葬られた事情についても謎があります。

 長吉の母は、息子たちが近江を離れた後も琵琶湖を望む聖衆来迎寺の近くに隠棲し、静かな晩年を過ごしたのかも知れません。

 8月16日に聖衆来迎寺を会場に開催する滋賀県立琵琶湖文化館地域連携企画展「聖衆来迎寺の名宝」虫干会では、謎を秘めた『来迎寺過去帳』の実物も展示します!みなさんも御覧になって、戦国のロマンに思いをはせてください。

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