月別アーカイブ: 4月 2026
滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」受付開始!

「もうそろそろチラシ出来てますかいな?」
・・・たった今、納品されたところです!
「申込をしたいのですが。」
・・・23日(木)からです!
「(館の前にある)掲示板を見て電話してます。」
・・・今すぐチラシをお持ちします!
開催告知から1週間、いやぁ皆さんの “待ちに待った感” あふれる反応が、今年もとても嬉しい(笑)。
令和8年度 滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」受講申込み、本日より受付開始です!

平成20(2008)年以降、毎年実施している本講座は、今年で19年目を迎えました。継続は力なり!
これまでに開催した講座の延べ参加人数も “夢の大台” に迫る勢いの “大人気講座”へと成長しています(自ら言ってしまっているあたり、スタッフの図太さも年々増し増し♪)。
皆さんは過去にどんな講座に参加されましたか?特に今年、参加するとイイコトあるかも💛ですよ?!
さぁ、令和8年度の「打出のコヅチ」を始めましょう!近江の文化財をめぐるその最新の情報について、県文化財保護課の専門技師や琵琶湖文化館の学芸員らが熱く語ります。

講座のメイン会場は、大津市打出浜のコラボしが21 3階大会議室。いつもの“あの”会場で7回の座学を行い、あわせて大津市内(聖衆来迎寺)で1回の現地講座を実施。\全8回/充実のラインナップで、皆さまをお迎えします。
オンライン配信でつなぐサテライト会場も5施設が協力して下さっていますので、皆さんの参加しやすい会場で、気軽にご参加ください♪全会場受講は無料!(※現地講座は観覧料必要・申込受付7/16~)
【第1回】5月22日(金)
「新・県指定 長福寺木造阿弥陀如来坐像の魅力」
メイン会場の参加申込は、当館へ!
[電 話]077-522-8179
[FAX]077-522-9634
[web受付フォーム]こちらをクリック!
サテライト会場への申込など詳しくは[こちらをチェック]!皆さまのご参加を心よりお待ちいたしております☆彡
「金ヶ崎城跡碑」その内容に迫る!

前回、ご紹介しました金ヶ崎城跡には、滋賀県知事の籠手田安定(こてだ やすさだ・1840~1899)が文を書いた石碑があります。敦賀にある石碑になぜ滋賀県知事が!?という謎については、ブログを読んでいただけると、なるほどー、と思っていただけるかと。
さてさて、実は琵琶湖文化館には、金ヶ崎城跡碑の拓本が所蔵されています!何という幸運!!明治11年(1878)8月12日、滋賀県令の籠手田安定が撰文し、熊谷武五郎(くまがい たけごろう・ 1842~1902)が本文と額の文字を書きました。熊谷武五郎は、出羽国仙北郡(現在の秋田県仙北郡)にある社家に生まれ、幼い頃より国学を学び、岩倉具視や渋沢栄一にも一目置かれた人物です。習字も得意とした武五郎ですが、なぜここに!?と思われるでしょうが、熊谷はわずか6年だけ存在した敦賀県の初代知事だったんですね。その敦賀県は、明治9年(1876)8月21日に滋賀県に合併されます。海あり滋賀県がここに生まれましたわけですが、この石碑は、敦賀県と滋賀県との共同制作ともいえるでしょう。
その碑文の内容は、次の通りです。後醍醐天皇擁する南朝の忠臣である新田義貞(にった よしさだ)は、北朝方との戦を経て、恒良親王、尊良親王を奉じて北陸に赴きます。北朝からの迎撃をこの金ケ崎城にて守備していたものの、起死回生をはかり、義貞は弟の義助を遺し城を脱出します。その後、兵糧攻めにあった金ケ崎城では八百人の軍勢が亡くなり、僅か12人の手勢で逃れた恒良親王も捉えられてしまいます。延元2年(1337)、義貞は黒丸城を攻め、藤島にて戦死しました。この敦賀にて共に斃れた親王、義貞を悼み、籠手田は三首の和歌を詠みました。地元の有志が石碑を建て南朝の人びとの事跡を残すにあたり、当時、滋賀県令であった籠手田にその撰文を依頼し、同じく初代敦賀県令の熊谷武五郎に額と本文の書を依頼したものです。
琵琶湖文化館にある拓本は、元々、膳所藩出身の斎藤求(さいとう もとむ/ 求馬とも、号は虚心斎)(1852~1926)が所蔵していたもので、斎藤求は警察官として京都に赴任した際に、縁あって巌谷一六(いわや いちろく・1834~1905)の生母(瑞松院)のお世話をしていたことから、一六をはじめ日下部鳴鶴(くさかべ めいかく・1838~1922)など当時の書画家とも交流していました。その後、求の孫である浅見美都里氏とその夫の素石(そせき・1923~2006)氏により、その所蔵品の書画およそ40件が平成17年(2005)に琵琶湖文化館へ寄贈されました(詳細な経緯は、令和6年(2024年)地域連携企画展図録『近江ゆかりの書画―古写経から近代の書まで』のコラムをご覧ください)。

現在も金ヶ崎城跡に建つ石碑は、その歴史を伝える貴重な文化財です。とともに、この文化財に刻まれた碑文を記録するために、拓本は重要な保存技術といえます。琵琶湖文化館と金ヶ崎城との不思議な御縁をつなぐ貴重なコレクションの存在を、ぜひお見知りおきください。
*ちなみに皆さん覚えてますか? 滋賀県令の籠手田安定、過去に当ブログで紹介しましたよ! NHK連続テレビ小説「ばけばけ」で佐野史郎さんが演じた島根県知事の江藤安宗。そのモデルとなったのが籠手田安定!でした♪(2025.10.28付け:朝ドラに滋賀県ゆかりの人物が登場しています!)
福井)金ヶ崎古戦場碑文は滋賀県知事が書いた なにゆえに?

皆さんご覧になりましたか?先のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、「金ヶ崎の退き口」のエピソードが描かれましたね。
元亀元年(1570)4月、織田信長は越前朝倉氏を討つべく大軍を率いて出陣し、敦賀の金ヶ崎城を攻め落しました。ところがその直後、同盟関係にあったはずの近江の浅井長政が裏切って朝倉方についたため、挟撃の危機に瀕した織田軍は京へと必死の撤退を始めます。まさに袋のネズミ!!

金ヶ崎城を拠点に、撤退の殿(しんがり)として敵軍を引き付けたのが木下秀吉、明智光秀らであり、歴史小説やドラマでその決死の戦いがたびたび取り上げられてきました。
今回のドラマでも秀吉らが知略を用いて朝倉軍を退けながら、浅井軍の到着で窮地に陥ったところを、さっそうと現れた明智光秀(演:要潤)率いる鉄砲隊の活躍で九死に一生を得る、というちょっと「意外」な場面が描かれました。

実のところ、秀吉や光秀が具体的に戦場でどのような活躍をしたのかについては史料上明らかではありません。 ですが、世に「金ヶ崎の退き口」として知られるこの撤退戦を象徴する城郭が福井県敦賀市の「金ヶ崎城跡」です。この城は元亀元年の合戦以前にも、南北朝時代や戦国時代にたびたび大きな合戦の舞台となっており、城跡にはそうした合戦の歴史を伝える「金ヶ崎古戦場碑」という大きな石碑が建立されています。石碑は大河ドラマ紀行でも紹介されていましたね。
と・こ・ろ・が・ですよ、皆さん!・・・この石碑をよく読むと「滋賀県令正六位籠手田安定撰」、すなわち二代目の滋賀県知事(当時は「県令」という称号だった)が文章を書いたむねが刻まれているのです!!
・・・福井県なのに、ナニゆえに??。

実はこの石碑、明治11年(1878)8月12日の建立。そのとき、この地は滋賀県だったのです!。明治9年8月21日から同14年2月6日まで、現在の敦賀市は滋賀県の管轄下に属し滋賀の一部でした。わずか5年足らずの「海あり滋賀県」時代をしのばせる、貴重な歴史資料でもあります。三方を海に囲われた要害・金ヶ崎城跡を訪れ、戦国と近代の激動のドラマに、遠く思いをはせてみてはいかがでしょうか?。

と・こ・ろ・でですよ、皆さん!・・・金ヶ崎古戦場碑について、「写真ではあんまりわからんナァ」と思われたのでは?(・・・実際、実物でも見辛いデス。)そんなあなたに!あきつブログでは追加記事を後日掲載! 「 金ヶ崎古戦場碑 」について どこよりも詳しくご案内できる・カ・モ?!お楽しみに!
「中神コレクション」寄贈者への感謝状贈呈式が行われました!
みなさま、覚えていらっしゃいますでしょうか。昨年2025年末に、当館へ120点以上の滋賀ゆかりの書画作品が寄贈されたことを…!!! 【2025.12.24あきつブログ】
このたび寄贈していただいたのは、草津市の医師で郷土史家としても活躍された故・中神良太氏が収集した滋賀県ゆかりの貴重な作品群「中神コレクション」の一部。草津出身の画人・横井金谷による書画や草津市域などを描いた貴重な浮世絵版画が多いことで知られていますが、このたび新たに発見された近江にゆかりの深い作者やテーマに関わる作品123件をご寄贈いただきました。

2026年4月9日(木)の午後、滋賀県公館にて、寄贈してくださった中神源一さまへ三日月大造知事より感謝状が贈呈されました🎉
贈呈式には、当館の学芸員も出席。中神コレクションを収集した故・中神良太氏の思い出話も交えながら、終始和やかな雰囲気で執り行われました。

そしてこの日のために!当館にて、寄贈作品の写真を使用した特別パネルをご用意♪♪♪寄贈していただいた作品のほんの一部ですが、近江ゆかりの貴重な作品がこれだけ並ぶと、思わずうっとり✨・・・です(笑)。

パネルを見た三日月知事も、寄贈作品に興味津々!学芸員に「こちらは誰の作品なのか?」「滋賀県とはどういったゆかりがあるのか?」と問いかける場面もありました 。
寄贈作品は、新しい琵琶湖文化館で開催する展覧会で公開していく予定です。「どれも展示し甲斐がある貴重な作品ばかり」と、学芸員も公開に向け意気込んでいますよ~💪新しい琵琶湖文化館でのお披露目をぜひお楽しみに♪
大河ドラマ「豊臣兄弟!」あの肖像画はかつて当館に…!

つ、つ、ついに来た〜!NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の紀行に、滋賀県が…!!
この「あきつブログ」を読んでいただいている皆さまは、きっと「豊臣兄弟!」もご覧になっていると思います。そうです、いつ出るか…?とそわそわしていましたが、やっと登場しました、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の紀行に、滋賀県長浜市の浅井長政ゆかりの地が…!!

皆さまご存知のとおり、近江ゆかりの浅井長政。
今回の第13話「疑惑の花嫁」は、仲野太賀さん演じる小一郎が、吉岡里帆さん演じる慶(ちか)をめとることになり…という内容。近江安土の常楽寺にて、中島歩さん演じる浅井長政と、小栗旬さん演じる織田信長が相撲をするシーンもありました!
そして、ドラマ終了後の「豊臣兄弟!紀行」では、浅井長政の居城の小谷城や、祈願寺である小谷寺、そして浅井長政の肖像画が紹介されました。

この浅井長政が描かれた肖像画として名高い、小谷城址保勝会が所有する「絹本著色浅井長政像」(滋賀県指定有形文化財)。かつて琵琶湖文化館に寄託されておりました。桜が満開の4月初旬の日曜日に、長浜市小谷山の麓に位置する小谷寺にて、毎年、浅井三代の追善法要が営まれ、その際にお預かりしていたこの品が里帰りしていました。一時返却として当館学芸員が伺い、この法要の本尊として安置し、焼香もさせていただいていたのです (過去の「あきつブログ」では2015年、2018年などにご紹介)。
しかし、小谷城戦国体験ミュージアムの整備に伴い、この浅井長政像は所有者に返還されることとなり、この一時返却の慣例は昨年をもって終了しました。これはまさに、作品がそのゆかりの地である「地元に帰る」という喜ばしい流れです🌞

浅井長政関連の論文も、当館の『研究紀要』に掲載しています。滋賀県を代表する戦国武将の肖像画に、これからもご注目ください!
桜の季節がやってきました🌸
今年も桜の季節がやってきましたね🌸滋賀県にお花見スポットはたくさんありますが、中でも大津市・三井寺(園城寺)は古くから桜の名所として親しまれてきました。
例えば、平安時代後期に成立した『千載和歌集』には、「さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」という歌が掲載されています。「昔ながらの 山桜かな」の「ながら」には「ながらの山」、すなわち三井寺の背後にあり、その山号でもある「長等山(ながらやま)」がかけられています。「志賀の都は荒廃してしまっても、長等山の桜は昔と変わらず美しく咲いていることだなあ」という意が込められている歌です。

『平家物語』によれば、この歌は平家一門の武将・平忠度が詠んだものです。都落ちの最中、忠度は和歌の師匠である藤原俊成に自らが詠んだ歌を託します。忠度が一ノ谷の戦いで討ち死にした後、『千載和歌集』の撰者となった俊成は、朝敵となった忠度のこの和歌を、読み人知らずの歌として掲載したと言います。
『平家物語』によってこのような話が伝えられたこともあり、江戸時代の三井寺は桜の名所として大変に賑わっていたようです。江戸中期に活躍した俳諧師・上島鬼貫は「花散りて また閑なり 園城寺」という句を残しています。普段は静かで穏やかな時が流れる三井寺(園城寺)。桜の季節になって、花見客で活気に満ち溢れる様子が想像されますね。


当館の収蔵品にも三井寺の桜が描かれています✨こちらは江戸中期の鶴澤派の絵師・吉田元陳が描いた「近江八景図屏風」。琵琶湖周辺の景勝地・近江八景を一双の屏風に描いた作品です。
このうち左隻には、満開の桜に包まれた三井寺の伽藍が描かれています。花見に来た客なのか、はたまた参拝客なのか、旅人姿の人物が見えますね。

(複製/ 琵琶湖文化館蔵)
この他にも、歌川広重が描いた浮世絵「三井晩鐘」など、三井寺を描く江戸時代以前の絵画作品には、しばしば桜の花が描かれます。今でも桜の名所として有名な三井寺ですが、当時から三井寺と言えば桜という印象が強かったことがうかがえます。 三井寺の桜はもうすぐ満開を迎えるとのこと。この週末はお出かけして、お花見を楽しんでみてはいかがでしょうか🌸🍡🍺
