日別アーカイブ: 2022年8月23日

打出のコヅチ第4回 番外編 ~ご質問にお答えします~

 滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」に参加してくださったから、アンケートを通してご質問を頂くことがあります。第2回第3回に引き続き、第4回でも質問をいただきました。熱心な聴講生からのご質問。今回も早々に、講師を務めた和澄浩介学芸員に答えていただいたので、皆さんにもご紹介していきたいと思います。

 (質問①)敏満寺区の銅造大日如来像は慶派の作風が見受けられる
      とのことだが、慶派の金銅仏の作例はあるの?

  テーマとなった「敏満寺区の銅造大日如来像」は、ブログでも紹介したとおり、慶派の作風が見られるそうです。慶派で代表的な仏師・運慶や快慶は、東大寺南大門の金剛力士立像などが有名です。確かに木造の仏像が多い印象があります。 他にも金銅製の仏像はあるのでしょうか?さて、その答えは…?

 そもそも鎌倉時代の金銅仏は数が少ないですが、鎌倉時代前半までで慶派がかかわったと考えられている著名な像は以下のようなものがあります。

○法隆寺(奈良) 阿弥陀如来・観音菩薩像 重文
 法隆寺金堂西の間に安置されています。運慶の四男康勝が原型を造り、貞永元年(1232)
 に完成したことが光背銘文からわかります。常時拝観可能です。

○寿福寺(神奈川) 薬師如来坐像 重文
 銘文はありませんが、建暦元年(1211)に北条政子が子の源実朝の病気平癒を願って鶴
 岡八幡宮に安置した像であると考えられています。寄託先の鎌倉国宝館で展示されること
 があります。

○大報恩寺(京都) 誕生釈迦仏立像 重文
 大報恩寺には快慶の高弟行快が造った本尊釈迦如来、快慶と行快が造った十大弟子、慶
 派の有力仏師定慶が造った六観音がのこされています。この誕生仏も行快の作風が顕著で
 す。大報恩寺霊宝館で常時拝観可能です。

 やはり多くの仏像を作った仏師の系統です。少ないとはいえ、金銅仏はあるようです。ご紹介いただいた仏像は拝観可能なものも多く、ぜひとも慶派の金銅仏見てみたいです。さらには、このような質問も…

 (質問②)大仏殿様四天王が造り継がれてきたのは、図像(見本)があったから?

スクリーンに映る四天王像

 こちらは、講座内で紹介された「多賀町内の重源ゆかりの文化財」で、多賀大社から町内の真如寺に移された四天王像が、東大寺大仏殿の四天王に特有の形式(大仏殿様)であるという事が語られました。真如寺の四天王像は、江戸時代もので、東大寺大仏殿の四天王像よりも大分後になってから作られています。時代が違っても、大仏殿様がつくられたのは、やはり見本があるからなのでしょうか??さて、その答えは…

 大仏殿四天王像のような由緒正しい仏像や霊験あらたかな仏像は図像が描かれ、後世にその形が伝わっていきます。残念ながら大仏殿様四天王像を描いた古い図像は現存していませんが、醍醐寺(京都)所蔵の弘安7年(1284)の年紀を有する「東大寺大仏殿図」という絵図に文字で四天王の姿が詳細に記されており、これが運慶たちが再興した大仏殿様四天王像が注目されるきっかけになりました。
 なお図像があっても、まったく同じように写すわけではなく、時代やその時の状況を反映して変更を加えることがあります。運慶たちが再興した大仏殿四天王像も、焼失する前の姿からは若干変更を加えていたことが指摘されています。

 やはり、見本となるものがあったのですね。時代を反映して、変更を加ても形をしっかりと受け継いでいくなんて…各時代の仏師たちのすごさも伝わります。

  いかがでしたか?前回のブログでご紹介できなかった大仏殿様の四天王像などのお話しも含め、打出のコヅチ第4回をより深く知るきっかけとなりましたでしょうか。皆さんの知識欲のおかげで、仏像について詳しく学べる場となりました。これを機会に皆さま色々な仏像を見比べてみてはいかがでしょうか。

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