ホームページ2月のアクセス数

早くも桜の開花予想日がニュースに流れてきました。滋賀では彦根で3月28日だとか。まだまだ先のような気もいたしますが。。。実は、当館では一昨日の2月27日から、事務室に置いてある鉢植えの桜がチラホラ咲き始めました!!窓辺にほんわかピンク色。やっぱり桜はいいですね~。皆さまもどうぞこの盆栽桜で、ちょっぴり「春」をお楽しみ下さい🌸🌸🌸

さて、今日は月初め。前月のホームページアクセス数をご報告致しましょう。2月のアクセス数は、1,632件。この一ヶ月もまた大勢の方にご訪問いただき、ありがとうございました。この1ヶ月に当館ホームページを訪れた方の「検索キーワード」には、いくつか気になる言葉がありましたよ。「谷口久次郎」、「服部岩吉」。ご存知ですか?谷口久次郎氏(1886-1973)は、昭和33年(1958)から昭和41年(1966)まで、滋賀県知事を2期8年務めた方で、昭和36年の当館開館時の知事でもあります。また、服部岩吉氏(1885-1965)は、衆議院議員を経て、昭和22年(1947)、初代滋賀県民選知事となり、昭和29年(1954)まで務められました。昭和23年(1948)、県庁西隣りにあった武徳殿を改装して、当館の前身にあたる滋賀県立産業文化館が開館したのは、服部知事の時代です。お二方ともに、昭和35年4月の当館の起工式にご出席された時の様子が、写真アーカイブ「湖上にお城ができるまで」でご覧になれます。

また他にも、「滋賀県の銅像」とか「滋賀県の銅像になった有名人物」なんてキーワードがありましたよ。文化館に関係する銅像といえばもちろん「井上敬之助銅像」のことでしょう。文化館前に立つ銅像については、「浮城モノ語り」第46話で詳しく取り上げておりますが、井上敬之助氏は、滋賀県出身で衆議院議員や政友会総務を務めた、明治から昭和にかけての政治家です。何かの偶然でしょうが、こういった滋賀県ゆかりの政治家についての検索が重なったのは、滋賀県の発展に大きな功績を残された先達について、改めてどこからか注目が集まっているということなのでしょうか?お三方ともに、滋賀県民としてはしっかりと記憶に留めておきたいお名前です。もしも、「あまりよく知らなかった。。。」という方がいらっしゃったら、今からでも遅くありません!当館ホームページで、しっかりお勉強して下さい(笑)。

最後に、皆さまにお知らせです。トップページから入って来られた方はお気づきでしょうか?今日から「近江の文化財」というコンテンツに「滋賀県の指定文化財」コーナーを新設しました!!ここでは、新たに滋賀県内の国宝・重要文化財・県指定文化財のうち美術工芸品についての一覧表やさまざまなデータを掲載しています。この新コーナーを通して、国指定の重要文化財(国宝を含む)の数で全国第4位を誇る滋賀県の文化財について、皆さまにもっともっと知っていただけると嬉しいです!!これからも当館ホームページをどんどんご活用下さいね。

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文化財保護のために

皆さん大変です!文化館から“こんなの”出てきました!!コレは何?文化館に何が起こった?

いえいえ、ご安心を。実はコレ、文化財の保護対策に行う防虫・防黴(カビ)のための燻蒸(くんじょう)作業で使っていたマスクなんです(過去形)。昭和51年の新聞記事には、このマスクを付けて作業をする写真と共に、「重文仏像に駆除作戦 “身中の虫”に毒ガス」なんていう、今ではなかなかお見掛けすることのない過激(?!)な見出し記事も見付けました。

燻蒸は、密閉空間にガスを送り込み、悪さを働く虫さんやカビさんを「コテッ」とさせて、文化財そのものやその保存環境を守るために行う作業ですね。それ以上被害が大きくならないように、予防する意味もあります。昭和の終わりから平成の初め頃にかけて、文化財の燻蒸には主に、臭化メチルと酸化エチレンの混合剤(商品名:エキボン)などが使われていました。このマスクが使われていたのもこの時代。当時を知る学芸員さんに聞くと、県の文化財保護課職員さんや燻蒸の専門業者さんと一緒に社寺に出向き、現地で行う燻蒸に立ち会ったこともあったようです。

しかし、1997年(平成9年)にオゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書第9回締約国会合で、先進国においては臭化メチルの全廃を、2010年から2005年に前倒しをして実施することが、世界的に決定されました。それまでエキボンを使っていた美術館や博物館にとっては「衝撃」の出来事です。「使ってはいけません」「ハイじゃぁ次はコレを」と易々とはいかないのがこの業界。代替の新しい薬剤で本当に効果があるのか、文化財を傷めないか、慎重に吟味する検証期間が必要です。当館でもその移行期間があり、平成11年発行の研究紀要第15号には、当館における「防虫・防黴対策のあり方」について、頭を悩ませた当時の学芸員さんの苦労の様子が記されています。

この移行期間を経て、当館では現在、年間を通して館内の害虫生息状況を把握する環境調査(モニタリング)を継続して行い、忌避剤として低毒性の炭酸ガス製剤(商品名:ブンガノン)を定期的に使うことで虫やカビの発生を予防し、文化財にとって適切な環境を維持しています。近年は「総合防除:IPM」という考え方で、文化財に影響を及ぼす可能性のある化学物質を極力使用せず、建物内の環境や建物外の周辺環境まで考慮に入れた管理の仕方が望まれています。いずれにしても、年間を通した継続的な管理が必要であり、施設の特徴を把握した独自の情報を蓄積することで、害虫などの早期発見と素早い対応ができるのです。

思わぬところから出てきたガスマスクにより、普段努めている私たちも、改めて文化財の保存環境を考える、よい機会となりました。

筆:あきつ

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3/3は、藤樹の郷・安曇川へ!

皆さま、滋賀県民なら一度は”中江藤樹”のお名前を、耳にされたことがおありでしょう。。。江戸時代初期の儒学者で滋賀県を代表する偉人です。出身地の高島市安曇川町辺りでは、今でも「藤樹先生」と親しみを込めて呼ばれており、その門弟や村の人達と勉学に励んだ教室が史跡「藤樹書院」として、とても大切にされています。高島市では、長年にわたって郷土の偉人である中江藤樹の業績を中心に、豊かな歴史遺産を掘り起こして広く発信しようとされてきました。
この度行われる、県教委の平成30年度「滋賀の美と祭りのこころを伝える語り部づくり事業」第4回は『中江藤樹の郷・継承と発信のあゆみを学ぶ』と題して、高島市で地域文化財の発掘・発信をけん引してこられた専門家の方からお話を伺うことが出来ます。発表のあとには、藤樹書院での現地学習もありますので、ぜひ参加してみてはいかがでしょうか?!

 【内  容】専門講座「高島市における歴史文化保護と発信の取組み」
           講師:山本晃子氏(高島市教育委員会文化財保護課 主監)
       実践発表「中江藤樹先生と藤樹書院 継承と発信のあゆみ」
           発表者:上田藤市郎氏(公益財団法人藤樹書院 理事)
               志村観了氏(公益財団法人藤樹書院 理事)
       現地文化財学習(藤樹書院内部と墓地の見学)

 【日  時】平成31年3月3日(日) 13:00~16:00
 【場  所】史跡 藤樹書院(高島市安曇川町上小川211)
 【募集人数】50名 ※事前申込み制・先着順
 【主  催】滋賀県教育委員会
 【共  催】高島市教育委員会
 【申込み先】滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
       (美術工芸・民俗係)
       TEL:077-528-4672/FAX:077-528-4956
       メール:ma07@pref.shiga.lg.jp
       ※氏名・住所・電話番号・メールアドレスを記載
        のうえ、お申し込みください。
 【そ の 他】参加費は無料ですが入館料(一般300円)が必要となります。
       雨・雪天決行(暴風警報発令の場合は中止となります)

ところで、中江藤樹像と言えば裃(かみしも)を着た肖像画をよく見かけますが、こちらのチラシに使われているのは絵ではなく彫刻作品です。「どこかでみたなぁー」という方は、もしかして琵琶湖文化館の熱心なファンの方でしょうか???そう!これは、「浮城モノ語り」第38話でご紹介いたしました、当館所蔵の「中江藤樹坐像」(森大造作)です。今回は、藤樹つながりでチラシに使っていただきました。さあ、皆さま!3月3日は、このチラシを手に安曇川へ!(申込み先は、県教委文化財保護課です。琵琶湖文化館ではありませんので、ご注意下さい。)

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文化館の江口君 海を渡る

この度、独立行政法人国際交流基金(ジャパンファウンデーション)さんからお声かけをいただき、米国のナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンD.C.)において開催される「日本美術に見る動物の姿」展に、当館の収蔵品も出陳されることになりました。作品は、ご寄託いただいている荼吉尼点曼荼羅図と、当館の館蔵品絵画 絹本著色「江口君図」です。

もしやこれを「えぐちくん」の図と読んでしまったアナタ、まだまだデス(笑)。正しくは「えぐちのきみ」と言いまして、作者は円山応挙門下十哲の一人である駒井源琦(こまい げんき/1747~1797)、江戸時代の作品です。
本図は、像の背に乗る遊女を描いたものです。日本髪を結い艶やかな着物をまとった「いかにも日本」らしい女性の姿、そして何より展覧会のテーマである「動物」が描かれている本作品。ズバリ!今回の海外展にご指名いただいて誠に光栄でございます。そう、文化館の江口君、海を渡って世界を魅了して参ります!! ムフフン。。。

っと鼻息も荒く、超ゴキゲンな気分ではございましたが、作品が海を渡るにあたり、実は一つ問題がありました。それは、この作品に使われている「軸」についてです。勘のいい方はもう察しておられるかもしれませんが、実はもともと本図に付いている軸には、象牙が使用されています。(ゾウの絵だから象牙・・・というわけではありません。)ご存知のように象牙はワシントン条約で規制の対象となっていますので、そのままでは海を渡っていけません。ということで、事前に軸を取り替えた上で、本作品をお見送りさせていただきました。美術品と言えども(美術品だからこそ?!)守らなければならないルールがあります。一般的にはあまり知られていないことですが、現場では実はそんな苦労もあるのです。
(昨年6月より、日本国内でも美術館・博物館における展示作品の貸し借りを含む移動の際には、あらかじめ環境大臣及び経済産業大臣に対し、特別国際種事業の登録が必要となっています。)

ともあれ、展覧会は6月からですので、まだ少し先の話。同展覧会は、ロサンゼルス・カウンティ美術館でも開催され、合わせて展示される約300点のうち、日本からは180点近くの作品が米国へ向かうそうです。この展覧会に関わってくださっている関係方々に思いを託し・・・われらが日本美術の心意気(?!)、世界の多くの方々に伝わることを願っています。。。

筆:あきつ

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【フォーラムのお知らせ】神様と仏様

 私達のごく身近なところにある神社やお寺。。。日本では、多くの神様と仏様がお祀りされています。神様は神社で、仏様はお寺で、、、のはずが、実際に寺社を訪れて、よくよく見てみると、その中に神様と仏様が同居していることがあります。お寺に神様がおられたり、神社に仏様がおられたり…「なぜココにいらっしゃるのかしら?」と思ったり。考えてみれば、不思議なことですよね???そんな不思議を感じた方に、オススメのフォーラム開催のお知らせです。
 来る2月24日(日)に大津市「ピアザ淡海」で行われます「神様が好きですが?仏様が好きですか?―神仏習合文化を再考する―」では、“神仏習合”について、県内各地の博物館の学芸員さんや文化財の専門職員さん達が一堂に会して、講演・討論します。

【内  容】基礎講演「融け合う神と仏そして人」
           大沼 芳幸氏(NPO法人歴史資源開発機構キュレーター)
      講 演1「多賀参詣曼荼羅に現れた神と仏」
           本田 洋氏(多賀町立博物館係長)
      講 演2「習合美術としての神像」
           山下 立氏(滋賀県立安土城考古博物館副主幹)
      講 演3「天台の中の神と仏」
           渡邊 勇祐(滋賀県立琵琶湖文化館)
      討  論「神様と仏さまの微妙な関係」

【日  時】平成31年2月24日(日) 13:00~16:30(開場12:00)
【会  場】ピアザ淡海 滋賀県立県民交流センター3階大会議室
      (滋賀県大津市におの浜1-1-20)
【定  員】200名 (参加費無料)
      ※満員になりましたら、入場をお断りする場合があります。
【主  催】鈴鹿山麓混成博物館
【お問合せ】鈴鹿山麓混成博物館事務局
      (多賀町立博物館内 TEL:0749-48-2077)

このフォーラムでは、日本独自に発展を遂げた神仏習合文化を通して、現在そして未来における日本人と神様・仏様のお付き合いの仕方を考えていく。。。ということですので、皆さまこの機会に参加されてみてはいかがでしょうか。(問い合わせについては、琵琶湖文化館ではありませんのでご注意ください。)

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【期間限定】“ABK88”結成しました

当館のホームページをいつもチェックして下さっている方は、もうお気づきのことかと思いますが、「収蔵品公開情報」コーナーには、今年もまた新着情報が次々と到着しております。その中で、明日2月8日(金)から始まる、滋賀県立安土城考古博物館さんの第59回企画展「近江の考古学黎明期-近江風土記の丘50周年キックオフ企画―」は、な、な、なんと!当館から一挙に88点もの収蔵品が出陳されるという、注目の展示会となっております!

この展示会に当館から出陳している内容は、公開情報に掲載の通り、土器やら石器やら瓦やら…いわゆる遺跡から出土した考古資料が中心となります。「文化館に考古資料なんてあったの?」な~んてこと言わないで下さいね?!あるんです!文化館の収蔵する資料は、新聞の見出しを「新発見」「最古の」「最大の」などと賑わすようなものではないかも知れませんが、昭和23年から36年までの県立産業文化館(琵琶湖文化館の前身)時代から引き継がれたものも多く含まれており、これこそまさに”近江の考古学黎明期”を築いてきた資料と言えるでしょう。

どういうことなのか、ちょっと説明させて頂きますと…つまり「文化館の考古資料には日本の考古学史が凝縮されている」ということなんです!!そして、そういう意味で、世界に(←大きく出ましたね~)誇るべき「お宝」コレクションだと、自負しておりますよ!!(「親バカ」ですか?(笑))それからまた、このコレクションは、産業文化館以来、歴代の技師・学芸員たちが、地道な努力とその素晴らしいセンスを以て行い、また、引き継いできた資料収集活動の結果なのです。まさに”汗と涙の結晶”だということも、忘れてはならないでしょう。

※文化館の収蔵品が、日本の考古学史上どんなに重要なものであるかは、「浮城モノ語り」第29話 第35話 第39話 第43話 第47話 第50話 第53話 第60話で、コッテリと書いておりますので、お時間のある方はそちらもぜひご参考になさって下さい。

さて、そういった文化館の収蔵品の中かから、このたび安土城考古博物館さんへ出陳いたしますのは、これまたさらに「選りすぐり」の88点。末広がりで縁起の良い数となりましたので、特別にまとめて「ABK(っとおどろく んかかんの うこしりょう)88」と(勝手に!)名付けて送り出すことに致しました!!(笑)こんなに数多くの文化館収蔵品を一度に見ることの出来るチャンスはなかなかないかと思います。考古学ファンの方はもちろん、文化館のことをもっと知りたい!と常々思って下さっている方にも、ぜひとも今回は、応援に足を運んでいただきたいです。(ちなみに、”総選挙”は予定しておりませんので、あしからず。)展示会の会期は、4月7日(日)まで。詳細は安土博さんのホームページをご覧ください。

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幸福の青いナマコ

先日、ニュースで流れていたのですが、徳島県美波町の「日和佐うみがめ博物館カレッタ」さんで、地元の漁師さんが見つけたという「白いナマコ」が展示され、博物館さんが写真付きでツイッターに投稿されたところ、10日間で100万を越える閲覧があるほど大人気となっているそうです。「しろみちゃん」と名付けられたこの「白いナマコ」。見たところ。。。水槽の中でゆっくりと、ヌメーっという感じで動く姿は、巨大な蚕という感じで、ちょっと「キモカワ」ですか?(笑)ナマコが白いのは、10万匹に1匹ぐらいの割合でおこる遺伝子の突然変異で、体の色素が抜けてしまうアルビノという現象によるものだということ。とっても珍しいので、これを見た人は「縁起がいい」「幸運が訪れる」と言われているそうです。(だから大人気なんですね!) そういえば以前、琵琶湖でも「黄色のナマズ」が捕れたのがニュースになりました。あれもアルビノだと聞きましたが。。。その話は水族部門のある他館さんにお任せすることとして。。。今日お伝えするのは、琵琶湖文化館から”青いナマコ”のニュースです。

こちらが文化館の「青いナマコ」です(→)。「あれっ?この前のブログで見たよ!」という方、よく覚えていらっしゃいましたね。そうなんですよ。同じ「信楽火鉢」なんですが、前回の小さなものとはちがって、こちらは直径が50cmほどあり、まぁ巨大とは言えませんが、重たくて、簡単には動かせない大きさです。

これがなぜ「ナマコ」なのかと言いますと。。。左のアップの写真をよ~く見てくださいね。表面にかけられた釉薬。キラキラとした艶のある、とっても美しい青藍色をしていますね。この釉薬が、海の生き物である海鼠(なまこ)の色に似ていることから「海鼠釉」と名付けられているんです。信楽では、中国のものに倣って、名工の谷井直方氏と上田清兵衛氏の手で苦心の末に作り出され、明治30(1897)年頃にようやく完成しました。

それから、豆知識としてもう一つ、前回紹介した火鉢もそうですが、この火鉢の底に台として陶製の盆が付いている(くっついている)ことも特徴なんです。火鉢は部屋の畳の上で使うので、熱で畳が焦げないように、古くは底に木の板を打ち付けて台にしていたのですが、明治33年に陶製の盆が考え出されて台付火鉢となり、大正末期頃まで焼かれました。昭和になると台の付かない火鉢になるので、この火鉢は明治の終わりから大正時代に作られたものだということがわかります。

信楽で「海鼠釉」の火鉢は、今でも少量ながら生産されています。けれども、明治~大正時代に作られ、実際に使用されたこの型は、今や、「青い」にも拘らずレッドリストに載りそうな「絶滅危惧種」となっています(涙)。。。だから、今このブログで、文化館の「青いナマコ(火鉢)」(「あおみちゃん」と呼んでいいですか?)を見ることのできたあなたは、本当にラッキー!今日はきっとイイコトありますよ!!

ご興味のある方はコチラもどうぞ。昭和10年代の旧滋賀県庁舎内の写真ですが、机の側に火鉢が置かれています。これは「My火鉢」?!ある意味斬新かも?!!火鉢つながりで、なかなかに面白い写真を見せていただきました(笑)。

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ホームページ1月のアクセス数

新年が始まって1ヶ月、時が経つのは早いもので、1月は「行く」2月は「逃げる」3月は「去る」と、怒涛の年度末が訪れる気配が…皆さんも?…。そこで気になるのが!(強制的に現実逃避!!)、今年最初の当館ホームページアクセス数!1月はなんと1,586件!今年も年始めから、たくさんの方に見ていただきました。ありがとうございます。

ホームページが好評であることもさることながら、実はとても嬉しいことがありました。それは文化館の看板娘(?!)、表の歩道沿いに設置している掲示板についてのことです。この掲示板には、当館に関連する展覧会の情報や、ホームページで紹介している「ブログ」「浮城モノ語り」などを、大きく印刷して貼りだし、いわば、文化館のもう一つの広告塔として、地域の皆さんをつなぐ重要な役割を担っています。掲示するにあたっては、「文字サイズはこのくらいが読みやすい?」とか「図版はこの大きさかな?」など、掲示板ならではの試行錯誤を繰り返しながら更新をしております。

ある日新しいブログを貼りだしていると、「文化館が休日のとき、掲示板を熱心に読んでいる少年がいたよ」と道行く方が話しかけてくださいました。詳しく伺うと、中学生くらいの少年が、長い時間をかけて掲示物を読んでいたとのこと。教えてくださった方が「きっと文化館のことをよく知りたいのね」と笑顔でお話しされるくらい、それはもう熱心に読んでくれていたそうです。

通りを歩く人が足を止め、内容を熱心に読んでくださっている姿は、私もよくお見かけします。ただその多くは学生さんではなく、近くで働くサラリーマンや、観光で滋賀に来られた方、あるいは文化館の前庭に遊具があった頃に遊んだり、地下のプールで泳いだ記憶がある少し年配の方などです。(更新作業中に「むかし文化館によく遊びにきたよ」と嬉しそうに話しかけてくださる方も。)なので、開館していた頃を知らないであろう少年が、熱心に読んでいたというお話を聞いた時は、とっても嬉しくなりました。老若男女すべての世代の人に文化館について興味を持ってもらえるコトが、なにより一番ですから!

ホームページでは遠くの人にも文化館の活動を知ってもらえるように。。。そして、掲示板では、近くの人にも文化館の歴史や、地元滋賀の文化財のことを知ってもらえるように。。。「おっ?!新しい記事が出たな?!」と注目して貰えるよう、今日も『更新』を頑張ろう!と思います。

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「火鉢の時代」に思いを馳せる

滋賀の今年の冬は例年より暖かいのだと思いますが、大寒を過ぎた1月下旬、さすがに寒さ厳しくなってきました。巷ではインフルエンザも大流行している様子。皆さま、体調崩されたりしていませんか?インフルエンザの予防には、まずは「手洗い」と「うがい」、それから、体を「温める」ことも大切ですね。。。そこで、琵琶湖文化館になにか「温かい」ものはないかと思って、探し出してきたのが。。。この信楽焼の「火鉢」です。

火鉢というのは、世間ではもうすっかり見かけなくなったように思いますが、昭和30年代までは家庭の暖房器具として普通に使われていたので、「懐かしいなあ~。子供のころには家にあったよ」なんていう方も、まだまだいらっしゃるのではないでしょうか?

  鎌倉時代に始まる信楽焼では、江戸時代にはすでに火鉢を作っていたことがわかっていますが、特に終戦直後の昭和20年代には、戦時中の金属供出によって失われた金属製の火鉢に代わるものとして、「信楽火鉢」が大ブームとなりました。その後、昭和30年代の初めに、日本の暖房器具は石油ストーブに取って代わられ、火鉢の時代はほぼ終わりを迎えます。

信楽火鉢が戦後のブームを迎えた時には、「一家団欒信楽火鉢」という謳い文句で売り出されたそうです。雪の降る夜に、家族で火鉢を囲み暖を取りながら、今日一日のできごとを語り合う。。。あるいはそこに、おばあちゃんの昔語りなどもあったのでしょうか?そんな「火鉢の時代」に思いを馳せると、体の芯から温かいものが感じられてきます。。。

先週の土曜日、26日は「文化財防火デー」でした。「火鉢の時代」が遠くなった分、今は「火」の扱いに不慣れな人が増え、火災につながっているのかも知れません。空気の乾燥したこの季節。火の取扱いには充分に気を付けたいですね。

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文化館とトンボの由来(2)

こんにちは~!今日も元気に”トンボ”ネタです(笑)。
前回(1/15付)のブログで、ザックリと文化館とトンボの由来を紹介させていただきましたが、この話題について事務所で盛り上がっていると、ひょんなことから更に話は広がりましたので、皆さんにもご報告しておきま~す。

先ずはこちら。当館に保管されている建設の設計図面に載っていた大トンボです。・・・なんだか実物とは随分と印象が異なりますね?!屋上にトンボ。。。この奇想天外なモニュメントの実現にどれほど苦労されたことか、一大事業を任された設計技師さんのご苦労が、この図面からもうかがい知れます。。。
そして驚くべきは、右下に「カチムシ」と記載されていることです。この驚きわかります?「トンボ」ではなく「カチムシ」です。前回のブログで説明したあの「勝ち虫」ですよ。今の私たちには馴染みのない呼び方で、「カチムシ」と言われても戸惑いますが、当時はそれが当たり前に通じる、戦後十数年の、そういう「時代」であったことを物語っているかのようです。或いは文化館の建設にあたって、敢えて縁起を担いでの呼び名であったかもしれません。

そうそう、開館当時(昭和36年)に発行された「琵琶湖文化館創建報告書」を開くと、”勝虫飾”は「総体金箔仕上げ」「頭部 眼球部分 アクリ青色板嵌込」「一分間に二回転位の速度にて回転する様、変速モーター付」と書かれています。目玉を青色に光らせながらクルクル回る、黄金に輝くモニュメント・・・なんと派手なトンボであったことか(笑)。それは目立つ!!残念ながら、当館にカラー写真で残っていないのがとても口惜しいところ。一度見てみたかったー!!(もし「家のアルバムに写真があるよ」という方がいらっしゃいましたら、是非ご連絡ください!)

そしてもう一つ。それはベテラン学芸員さんのひと言から始まりました。「こんなの知ってる?」・・・
今やインターネットの時代。さまざまな情報が簡単に手に入ります。「とんぼ随想」というサイトを見ると、説明書きに「このコレクションは、繊維総合商社モリリン株式会社(旧森林株式会社)商報に、昭和29年(1954年)2月から48回にわたって掲載された、各界名士48人の「とんぼ」にまつわる随筆を、自筆原稿とともに紹介する」とあります。そしてなんとその中に、琵琶湖文化館の初代館長である草野文男氏が「蜻蛉塔のいわれ」というタイトルで寄稿されているのです。初代館長の熱い思いが伝わる内容です。

文化館で働いていて面白いな~と思うのは、こういうトコロです。一つの「扉」を開くと、どんどん話が広がる・・・アレとコレがつながってそうきたか!!みたいな(笑)。それはひとえに文化館が歴史を積み上げてきたからこそ・・・なのだと思います。これって文化や歴史を掘り下げて勉強する時と同じ感覚・・・一つの側面だけを見ていてはその面白みがわからない。何が影響し合ってこうなったのか、それを知る楽しみがあります。いやぁ奥が深い話になっちゃいました?要するに琵琶湖文化館はいろんなモノで出来ている?!あぁ、自分の表現力の乏しさに泣きたくなりますが・・・そんな職場で働くことが出来て幸せです。。。

筆:あきつ

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文化館とトンボの由来

前回(1/11付)のブログで、当館の「シンボル的存在」感を、熱弁した僕:あきつです。
文章の中で『屋上に設置されている”大トンボ”が目を引くことから「トンボのお城」という愛称でもお馴染み』であると紹介させていただきました。が、特に若い世代の方は、「文化館とトンボ」の由来をご存知ないかもしれませんので、改めてその理由をお話しさせていただきましょう。

先ず、前提として、皆さんは、このトンボのことを・・ご存知???・・はい!モチロンご存知ですね?!!(ここは強行突破させていただきます!!)

屋上からさらに8m余り上、両羽根をひろげた長さが3mというこの“大トンボ”は、色が一色なので誤解されることもありますが、実は秋によく見かける「あきあかね(赤とんぼ)」なんですよ。昭和36年(1961)当館の創建にあたって、あえてトンボをシンボルとした理由はいくつかあります。

万葉の昔、日本は秋津島(蜻蛉洲)と呼ばれていました。秋津(蜻蛉)とはトンボの古名で、滋賀県は秋津島の中心にあるので、日本を象徴する蜻蛉(トンボ)をシンボルマークとしたのです。また湖面をスイスイと泳ぐように飛ぶトンボの姿に、健康、明朗といったイメージを抱き、トンボの眼のようにクルクルと四方を見渡し、広い視野をもって事にあたるという意味合いも含んでいます。
(屋上に設置する前に撮影された貴重な写真→)
開館当時このトンボは、夜になると眼を光らせて回転し、灯台の役割も担っていました。その印象が強く「トンボのお城」の愛称でお馴染みとなったのです。
当ブログにおいて、イラストで(何度も)登場している『あきつ君』は、この大トンボから誕生したマスコットキャラクターです。なので尻尾の赤い「赤とんぼ」なんですよ~。ガッテン!していただけました?

ちなみに、トンボは”勝ち虫”と言い、戦いに挑む武将たちにも好まれた生き物なのですよ。戦に勝つ!己に勝つ!間もなく受験を控える学生さんにも強い味方ですよ!(詳しくはコチラのブログをチェック!!)
そんな縁起の良さも相まって(自分で言っちゃった!!)、皆さんの注目を集めるトンボとして、活動範囲を広げていきたいと思います。皆さま、文化館のトンボを、これからもどうぞよろしくお願い致しま~す。

筆:あきつ

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シンボル的存在:文化館

この冬第2の寒波に襲われた今週、大津市内でも雪が舞うなど、とても寒い1週間となりました。写真は9日の撮影ですが、文化館と右にうっすら白く雪が積もって見えるのは、世界文化遺産にも登録された天台宗の総本山延暦寺がある比叡山です。
さて、湖畔にたたずむ我がお城:琵琶湖文化館ですが、その特徴的な外観から、撮影意欲を刺激された方たちが、写真を撮っておられる姿をよく見かけます。観光で来られたであろう女性のグループやバックパックを背負った外国の人々、滋賀に出張中と思しきビジネスマンなど。時には(度々見かける)通勤途中のサラリーマンの方が、朝の陽光をバックに撮影ポイントを工夫して撮っておられる姿も。。わかります・・撮りたくなる気持ちワカリマス!

当館は、「大津で湖岸に建つお城」と言えば通じるシンボル的存在。屋上に設置されている”大トンボ”が目を引くことから「トンボのお城」という愛称でもお馴染みです。地元の人には、文化館が写っていると大体どのあたりで撮影されたのかイメージがし易いので、「大津で初雪」「県内で濃い霧が発生」「湖畔で行われた消防出初式」「外来魚駆除の釣り大会」「湖岸一斉清掃」などの季節情報で、(文化館を含めた)湖岸の風景が報道等で紹介されることもよくあります。
県外から来られた方にとっては、名神高速道路大津ICを下りて市内に向かって走ると正面に見えてくる謎の建物?!「あれは一体何だろう?」と思わせる魅惑のスポット?!(笑)。サイクリングで琵琶湖をめぐる「ビワイチ」の人たちには、良い目印になっているようで、SNSで紹介して下さっている方もいらっしゃいます。

大津の湖畔でシンボリックにたたずむ文化館。ミステリアスな「謎の建物」として君臨するのもいいのですが(笑)、館内での展示以外、休館中も博物館活動を行っていますので、そちらも注目していただけるよう、頑張っていきたいと思います。

筆:あきつ

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新年あけましておめでとうございます!年末年始はいかがでしたか?ゆっくりと過ごされましたでしょうか?年末の大掃除や新年のごあいさつに大忙しだった方も多いことでしょう。そのような中、ホッとひと息、当館のホームページをご覧いただいている皆さま、誠に有り難うございます。昨年12月には1,660件のアクセスをいただきました。年が明けて、本日が仕事始めという職場も多いと思います。今年も引き続き当館の運営・事業をご支援くださいますよう、どうぞよろしくお願い致します。

さて皆さま、お正月に”初夢”はご覧になりましたか?初夢に見ると縁起がよいものとして「一富士、二鷹、三茄子」というのがありますね。「残念!そんな良い夢、見られなかったわ!」という方のために、当館ではこんな「富士山」をご用意いたしましたよ(写真)!!

「何これ?」「どこが富士山??」なんて言わないで下さいね。こちらは、当館の所蔵する「小富士焼」のカップでございます。小富士焼というのは、『近江栗太郡志』によると、明治30年頃、葉山村小野の小山佐多次郎が「近江富士」とも呼ばれる三上山の麓、野洲郡小篠原(現・野洲市)に窯を開いたのが始まりです。日常雑器を中心としながら、京焼風の趣ある作品は人々に大変喜ばれたのですが、操業は短期間で終わり、幻の焼き物となってしまいました。写真の作品は、小富士焼の絵付けとして好まれた三上山が、純白の素地に清々しい青の顔料でくっきりと描かれた、とっても可愛らしいカップですね。底をひっくり返すと「小富士」の刻印が押されています。

ところで三上山(右の写真)というのは、伝説の上では富士山とは兄弟にあたる山。三上山ももちろん人々の信仰の対象となっているのですが、兄(?)の富士山の方は、そもそも(その山容の美しさからではなく)時に恐ろしい噴火を起こす火山であることから、畏れの対象として信仰されてきたそうです。この「(小)富士」の描かれたカップを火山に見立て、(溶岩のように!?)熱~いお茶を頂いたなら、なんだか山の神様から”不死(=長寿)の力”を授かりそうではありませんか! いやぁ、なんとも”目出度い”ので、何度も”愛でたい”カップでございます。

さてさて、”長寿”と言えば、昨今の滋賀県は平均寿命が全国でも高い位置(男性が1位、女性は4位)にあるということです。その要因には様々なことが挙げられていますが、「学習・自己啓発する人が多い」のもその一つにあるとか?ならば皆さん、今年も、好奇心・探求心の”タネ”がいっぱい詰まった当館のホームページを見て、楽しく学べば、ますますの「健康長寿」が得られるかも?ほら、今日も「富士(不死)」が得られたでしょ(笑)?

はい!それでは、本年もどうぞよろしくお願いいたしま~す。

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≪特集≫朝鮮通信使と近江 in 『湖国と文化』

約40年の長きにわたって近江文化の魅力を発信し続けている季刊誌『湖国と文化』。新春の最新号では、去年10月に「朝鮮通信使に関する記録」がユネスコの世界の記憶(世界記憶遺産)に登録されたことを記念して、「朝鮮通信使と近江」と題した特集が組まれています。
登録された記録資料は日韓あわせて111件333点、滋賀県からは当館所蔵の「琵琶湖図」(円山応震筆)をはじめ絵図や書跡など、4件39点が登録されました。
そして本号では、当館の琵琶湖図(朝鮮通信使一行を描いた部分)を大々的に表紙としてお使いいただいており、先日、出来たてホヤホヤをいち早くご恵贈いただきました。誠にありがとうございました。
特集内容は、県内の登録資料をカラー図版で紹介するだけでなく、各分野の専門家が分担して、「朝鮮人街道」といわれる街道筋の歴史や文化、長浜出身の日朝外交の功労者・雨森芳洲について、近江に伝わる朝鮮通信使へのおもてなしの食文化、さらに現代において行われている日韓交流の活動記録などを執筆した、大変充実した内容となっています。皆さん是非、手に取っていただければと思います。

学芸員W

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明智光秀は近江出身?!

2020年NHK大河ドラマの主人公に決まった明智光秀。放送はまだ先の話ですが、「明智光秀」についての注目度が、日増しにUPしてきている気配です。
その光秀さん、生年なども諸説あり出生については謎が多いようですが、美濃出身が定説とされるなか、実はなんと「近江出身であったのでは?」との説が急浮上・・・!皆さんコレ、とっても気になりません?!気になった方!朗報です!

来たる1月20日(日)、多賀町立文化財センターで「明智光秀近江出身伝説を発掘・発信しよう」事業が開催されます(主催:滋賀県教育委員会)。

  【内  容】専門講座「明智光秀は多賀町佐目で生まれた!?」
         講師:井上優氏(県教委事務局文化財保護課主幹)
        実践発表「多賀町佐目の歴史文化を発掘・発信する」
         発表者:澤田順子氏(㈱マルト取締役 多賀町出身)
        ※明智光秀近江出身説関係資料特別公開
        ※多賀町佐目伝説の地・写真パネル紹介
 
  【日  時】平成31年1月20日(日) 13:00~16:00
  【会  場】多賀町立文化財センター(多賀町四手976-2 あけぼのパーク多賀内)
  【募集人数】50名 ※事前申込み制・先着順
  【主  催】滋賀県教育委員会
  【共  催】多賀町教育委員会
  【協  力】滋賀県立琵琶湖文化館・近江歴史回廊倶楽部
  【申込み先】滋賀県教育委員会事務局文化財保護課(美術工芸・民俗係)
         TEL:077-528-4672 FAX:077-528-4956
         メール:ma07@pref.shiga.lg.jp
       ※氏名・住所・電話番号・メールアドレスを記載のうえ、お申し込みください。
  【そ の 他】参加費無料 ※雨雪天決行(暴風警報発令の場合は中止となります)

実はこのイベントでキーポイントとなる「光秀が近江の生まれ」だという説は、文化館が収蔵する「淡海温故録」や「近江輿地志略」にも記述があり、今回特別出品というかたちで、協力させていただいております。講座ではその内容についても詳しく解説されます。また、多賀町佐目で、今も語り継がれる光秀伝説についての地元研究者からの発表もあるということなので、これは楽しみですね。皆さま是非ご参加ください。
(申込み先は、県教委文化財保護課です。琵琶湖文化館ではありませんので、ご注意下さい。)

※「淡海温故録」「近江輿地志略」の公開は1月12日~1月27日までとなっています。

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えと・干支・亥

「も~い~くつ寝ると~お正月~♪」そんな歌を歌いたくなる年の瀬です。平成も残りあとわずか。。。滋賀では、猪を神の使いとする、日野町にある馬見岡綿向神社さん(覚えてらっしゃいますか?今年の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」で取り上げられた、新たに県の文化財に指定された巨大な絵馬が掲げられている神社さんですよ!)で、巨大な“干支”の絵馬が飾られたことがニュースになったり、最近では少なくなりましたが、お店で来年の“干支”のカレンダーをいただいたり…そうそう、“干支”の絵柄が入った年賀状の用意もしなければなりません!

“えーっと”ですね、何故「干支」「えと」と繰り返し言うのかといいますと、来年の干支は「亥」ということで、今月の館蔵品紹介「浮城モノ語り」でも「猪図(松村呉春筆)」を紹介させていただきました。
この絵の中で、伏した雌に寄り添うように立っている雄の猪…2頭は夫婦なのでしょうか?とても穏やかな絵です。 ちなみに、伏している猪は、“臥猪(ふすい)”と呼ばれ、「獰猛な猪が眠っているのは世が平和で安らかである」として、吉祥のシンボルとされているそうですよ。
例年、文化館前の掲示板では、お正月に「新年のご挨拶」を貼りだしています。平成31年は、やはりこの「猪図」の出番でしょう!臥猪の絵ならなおのこと、縁起が良いコト、間違いなし!!

文化館で行っている仕事の一つに、“収蔵品の写真貸し出し業務”があります。この猪図も「干支カレンダーに使用するため」との理由で、複数の依頼をいただきました。。。どこかで皆さんのお目に留まることを楽しみに。。。も~い~くつ寝ると~お正月~♪

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文化館を支えた職人魂

文化館でお仕事をしていると、ときどきビックリするようなモノが発見されたりします。それは50年前の新聞であったり、魚を捕まえる漁具(これは水族館があったから)であったり、簡易ベット(宿直当番があったから)であったり・・・現在、館を預かる僕たちにとっては「何故?!」と思うようなモノばかりですが、どれもこれも、昭和36年(1961)開館という長い歴史ある時間の中で、その時々に必要であったモノたちです。その中でも“とっておき”を、この度発見しましたので、これも文化館を物語る“語り部”の一つとして、皆さんに紹介しておきましょう。

先ずはコチラ。「びわ湖文化舘」の焼印が押された大工道具です。なんと特注?!簡単に手に入る市販のモノではないの?!というか、何故文化館にナタとカンナが??!!・・・えぇ~っと、謎は尽きませんが想像しますと、以前は文化館の正面に広場があり、たくさんの木が植えてあったので、時にはナタも必要だったかもしれませんし、中池ではアヒルなども飼っていたので、鳥小屋などは自分たちで作って自分たちで補修をしていたのかもしれません。あくまで想像ですが、館内に残されている様々な「手仕事」から推察すると、手の器用な職員さん達が自分たちで何とかしようと努力をしていたことは、容易にうかがい知れます。そのためのカンナとナタだったのでしょう。ちなみにスコップにもしっかりと焼印が押してありましたよ。

と、話を収めるつもりでしたが、更に見つけてしまいました。それがコチラ。「びわ湖文化舘」の焼印(焼きゴテ)です!「館」が俗字の「舘」であるあたりがまた何とも・・・(愛)。。。
しかし、まさか焼印の“本体”があったとは!!こうなるともうどれが『特注』なのかワカリマセンね(笑)!いずれにしろ、先輩職員さんたちがプライドを持ってお仕事をされていたんだな~と、その証を見せていただいた気がします。

そしてもう一つ。これは館内の配線を見に来られた業者さんに教えていただいたのですが、右の写真を見ていただきたい。左隅に写っているのは電気の分電盤ですが、そこから壁や天井を伝って各部屋へ伸ばされる配管の湾曲!これ、実は固い鉄管です。業者さん曰く「真っすぐな鉄管を角に合わせて、その場で鉄管を熱しながら曲げながら敷設されてますね。恐ろしい技術です。今、こんなこと出来る人(する人)居ないです」とのこと。うぅ~ん、褒めていただいたのか何なのか(笑)。そう言えば今は塩ビのケーブルモールを使うことがほとんど・・・なのかな?天井を見上げると、このテの「曲げ鉄管」は、文化館ではよく見かけるので当たり前だと思ってました。ご指摘いただいて気付きましたが、どうもすごい職人技らしいです。

以上、巷では「平成最後の・・・」という言葉を耳にする機会が多い中で、なんとも「昭和のにおい」がプンプンする当館ですが、開館からの57年を支えた職員の心意気!みたいなモノに出会うことで、またちょっぴりこの館に愛着が湧いてくるから不思議です。
いろんな“モノ”に支えられている琵琶湖文化館です。

筆:あきつ

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チェスト!猪どん

日本列島は、今年の夏の”災害級の暑さ”が忘れられないのか、師走に入っても各地で夏日が続出。かと思ったら、週末に今度は厳しい寒さが訪れ、ようやく冬の気候になってきました(滋賀県では彦根で初雪⛄となりました)。そんなこんなで自宅では、例年ならとっくに出ているはずの炬燵が、ようやくのご登場となりましたよ!

ところで、江戸時代には「炬燵開き」の日が決まっていたこと、、、皆さまご存知でしたか?旧暦亥の月(10月)の亥の日(新暦では、2018年は11月3日と15日)を「亥の子(いのこ)」といって、「亥の子餅」を食べるなどして祝い、この日に炬燵や火鉢を出すことになっていたそうです。

亥の月の亥の日に、多産の猪にあやかろうと、子孫繁栄を願って猪に似せたお餅を食べるのはわかるのですが、それがどうして炬燵や火鉢につながるんでしょう?実は、猪というのは、はるばるインドからいらっしゃった女神・摩利支天(まりしてん)さまのお使い。そして、摩利支天さまはそもそも、ゆらゆら揺らめく陽炎の化身だということから、亥の日に火を入れることで、私たちを炎(火災)から守って下さるのだそうです。あ~、うちの炬燵…やっぱりもっと早くに出しておくべきだった(涙)。

さて、摩利支天さまと言うと、文化館でもご縁あって市神神社さまから摩利支天像2幅をお預かりしております。なんでも、この摩利支天さまたち、明日11日から、安土城考古博物館にて、今年の干支の戌から来年の亥への引継ぎのための集会(展示)が行われるということで、二人そろって愛車ならぬ愛猪にまたがり、お出かけ中でございます。(実際にこの魔利支天さまは、猪の上に乗った姿で描かれています。会場では要チェック!!)

また、そのことを耳にした縄文時代生まれの長老(?)石山貝塚から出土した猪の牙さまも、「平成最後の亥年ならば、わしもキバって参加せねばならぬのう~」とおっしゃって、いそいそと摩利支天さまについて行かれましたよ!漏れ聞くところでは、お出かけ前に「芸能人は歯が命」とつぶやきながら、歯磨き粉をキュッと握りしめていたとかいないとか。。。まっ、ことの真偽はともかくとして、久々の晴れ舞台ですから、”半端ない”ご活躍を期待してま~す(笑)。

安土城考古博物館にて開催される集会(展示)、正式には、特別陳列「干支をめぐる文化財―戌から亥へ―」は、12月11日(火)から年明け1月27日(日)までの開催です。皆さまもここはキバって見に行かれてはいかがですか?もしかすると、年賀状のヒントが見つかるかもしれませんよ!?(そだねー)

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【明治モノ語り】:駆け込み編 スカーレット・シガラキ?

来年のことを言うと「鬼に笑われる」のかもしれませんが、来年の秋からNHKで放映される朝の連続ドラマが発表となりましたね。朝ドラって、時間が合わなくてなかなか見ることがないのですが、“スカーレット”という新しいドラマは、舞台がなんと甲賀市信楽町で(滋賀県ですよ!嬉しいですね!!)、高度成長期、モノ作りに情熱を燃やす女性陶芸家の物語だということ。これはぜひ見てみたいですね。

 甲賀市信楽町はいうまでもなく、中世から続くやきもの・信楽焼の産地。平成29年(2017)には「六古窯」の一つとして日本遺産にも登録されています。こちらの文化館にも、滋賀県指定有形文化財となっている桃山時代の「信楽矢筈口水指」をはじめとした茶道具や日常雑器にいたる「古信楽」と呼ばれるものから、現代の作家さんによる作品まで、数多くの信楽焼の作品を収蔵していますが、今日はその中から、ちょっと変わった“あるモノ”をご紹介しましょう。

左の写真にある、白い洗面器のようなもの。これ、何だと思いますか?大きさは径37cmほどあります。底に穴が開けられているので、洗面器ではないですね。実はこれ、信楽焼で作られた「糸取鍋」というものなんです。「糸取鍋」とは、繭玉を湯や蒸気で煮て糸を取り出すための道具で、繭を煮て生糸を巻き取るまでの行程を行う繰糸器械に欠かせない部品です。

今から150年近く前、明治時代になって日本の近代化を担うものとして、明治5年(1872)に官営の富岡製糸場が群馬県に建設され、欧米の技術を取り入れて生糸の大量生産を行います。この富岡製糸場は平成26年(2014)に「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録されていますね。実は、近年発掘調査が行われた富岡製糸場跡から、文化館の収蔵品と同じような陶器製の糸取鍋が多数出土しているのですが、ここで出土した糸取鍋の底には「江州信楽鍋要」「ナベヨ」などの印が押されていて、明治のはじめに信楽で奥田要助という人物が創業した会社の製品であることがわかっています。

文化館収蔵の糸取鍋には、底裏に「信楽¬(カネ)用合名会社製造」という刻印が押されています。これは、明治27年(1894)に「鍋要」から社名を変えた「信楽糸取鍋合名会社」のことです。糸取鍋は、技術の進展にともなって少しずつ形を変えていきますが、明治20年代後半~30年代の糸取鍋(糸繭鍋)は、円形でスチーム用の管が設けられており、噴出用の小孔が穿たれて、鍋の内面に白色の釉薬をかけています。上の写真をよ~く見てくださいね。文化館のものもそうなっていることが、お解りでしょう?

そもそも外国製の鍋は金属製でしたが、この信楽焼の鍋は、陶器であることから熱に強く、錆や(染色の際の)化学変化での色移りがないということから、富岡製糸場をはじめ全国の製糸場で大人気、大ヒット商品となっていったということです。余談ですが、明治33年(1900)にはパリ万博にも堂々の出品となったそうです!日本の近代化、特に工業化が女工さんたちに支えられていたことは良く知られていますが、さらにそれを縁の下で支えていたのが、信楽焼の糸取鍋だったとはオドロキですね!

さてさて、早くも12月となりました。「明治150年」へ年内駆け込みの収蔵品紹介、なんとか間に合ったでしょうか?(ハァハァ、ゼイゼイ、、、)これで安心して年を越せる?いえいえ、文化館にはまだまだ年内にやらければならないことが山積みデス。。。2018年が”風とともに”去らぬうちに、ここはひとつスカーレットに炎を燃やし、情熱的に頑張らねば(何のこっちゃ?)エ~イ!!

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ホームページ11月のアクセス数

あっという間に12月に突入です。なにかと気忙しい今日この頃、“平成最後”にふさわしい締めくくりが出来るよう、気を引き締めて毎日を過ごしたいものです。明るい未来を!
さて、こちらもシメておかねばなりません。毎度お馴染みのご報告ではございますが、11月も多くの方にホームページをご覧いただいたおかげで1,733件のアクセスがありました。休館中の当館と、皆さんを繋ぐバロメーターでもあるこのホームページアクセス数。これからもテンションを上げ気味に↑↑↑取り組んでまいりますね。

そうそう、先日もテンションが上がる、とても嬉しいことがありました。それは、文化館に来られたひとりの男性。。。ご用件は「彦根城外堀の現地探訪の地図が欲しい」とのご依頼!まだ終わってなかった「打出のコヅチ」(笑)!!
この”彦根城外堀の現地探訪”とは、11月8日に行った「滋賀の文化財講座 花湖さんの打出のコヅチ 第6回現地探訪」(詳しくは11/9付のブログ)のことです。
現地探訪は、文化財講座始まって以来初の試みで、主催側としても大いに盛り上がったので、開催翌日には文化館前の掲示板に、探訪の様子を大きなポスターにして貼り出しました。また、この掲示板を見て気になった方が、地図を片手に同じコースを歩き気軽に現地探訪を楽しんでもらえるように、ポイント毎の写真と簡単な地図を載せたチラシを作り、「ルートを掲載した地図があります。ご希望の方は事務所まで」と、貼り紙をしておいたのです。当日行けなかった人や、行ったけれどもう一度おさらいしたい人、そして道行く人々に楽しんでいただくために!
すると、貼り出してすぐは反応がなかったのですが、2週間程経った頃でしょうか、「探訪のチラシが欲しい」という方が、事務所を訪ねて来られたのです!(やった!!)本当に嬉しくて感謝の思いを胸に地図をお渡ししました。そしてこの日は、なんと!この方だけでなく「地図が欲しい」とおっしゃられる方が次々といらっしゃったのです!おひとりは現地探訪のことは知っていたけれど、当日は都合がつかず行けなかったとのこと。。。そして「当日の様子を詳しく知りたい」ということで、文化館に足を運んで下さったようなのです。こんな風に、色々な方がチラシを欲しいと言ってくださり、嬉しいかぎりです! 作って良かった!!

中には、ご友人を「案内して歩きたい」という人も・・・「そこで僕でも詳しく説明できる資料があればなぁ」。。。ということで!講座を担当された松下先生に無理を承知でお願いしました!!その資料がコチラ! 外堀めぐりのポイントが書いてあります。これで案内もバッチリですネ!!

このブログを読んで「文化館に足を運べないけど、地図が欲しい」という方もいらっしゃるのでは?!…ご安心ください!チラシが印刷できます!皆さまもぜひとも、この文化館特製「彦根現地探訪の地図」を片手に彦根の町を歩いて、現地探訪を再現してみてくださいね。

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講座のお知らせ:語り部になってみませんか?

先日、新聞の見出しに「湖国の観光客3年連続最多更新」という記事が載っていました。インスタ映えのスポットが人気になっていることもあり、近年観光客が増えているようです。そんな滋賀県には、多くのすばらしい文化財があります。全国から、あるいは、海外からいらっしゃった方に、滋賀の豊かな文化財について知ってもらいたい、教えてあげたい…と活動されている方、滋賀の魅力を伝えたいと思っている方々にピッタリの講座をご紹介します。
この講座は、地域に伝わる文化財を学び、伝えていく人材を育成していくことを目的とした『滋賀の美と祭りのこころを伝える語り部づくり事業』(滋賀県教育委員会主催)の一環として開催されるもので、今回は「日吉大社で文化財観光活用を考える」をテーマに、12月9日(日)に日吉大社で開催されます。

 【内  容】専門講座「文化財の観光活用-展望と課題-」
        講師:毛利憲一氏(平安女学院大学 国際観光学部教授)
       実践発表「日吉大社における文化財活用の取り組み」
        発表者:矢頭英征氏(日吉大社 禰宜)
       現地文化財学習(日吉大社境内での文化財見学等)
        
 【日  時】平成30年12月9日(日) 13:00~16:00
 【集合場所】日吉大社 日吉会館
       (大津市坂本5丁目1-1)
 【募集人数】50名 ※事前申込み制・先着順
 【主  催】滋賀県教育委員会
 【協  力】日吉大社 近江歴史回廊倶楽部
 【申込み先】滋賀県教育委員会事務局文化財保護課
       (美術工芸・民俗係)
       TEL:077-528-4672
       FAX:077-528-4956
       メール:ma07@pref.shiga.lg.jp
       ※氏名・住所・電話番号・メールアドレスを記載のうえ、お申し込みください。
 【そ の 他】参加費は無料ですが拝観料(一般450円)が必要となります。
       雨・雪天決行(暴風警報発令の場合は中止となります)

講座を担当される毛利憲一先生は、京都で唯一の観光学部専任教授ということで、文化財の観光活用について、最新の動きや、今後の展望と課題について教えて頂きます。また、会場となる日吉大社さんは、日本遺産の認定などをきっかけに、積極的に文化財を活用して広く発信しようとされており、全国的な注目を集めています。そんな日吉大社さんで観光を視野に入れての文化財活用に取り組んでおられる、矢頭英征氏からお話しをうかがい、座学の後、境内の国宝建築等の文化財を見学しながら、活用の工夫について学ぶことが出来る内容となっています。

地域の文化財を守り伝えていく「語り部」さんにも、なるほど文化財の観光活用について気軽に学べるとても貴重な機会ですので、皆さま、ぜひともご参加ください。(申込み先は、県教委文化財保護課です。琵琶湖文化館ではありませんので、ご注意下さい。)

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なるほどミュージアム

みなさんはご覧になりましたか?25日(日)の夜にびわ湖放送のローカル番組で、「なるほどミュージアム滋賀」という番組を放送していました。 今回のテーマは「文化財」。なるほどこれは見ねばなるまい・・・と、テレビの前に陣取りチャンネルを合わせてみると、滋賀の文化財講座でもお馴染みの講師:県教委文化財保護課の井上優氏がスタジオゲストでお話されているではありませんか!番組内容も、滋賀県に住む私たちにとって、とても身近で面白い内容だったので、少し紹介しておきましょう。

先ずは冒頭に、滋賀県は国宝・重要文化財の指定件数が、東京、京都、奈良に次いで全国第4位!の多さであるというお話しから、その理由の一つとして日本の仏教の原点ともいえる天台宗総本山比叡山延暦寺さんの存在や、長浜で天災や戦火をくぐり抜けて守られてきた仏さまのレポート、県内のさまざまな仏像の見方や楽しみ方が、紹介されていました。
井上氏のコメントの中には、「滋賀には地域の皆さんに受け継がれてきた『守り伝える文化』がある。これが滋賀に文化財が多い理由の一つ」「その価値をみんなに知ってもらってそれを地域の活力に変えていかなければならない」と熱く語っておられたのが印象的でした。なるほどそのとぉり!!

そして番組内容とは別に、実はすごく気になったことがあります。それはスタジオのセットに用意された、ある2点。1つは仏像の彫刻模型で、番組の中でも「井上さんにそっくりですね」とイジられていたので、皆さんもお気付きになられたかと思います。こちらの模型は普段文化館でお預かりしており、「まさかのテレビ出演!」を、ちょっと微笑ましく見ておりました(笑)。もう1つは、後ろの棚に置かれていた水色が目立つ本・・・見たことある。。。 そう!あれは2014年に発行された「1冊でわかる滋賀の仏像 文化財鑑賞ハンドブック」(発行:サンライズ出版)です!このハンドブックは、県教委文化財保護課さんが企画・編集をされていますが、発刊に際しては当館も協力させていただいており、非常に思い入れのある1冊です。何より分かりやすい!仏像の“いろは”はもちろん、県内の様々な仏像が多数掲載されていますので、是非お手元に置いていただければと思います。

今回放送された番組「なるほどミュージアム滋賀」は、後日YouTubeで動画配信されるそうです。見逃した方は、是非チェックしてみてください。
筆:あきつ

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60年前の大津

当館は、滋賀県大津市にありますが、この大津市の市制120周年を記念した企画展が、大津市歴史博物館で開催されています。その名も「60年前の大津」展です。ん?120周年で60年?これは市制60周年を迎えた昭和33年(1958)当時の広報誌や市制60周年記念誌などを手掛かりに、昭和30年代の大津の古い写真や資料から、高度経済成長期を迎えて急速に変化する大津市の移り変わりを振り返る展示になっているのです。そう、昭和30年代といえば、当館が開館した(昭和36年)頃です。「文化館の写真もあったよ」との情報を得て、これは見逃してなるまい・・と会場へお邪魔させていただきました。

※このブログでは当時の雰囲気をお楽しみいただくため、当館が昭和36年以降に撮影した大津市内のモノクロ写真を紹介します。

展示室は、昭和レトロを感じさせる白黒の写真パネルがいっぱい。琵琶湖岸の埋め立てや山の手の開発、公共施設などの整備がどんどん進められていった時代。写真は、勢いというか、エネルギー溢れる当時の様子を伝えていました。写っている人々の顔もとてもハツラツとしています。そして・・・ありました文化館!あっちにもこっちにも!琵琶湖文化館のコーナーも作っていただいてましたが、街を見下ろす遠景写真の中にも、埋め立てが進む湖岸の風景にも、チラッとチョコッと文化館が写っているのですよ~ついつい身内贔屓な見方をしてしまいましたがね(笑)。そうなんですねぇ、文化館が建った時代ってこんなにも勢いがある時代だったのですね。でなければ、琵琶湖に浮かぶお城を作るという発想も出てこなかったでしょう。ましてやそれを実現するなんて!

入口近くにあったカラー写真には、開館したばかりの当館の5階展望閣から紺屋関(浜大津方面)を撮影した写真がありました。現在は見ることができない(残っていない)建物が写る貴重な写真であると、説明の一文に書かれていたと記憶しています。僕にとっては、一緒に写り込んだ当館の屋根にある石楠花のオブジェが、開館当時は『金色』だったことが、一番の驚きでした(文化館マニアでないとこの感動は理解しづらいかも??)。いや貴重な写真を見せていただきました。是非会場でこの写真を見付けて下さい。
ということで、同じアングルで撮影した現在の写真をご紹介。う~ん、背の高い建物が増えました。当時は三井寺さんまで撮影できたとか。。。でもこれはこれで、現在休館中となっている当館からの貴重な眺めです。

イマドキのtwitterやFacebookで、この会場に掲示されていた琵琶湖文化館の写真をアップして下さっている方もいらっしゃるようです。企画展は11月25日(日)まで開催されています。どこか懐かしい、タイムスリップをしたような時間を、是非会場でお楽しみ下さい。


筆:あきつ

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彫刻をじっくり見る

皆さんは、彫刻(仏像や神像など)をじっくりとご覧になったこと、ありますか?当館のウェブサイトをチェックしていただいている皆さんですので、「モチロン!」と即答?!元気なお返事が返ってくるものと信じておりますが(笑)、改めてその楽しみ方を伝授させていただきましょう。

僕が以前に学芸員さんから聞いた話ですが、例えば、彫刻を調査するとき、学芸員さんは先ず最初に何をする・・・のでしょうか?持ってみる?寸法を測る?写真を撮る?材質を分析する?う~ん、間違いではないのですが、先ずは「見る」!上から下から斜めから、とことん「見る」!ことから始めるのだそうです。コレすごく大事。。。ん?でもこれって一般に私たちが展覧会で展示されている仏像を鑑賞する時にも、出来たりしますよね?!
先ずは少し離れたところから仏像の全体の雰囲気をじっくり・・・続いて近くに寄って真正面から見た後は、中腰で下から少し見上げる感じで(そうすると仏さまと目線が合う)、ガラスケースに入っていたりすると難しいですが、可能であれば横からも後ろからもじっくりと・・・。

そう!仏像の見方のいい見本があります。当館の収蔵品紹介:彫刻の部で紹介している草津市の観音寺さまご所蔵の「木造阿弥陀如来立像」(重文)をご覧ください。まっすぐ立っておられると思っていたら、思いのほか前に乗り出すように意図して作られていたり、衣の一つ一つがとても繊細だったり、いろんな角度から見ることで、「へぇ~」「なるほどぉ~」と気付くことがたくさんあります。こちらの仏像は現在、東京の三井記念美術館で開催中の「仏像の姿(かたち)」展に出品中で、今頃は多くの仏像ファンを魅了していることかと存じます(!!)。とはいえ、この仏さまの像底(足の裏)まで見ることができるのは、当館のウェブサイトだけ?!是非チェックしてみてくださいね。光背もとてもきれいですよ。

また、とある学芸員さんは、こうも言ってました。「茶色く見えるお像でも、よぉ~く見ると、わずか~に彩色が残っている場合がある。そこから連想して、作られた当時の鮮やかな色彩を想像してみるのが面白い。きっとお参りに来られた方たちの度肝を抜いたに違いないでしょうね。むふふん」・・・えぇ~っと、ちょっとマニアックな見方ですが、これもアリです!あり有りデス!皆さんも楽しんでみてください。

この季節、普段見ることのできない文化財が、神社や寺院で特別公開されていることがあります。また11月は「関西文化の日」と称して、関西一円の美術館・博物館・資料館等の文化施設の入館料(原則として常設展)を無料で鑑賞できる機会があります(詳しくはコチラ)。文化の秋、芸術の秋ですよ。皆さんが自分なりの楽しみ方で、素晴らしい文化財たちと出会われることを願いつつ。。。

筆:あきつ

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「花湖さんの打出のコヅチ」第6回 開催しました

11月に入りましたが、今週になってからは10月並みのちょっと暖かい日が続いています。そんな中、「滋賀の文化財講座 花湖さんの打出のコヅチ」初の現地探訪の日を迎えた昨日の午後、「花湖さんの打出のコヅチ隊」と名付けられた総勢43名の一行は、「彦根城外堀の痕跡をめぐる」を目標に掲げ、約5kmの行程をじんわりと汗をにじませながら、踏破して参りましたよ!(後でニュースを見ると、彦根の最高気温は21℃に達したそうです。)

先ずは皆さま、最初に配られた図版満載の資料を手に、これから訪れる場所をしっかりとご確認。その後、彦根城天守の方向へ出発です。護国神社前で、まずは内堀を確認したあと、普通なら城内へと進むわけですが、今回は外堀の跡を辿るのがメインのため、金亀山の上にそびえる天守を横目に左へ折れ、市街地を進みます。切通口から油懸口あたりは、ホントにここに門や堀があったの???という感じ。やっぱり先生に解説していただかないとね。う~ん、いきなりに、かなりの想像力を必要とするスペシャルポイントでした!

その先の細い細い道を進み、ちょっとした坂を上ってまた下ると、ん?いつの間にか外堀跡の内側に残る土塁の上を越えていたようです。“ああ、これが土塁だったのか”と、参加者一同、しっかりと体感できました。その後、大通りへ出てからは、外堀跡に沿ってほぼ直進して行きましたが、高宮口、池洲口、南通用口といった城内への各入口では、堀を渡ったところで道が折れ曲がり、外部からの進入が簡単に出来ないように作られていることを、現在も残る旧道から確認。

そして、いよいよ中薮口から中堀脇を通り、船町口で中堀の内側へ、屈曲した道に沿って少し入ったところで、枡形に組まれた入口についての説明を聞いていた時には、実際に石垣に阻まれて見えなかった車が急に現れるという場面に遭遇したことで、城への入口を枡形にする意味がよ~く理解できました。なるほど、今はこの角にミラーを設置しているわけです。戦乱の時代には防御のために必要でも、平和な現代には危険な箇所ということですね。皆さん、桝形虎口では車に注意デスヨ!

さて、ゴールに近づいたところの、大手口、そして表門橋の二ヵ所では、内堀を渡って天守・本丸を見上げる斜面に登石垣がありますが、昨日は周辺の丁寧な草刈りのお陰で、石垣の様子もはっきりくっきり見ることができました。「こんなシャッターチャンスはなかなかありませんよ」という講師の声に、一斉にパシャパシャ。。。皆さん、いい写真撮れてましたか?

これで彦根城の城域の一番外側をおよそ半周したわけですが、今回の現地探訪はいかがでしたでしょうか?ご参加いただいた方からは、「天気もよく、気持ちもよかったです」「楽しかったです。見知らぬ箇所が多くありました」「現地を体感でき、よく理解できました」などのご感想をいただきました。よく頑張り、よく歩きました(あきつ君の万歩計では10,000歩弱を計測しましたよ)。そして、参加者全員、無事に最後まで辿りつけたことが何よりでした。

ここで一句。

金亀山 つはものどもが堀のあと 徒歩(かち)にてめぐるは 根気なりけり

皆さま、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました!!

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11/8「花湖さんの打出のコヅチ」現地探訪 開催します

いよいよ明日(11/8)に迫りました。今年度の「滋賀の文化財講座 花湖さんの打出のコヅチ」最終回(第6回)となる「現地探訪 彦根城外堀の痕跡をめぐる」です(申込受付は終了いたしました)。お申し込みいただいた方には、「天候の関係などで中止の場合は、前日にお電話で連絡いたします」とご案内していましたので、「ひょっとして?」と今日は電話の前で番をして下さっていた方!どうぞご安心下さい。予報によると、探訪にはもってこいのお天気となりそうですので、予定通り開催いたします!

滋賀の文化財講座としては初めてとなる現地探訪では、昨年度の講座で学んだ「彦根城」の周りにかつて存在した外堀の跡を辿ります。深まりゆく秋、お城の周辺でも紅葉が始まっていることでしょう。そんな秋の城下町の雰囲気も楽しみつつ、滋賀の文化財について皆さんと一緒にお勉強できればと思っております。

さて、お申込みをいただいた方!明日のご準備はもうお済みですか? 今回は、JR彦根駅前を出発して全行程約5kmを徒歩で周りますので、歩きやすい服装、履き慣れた靴でご参加下さいね。また、飲み物など、必要に応じて各自でご持参いただくと良いかと思います。ちなみに、この「遠足」ではおやつの上限はございません(笑)。その他、詳しくはコチラでご確認下さい。

では、明日は13:00にJR彦根駅西口広場集合(受付は12:30から)となっておりますので、お間違えのないように。ご参加の皆さま、彦根駅前で目印の”花湖さん&あきつ君の旗”を持って、お待ちしております!

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ホームページ10月のアクセス数

先週から朝晩の冷え込みがグッと厳しくなってきましたね。この冷え込みにより、文化館周辺でも木々が急に色づき始め、これからの紅葉がとても楽しみです!
さて、今日は恒例のホームページアクセス数についてのご報告です。10月には1,737件のご訪問をいただきました。前月よりもアクセス数、ご訪問いただいたユーザー数共に増えているのですが、文化の秋、芸術の秋を楽しもうと、情報収集にご利用いただいているのでしょうか?とにもかくにも、多くの皆さまのご訪問に感謝いたします!

ところで、昨日10月31日はハロウィーンの日でしたね。TVではここ数日、東京渋谷の人出の様子が放送されていましたが、こちら滋賀でも、文化館からほど近い大津市膳所の”ときめき坂”で仮装パレードが先週末に行われるなど、とても盛り上がりましたよ!この行事、今や全国にすっかり定着しつつあるようですね。

そんなハロウィーンの、夜を徹しての盛り上がりを見て、ふと思い出したのは、かつての日本で盛んだったという「庚申待(こうしんまち)」という行事のこと。滋賀でも時々「庚申塔」と彫られた石碑が建てられているのを見ますが、庚申というのは幸神、つまり猿田彦命のことで、神仏習合の考えから言うと「青面金剛(しょうめんこんごう)」にあたるこの神(仏?)を、年に6~7回ある庚申(かのえさる)の日の晩に、人々がお堂などに集まって祀り、酒盛りなどして夜を明かしていた行事です(この夜眠ってしまうと、体内にいる虫が抜け出して天王に善悪行を報告するので、天王のサジ加減で寿命が縮まるのだとか)。

かつて、日本の各地で行われていたこういった夜通し騒ぐ行事は、もちろん今流行りのハロウィーンと、祭りの意味は全く違うわけですが、やっていることには共通する部分があるような無いような。。。そこで、「日本でハロウィーンが盛り上がる背景には、”忘れかけていた遠い記憶”が呼び覚まされているのかも?」というのが、あきつ君の仮説です。。。無理やりですが(笑)。もちろん、いつの時代でも、「見ざる・聞かざる・言わざる」の本来の意味通り、度の過ぎた礼節を欠く行為は、”やってはいけません”よ!!

そういえば、10月には「青面金剛」という検索キーワードで、文化館ホームページを訪れた方がいらっしゃったようです。文化館所蔵の「青面金剛図」については「浮城モノ語り 第4話」で詳しく紹介していますので、こちらもぜひご覧くださいね。ちなみに、今年最後の庚申の日は11月24日(土)だということです。さて皆さま、この夜はどのようにして過ごしましょうか?

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安定した収蔵環境の維持(施設燻蒸編)

琵琶湖文化館では多数の指定文化財を含む約9,000点の作品を収蔵しています。博物館の仕事のなかで基本的かつ最も重要な仕事は、これら”作品の保管 ”とも言えます。作品の展示公開や調査研究といった活用も、適切な保管の上に成り立っているのです。
博物館では専門の職員による日常的な作品管理だけでなく、収蔵環境の把握と対策、具体的には定期的なモニタリング、それによって得られた環境情報に基づく清掃や調湿等を行います。そして、さらに安定した収蔵環境を維持するために行うのが、虫やカビなどから文化財を守る「燻蒸(くんじょう)」という作業です。
燻蒸には、大きく分けて二つのタイプがあり、作品そのものに対して行う方法と、作品を保管する施設全域に対して行う方法とがあります。前者は一般的に収蔵庫に作品を搬入する前に行うもので、後者は安定した収蔵・展示環境を維持するため、収蔵庫や展示室といった施設全域に対して行います(写真は、空間全域に薬剤を充満させる際に行う目張り作業の様子です)。
文化館では、この施設燻蒸を年に数回、計画的に実施しており、先週も収蔵庫の燻蒸作業を実施しました。展覧会などに比べると地味で地道な作業ですが、「近江の至宝」を守る当館としては最も重要な任務の一つといえます。

学芸員W
 

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揉み紙のご縁

「揉み紙をしておられた松田喜代次さんの作品を見せていただくことは出来ますか?」
先日、このような問い合わせのお電話をいただきました。当館は現在休館中であり、残念ながらこちらで見ていただくことは出来ないことをお伝えしましたが、なんだかこのまま電話を切ってしまうのが少し名残惜しく、「何故、作品を見たいと思ったのか」詳しくお伺いしてみることにしました。
すると、「自分は奈良で揉み紙のワークショップをしているが、色々と『揉み紙』のことを調べていると、どうしても松田喜代次さんに突き当たる。そこで松田さんが作られた作品を、実際に是非見てみたいと思った」とのこと。当館のウェブサイト収蔵品紹介に掲載している松田氏の作品を見て、お電話を下さったようなのです。

当館では、平成8年に特別陳列「滋賀県無形文化財 松田喜代次遺作展(松田喜代次の技-もみ紙の世界から-)」展を、平成18年に小企画展示「揉み紙と現代茶陶」展を開催。また、休館となってからは、平成26年に安土城考古博物館において「琵琶湖文化館秘蔵品で味わう 茶を魅る」展において、松田氏の作品を展示公開しました。
揉み紙は、金箔押し・型押し・型紙押し・砂子振り・泥引き・雲母引き・切箔押しなどの唐紙(からかみ)の技法の1つです。和紙に具を塗布して手で揉んで、紙の表面に揉み皺を付けます。唐紙の中でも顔料を引いた素朴な趣の揉み紙は茶人達に愛好され、茶席では掛物や風炉先屏風などに用いられました。松田氏は、昭和39年(1964)に滋賀県無形文化財「揉み紙」の技術保持者として認定された方で、伝統的な揉み紙の技法を受け継いだ最後の技術者とも言われています。

・・・そうなんです!松田氏の作品は本当に素晴らしいのです!既に紹介している『揉唐紙風炉先「渋水郷」』も、それはもう人間技とは思えないほど緻密に計算し尽くされたアートなんです!いえ、人の手だからこそ生み出された逸品!なのです。電話をいただいた方も、「魂が揺さぶられるほどに素敵!」と言っておられました(!!)。わかっていただけて、とても嬉しいです(!笑!)。
というわけで、せめて雰囲気だけでも・・・!と特別にご用意致しました。「渋水郷」と明治30年頃に滋賀県野洲の窯で焼かれた「小富士焼」の煎茶道具です。実物の素晴らしさをイメージしていただけると幸いです。

お電話の女性は、10月最初の日曜日に奈良でワークショップイベントを行うと言っておられました。皆さん楽しまれましたか?遠くても近くても、当館の作品を通じて、このようなご縁をいただいたことに感謝いたします。そうです!揉み紙の素晴らしさを多くの方に知っていただきましょう!当館も頑張ってまいりまーす!

筆:あきつ

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古文書を読めない人も

(タイトルから続きで)大丈夫!古文書(こもんじょ)を楽しめます!!
例えば、展覧会などで戦国武将の書状が展示してあっても「何をかいてあるのか分からないから」と、スルーをしてしまうアナタ!もったいないですよ!!突然ですが、古文書を読めなくても楽しめる「古文書の見方」をちょこっとお勉強したので、皆さんにも伝授させていただきましょう~!ポイントは「読み方」ではなく「見方」なんですが・・・ね!

『古文書』と聞いて苦手意識があるヒトは?(ハイッ!)ですよね~難しいですよね~読める気がしないですよね~。たった数百年前の字なのに何故?!とは思いますが、きっと戦国時代の人たちも、現在のスマホの絵文字は理解不能だと思います!(^^)!。それはさておき、、、古文書を勉強されている方は、字を読んで書かれている内容を解読して「なるほど面白い」となるのでしょうが、では読めないヒトはどうしましょう。。。そこを「見る」ことで楽しめたりするのですよ!

『古文書』とは、○○さんから●●さん宛てのお手紙です。皆さんもちょっと改まった縦書きのお手紙を書いたことがありませんか?なんとな~くルールのようなものがありましたよね?相手に失礼のないように色々と・・・うぅっ、就職活動の時に履歴書と一緒にご挨拶の一筆を送るのにとても気を使った思い出が。。。同じように、昔のお手紙(古文書)にもいろんな決まり事があり、それに則った書き方をしている(丁寧) か、外れた書き方をしている(手抜き?)かで、差出人の立ち位置(位や立場、上下関係)・思惑が分かるというのです。

例えば「花押(かおう)」の位置。花押は署名の代わりに書いた手書きサインのようなもので、殊に織田信長の花押:麒麟(きりん)の「麟」の字をかたどったデザインは有名です。花押を見れば「誰から」の手紙か一目でわかります。これが文章の最初にバーンと書かれていると「ワシじゃ、よう読めよ」と少し上から目線となり(?)、差出年月日の下に官職と花押が書かれていれば、丁寧に礼が尽くされたお手紙となります。
他にも、充所(あてどころ:宛先)は文章の一番最後に書きますが、年月日より下であれば薄礼、上に書かれていれば厚礼、中には充所すら書かれていない(意図して書いていない!)場合もあるようです。・・・コレって少し書く位置をズラすだけで、恐ろしく高圧的で失礼極まりない手紙が出来上がってしまうのでは?!・・・そこには身分や格の違い、上下関係を明確に伝える意図があったようです。恐るべし心理戦。。。
反対に、上位の人から作法に則った美しく丁寧な文書が下されれば、受け手側は「私たちのことを大事に考えて下さっている。おそれ多いことで、ははぁーっ(平伏)」となりますよね。文章を読まずとも、その体裁をみるだけで、大体のニュアンスというか、その文書の雰囲気が読めるのだそうです。こんな見方があったのか!!
是非一度お試し下さい。

誰から誰へ、書かれている内容と、体裁とのギャップを読み解くことができれば、もっとリアルな人間模様が楽しめそうです。その域に達するには・・・もう少しお勉強!

筆:あきつ

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