月別アーカイブ: 10月 2017
一休さんゆかりの寺院と版木
守山市には「一休さん」の愛称で親しまれる一休宗純(1394~1481)ゆかりの寺院があります。その名を少林寺といい、一休宗純の高弟である、桐嶽紹凰(とうがくしょうほう・1451~1534)という人物によって開かれたお寺で、一休さんゆかりの寺宝(肖像画や彫刻など)も複数所蔵されています。
その中には、現存が確認される一休宗純画像(頂相)のうち、二番目に古いものが伝来しており、僧侶の肖像画には珍しく朱色の太刀が一緒に描かれていることから、通称「朱太刀像」と呼ばれています。
この朱太刀像とともに、これを原画とした、江戸時代作の版木(複数刷るために彫られた木板)も伝来しており、こちらは現在、琵琶湖文化館に寄託されています。この版木を、お寺でお使いになられるということで、先日一時返還させていただきました。
というのも、古くから数十年ごとにご住職自らこの版木を用いて数百部摺刷し、さらに軸装にしつらえて、檀家さんをはじめとする所縁のある方々にお配りされているためです(このため、版面には長年使用された墨摺りの痕跡を確認することができます)。
数十年ぶりのこの機会。今でも生き続けるお寺さんと地域社会との関係、また一休信仰のカタチをここにみることが出来ます。
学芸員W
米くへば鐸が鳴るなり
文化館とは近しい関係の滋賀県立安土城考古博物館さんは、今年開館25周年を迎えられます。明日21日から開催される開館25周年記念秋季特別展は、「青銅の鐸と武器―近江の弥生時代とその周辺―」。ポスターやチラシをご覧になった方もいらっしゃると思いますが、そこにずらりと並んでいるのが、野洲市・大岩山出土の銅鐸です。
銅鐸については、みなさんよくご存知でしょう。米作りの始まった弥生時代に作られた青銅製の鐘です。日本史の教科書にも、巻頭カラー写真で出ていましたね。ちなみに、教科書によく載っている、トンボの描かれた「袈裟襷文銅鐸」(伝香川県出土)は、ただいま京都国立博物館で開催されている「国宝」展に出陳されているようですよ。
残念ながら、滋賀県に国宝の銅鐸はありませんが、実は、銅鐸について語る上で外せないのが滋賀県なのです。記録に残る限り、初めて発見された銅鐸は、大津に都が置かれた頃、滋賀里山中に崇福寺を建立する時に掘り出されたもの。そして、野洲市の大岩山では、明治14年に14鐸、そして昭和37年に10鐸と、2度も大量の銅鐸が出土し、しかも、その数はのちに越されたものの、大きさでは今でも日本一を誇っております!
特に、大岩山での昭和の大発見は、文化館とも少なからず関わりがありまして。。。昭和37年7月、東海道新幹線の建設に伴っての工事中に発見された10鐸は、世間を大いに沸かせました。そして、紆余曲折ありましたが、当時の滋賀県の埋蔵文化財担当技師さんの奔走により、ようやく滋賀県が所有・保管することが決まり、その年11月に文化館で開かれた「琵琶湖考古展」でのお披露目となったのです!! その時のポスターがコレ!! なんともシンプルな!それでいて、しっかりと銅鐸の雰囲気を取り入れた色遣いで。。。じわ~んと心に鳴り響きます♪♪
またその後、発見された銅鐸を保管するため、埋蔵文化財の収蔵庫が琵琶湖文化館前に建てられ、安土城考古博物館ができるまではずっとこちらに収蔵されていました。その間、昭和62年には重要文化財に指定されましたが、なにより発見以来55年、散逸することなく県で保管できたことは誇るべきことでしょう。今後もずっと滋賀の宝として守っていきたいですね。
さて、この銅鐸、考古学研究の上ではどうなのでしょうか?55年間に、弥生時代の銅鐸を含む青銅器に関する研究は、目を見張るように進展しました。ただし、「何に使ったのか?」という最大の謎については、決定的な答えが出ていないようです。ということで、みなさんもこの機会に実際に銅鐸と向き合ってみて、謎に挑戦してみてはいかがでしょうか?
ビックリ箱にご対面
先日、とある事情で今まで踏み込んだことのない我がお城:文化館の深部に足を踏み入れてまいりました。そこは暗闇・・・音の無い静かな隠し部屋・・・一体何がおこるのか・・・。
と、ちょっと期待持たせすぎました?僕たちが入ったのは、5階展望閣の屋根裏です。お城のてっぺん中のてっぺんです。
消火設備が置いてあることは、点検の際に把握していましたが、さらにその奥となると・・・以前、と言っても昭和40年代の頃のお話ですが、屋上にあるトンボがくるくる回って目をピカピカさせていた頃(そんな時もあったのです!!)、電球を交換するために学芸員さんが屋根裏から屋上に上がった・・・というお話を聞いたことがあったのですが、「嘘でしょ?!」と思ってたりなんかして・・・エヘッ。屋根裏部屋、僕も入るのは初めてです。そこに待ち受けていたものとは・・・
懐中電灯が照らすその先に見たもの:琵琶湖文化館建設の際に据えられた大きな棟札と、建設費協力箱!なんと「湖上にお城ができるまで-写真アーカイブ」でも紹介したあの募金箱です!昭和35・36年、琵琶湖文化館の建設協力を呼びかけた高さ1mほどの募金箱が、そこに4つ置かれていました。5階フロアから鉄製の梯子を腕力で上り、手をつき膝をつき大人がやっと入れる程の小さな入口をくぐり抜け、ようやく辿り着くこの空間に、一体誰が運び入れたのでしょう。
僕たちも、白黒写真でその存在は知っていましたが、暗闇の中で見つけたその募金箱は、とっても鮮やかなピンク色。。。まさかカラーでご対面できるとは。。。衝撃でした!
ここに置こう・・・と誰の発案なのか、当時の職員皆さん総意の合意なのか、今では知る由もありませんが、ちょっぴり気持ちわかります。このおかげで琵琶湖文化館が建ったのですもの。。。無下には出来なかったと思います。ここに残されたその意味、その気持ち、先輩。。。
文化館に勤めさせていただき、そろそろ「古株」扱いされる今日この頃、まだまだこのお城には、さまざまなビックリ箱の玉手箱が用意されているようです。次は何が出てくるのか、楽しみです。
筆:あきつ
琵琶湖の助っ人
近頃文化館の周りではブォ~ンという重機の音が、湖の方から聞こえてきます。その正体は、この時季の琵琶湖のアイドル?! 強力な助っ人マシーン?!水辺に大量に繁殖する水草(藻)を根こそぎ刈り取る「藻刈船スーパーカイツブリⅡ号 (文化館では藻刈クンと呼んでいる) 」の操業です。
今年は例年より少ないと言えども、少し離れた沖合には、ジワジワと湖岸に寄って来そうな藻のカタマリが・・・。作業をされている方に聞くと、「今年は藻が岸に寄る前に沖合で一網打尽作戦!」なのだそうです(笑)。なんとも頼もしい。湖岸に建つ浮城:文化館としても大変有り難く、とてもお世話になっています。
毎朝、波の穏やかな早朝から作業を始められ、広い海原(湖原)を計画的に刈り取るその雄姿に、釣り人や散歩をする方たちが足を止めて、見入っておられるコトもしばしば・・・ギャラリーが出来るくらいに。まさにアイドル。。。湖が徐々にキレイになっていくのを見るのは、楽しいですものね。何というか爽快感?達成感?頑張れ藻刈クン!
そして静かな朝に、藻刈クンの響き渡るエンジン音を聞くと、「あぁ今日もお仕事頑張らねば」と気持ちに喝が入る・・・文化館の職員なのでした。
筆:あきつ
講演会「梵鐘を守れ!文化財保護をめぐる戦時下の裏面史」お知らせ
先月行われた文化財講座「打出のコヅチ」第5回。残念ながら参加できなかった。。。という方には、朗報かもしれませんよ?「朝鮮通信使と近江」のお話をして下さった、あの滋賀県教育委員会文化財保護課の井上優氏が、今度は滋賀県平和祈念館で講演をされます。
「梵鐘を守れ!-文化財保護をめぐる戦時下の裏面史-」
講師:滋賀県教育委員会 文化財保護課 主幹 井上優 氏
日時:平成29年10月22日(日) 13:30~15:00
場所:滋賀県平和祈念館 2階 研修室
(東近江市下中野町431番地)
定員:80名(申し込み先着順) ※事前申込が必要です。
参加料:無料
この講演会は、東近江市にある滋賀県平和祈念館の、第18回企画展示「戦時のくらし モノがたり -もの不足 食糧不足-」(会期:平成29年9月9日(土)~12月24日(日))に関連する、平和学習講座として行われるものです。
太平洋戦争のさなか、金属資源の不足を補うために金属類回収令が出されますが、家庭内の金属製品とともに、寺院の仏具や梵鐘までもが供出を命じられました。当時、滋賀県では、文化財技師をされていた日名子元雄さんが、かけがえのない文化財を後世に残すため、梵鐘の救出に奔走されます。今回の講演会では、県庁に残された資料をもとに、この時の日名子さんの苦闘と、戦時下に人々が強いられた苦難の一断面が語られるということです。
滋賀県の文化財について、戦争というフィルターを通して見ると、今現在見ているのとはまた異なった側面が見えてくるかと思います。戦争でなくとも、自然災害など文化財にとっての苦難はいつの時代にもあります。それらを乗り越えて、文化財を守り伝えて行くことがなぜ必要なのか、なぜ大切なのか、考えるきっかけにしていただけたら良いですね。
平和祈念館の企画展示には、金属供出の事前検査のために穴の開けられた梵鐘も展示されています。ご興味のある方は、ぜひこの機会に足を運び、見て、聴いてみて下さい。詳しくは、滋賀県平和祈念館ホームページをご覧ください(講演会のチラシはこちら)。
井伊家伝来古文書(近代文書)の調査
徳川家譜代の大名で、ながく江戸幕府を支えた彦根藩の井伊家。そんな井伊家には、当時の幕藩体制や藩政等の実情を知ることのできる古文書が数多く伝来し、現在、彦根城博物館さんに保管されています。そして、これら伝来古文書の多くは、約40年前に網羅的な調査が行われ、膨大な資料の全容が明らかとなり、成果は『彦根藩文書調査報告書』(1~5巻)として、まとめられています(文書群のうち桃山~明治初期までの2万7800点は平成8年に重要文化財指定)。
そして現在、彦根城博物館さんでは、井伊家伝来古文書のうち近代文書(明治初期以降~)の調査が進められており、先月も調査員である大学の先生をはじめ、県内の学芸員、大学院生等が参加して、集中調査(史料調書作成、史料整理等)が実施され、当館も参加させていただきました。
激動の時代に井伊家がどのように歩みを進め、また「近代の彦根」がいかに形作られたのか、今後も数年かけて調査を行っていくということで、歴史の街・彦根の魅力がさらに深まりそうです。
学芸員W
ホームページ9月のアクセス数
「秋の日は釣瓶落とし」と言いますが、ここ数日、日の暮れるのが急に早まってきたように感じます。そして先日、もうすっかり日が沈んだ空をふと見上げると、お月様がずいぶん丸くなってきたような。。。気が付くと、明後日4日は十五夜、仲秋の名月なんですね。今日はあいにくの雨ですが、明後日にはお天気が回復して、見事な満月が見られると良いな~と思っています。
さて、早いもので、今年度ももう半年が過ぎてしまいました。上半期を終えるということで、文化館でも、このひと月にはいろいろな変化がありました。まずは、おかげさまで10周年を迎えた文化財講座「打出のコヅチ」です。こちらは、9月21日に今年度の最終回を、過去最多の参加者による賑わいのうちに終了することができました。ご参加いただいた皆さまには、改めてお礼を申し上げます。ちょっぴり名残惜しい気もいたしますが。。。でも、また別の、新たな始まりがありました!ご覧いただいていますでしょうか?ホームページの方では、「湖上にお城ができるまで-写真アーカイブ-」を再開しましたよ!その写真は、文化館前の掲示板にも貼っておりますが、道行く方々にも楽しみ、また懐かしんでいただいているようで、嬉しい限りです。
そして、お待たせしました!!気になる9月のホームページアクセス数の方は?このひと月で1,412件のアクセスをいただきました。特に9月は、サイト滞在時間の平均が8月の平均より1分以上も伸びたことが注目されます。中には、なんと15分以上閲覧という方も(!!) 皆さまには本当に、じ~っくりとホームページをご覧いただいているようで、どうもありがとうございます!
検索キーワードとしては、第6位に「近江輿地志略」が上がっておりますが、このうち巻14が、ただ今、大津市歴史博物館の、企画展「大津の都と白鳳寺院」に先駆けてはじまった、ミニ企画展に出陳されています。7日から始まる企画展の方にも、崇福寺跡出土軒瓦など文化館の収蔵品が展示されますので、この機会にぜひ併せてご覧くださいませ。秋は、各地の博物館・美術館での展示会が目白押しです。文化館所蔵品の他館での展示については、情報が入り次第、「収蔵品公開情報」コーナーにて紹介しておりますので、どうぞチェックをお忘れなく!
それでは、これからも、日々コツコツと、“楽しく” “役に立つ“ホームページを目指して、頑張っていきます!10月も文化館ホームページを、どうぞよ・ろ・し・く。