突然ですが、皆さまは朝の連続テレビ小説「スカーレット」、ご覧になっていらっしゃいますか?11月からは、舞台が大阪から信楽へと戻り、滋賀県民としてはますます目が離せなくなってきましたね。ところで、多くの方は「信楽焼」と聞くと、「タヌキの置物」を思い浮かべるでしょう?確かに今、信楽の町を訪れると、道沿いにある陶器店の前に山のように並べられたカワイイ顔のタヌキの置物が、ニコニコと私たちを迎えてくれます。ところが、ドラマでは、どうもタヌキはそれほど登場しない。主人公の働き出した窯元にずらりと並んでいるのは「火鉢」ですし、お父さんが車に載せて運んでいるのも「火鉢」。「これってどういうこと???」と、ちょっと気になっている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
信楽焼の歴史は古く鎌倉時代にまで遡りますが(主人公・喜美子が「旅のお伴に」と拾ったのは室町時代の壺らしきものの破片でしたね)、実はその中でタヌキの置物の歴史はまだまだ浅いのです。置物自体は明治・大正時代から作られていたのですが、戦後すぐの昭和26年、タヌキがお好きだったという昭和天皇の信楽行幸の際、タヌキの置物に日の丸の旗を持たせて歓迎したことがきっかけで有名になり、また、縁起ものとして喜ばれるようになり、全国へ広まったということです。
なるほど、ドラマは今、昭和30年代のはじめですか?確かに道沿いにポン!と置かれたリアルなお顔のタヌキも登場しますが、この頃はまだまだ本格的な「タヌキの時代」ではなかったようです。そして、「火鉢」というと、ほらあれです!このあきつブログを以前から読んで頂いている方は、きっと覚えていらっしゃるでしょう?今年1/28と2/5のブログでご紹介した信楽焼の火鉢のことを。信楽で明治時代から作られていた火鉢は、特に終戦後、全国へ飛ぶように売れ、それは「火鉢景気」と言われるほどだったそうです。ところが、昭和30年代に入って、火鉢は石油ストーブに取って代わられ、産地である信楽は苦しい時代を迎えることになります。ドラマは今まさにこの「火鉢の時代」に陰りが見え始めた頃なんですね。そんな背景を知っておくと、ドラマの展開がもっと楽しめること間違いなしデス。気になる方は、ぜひまた過去のブログを覗いてみて下さいネ!
文化館には、火鉢以外にも信楽焼の資料を収蔵しています。そんな収蔵品のことも、また追々いろいろな形で、皆さまにご紹介出来たら良いな~と思っております。どうぞ楽しみにしていて下さいね。それでは、今日はここまで!
「刃先と峰の間にある鎬(しのぎ)のヤマが少し減っているので、自分で(研いで)手入れをしていたのかもしれませんね」「錆が付いて銘は読めませんが、これが歴史の価値なんですよね」「いやぁ素晴らしい感激です」等々。全国で数々の刀剣類をご覧になっている嶋田氏。研ぎ澄まされた刀剣、美術品的価値の高い刀剣をご覧になる機会も多いと思いますが、だからこそ歴史的価値にもご理解のある言葉をいただけて光栄でした。

行きドキです!しかも愛荘町立歴史博物館さんは、「関西文化の日」に協力されていますので、16(土)・17(日)・23(土)・24(日)は、入館無料でご鑑賞いただくことができます!紅葉狩りとともに、多くの方に企画展を存分に楽しんでいただければ幸いです。
金剛輪寺のあたりは旧の秦荘町にあたりますが、秦荘の「秦」は、まさに古代にこの地域を本拠地としていた渡来系氏族「依知秦(えちはた)氏」に由来するとのこと。すると、行基がこの地に金剛輪寺を建てた背景にも依知秦氏の力があったのでしょうか。。。想像が膨らみます。
須恵器の直口壺と金属製の馬具(雲珠:うず)が収蔵されてるんですよ。収納されていた紙箱には「昭和31年6月」の日付が記されていますので、当時県立産業文化館(文化館の前身です)の学芸員でいらっしゃった故・宇野茂樹先生が指揮されたという、昭和31年の滋賀県による調査の際に発見されたものでしょう。文化館と愛荘町(当時は秦荘町)のこんな頃からのご縁。ここにもちょっぴり長い歴史があったようです。
先月、滋賀にも被害をもたらした台風19号。当館の周辺には大量の水草(藻)が押し寄せました。



水草を引き上げた後は、水気を切って早く乾燥させるため、石垣の上に少し広げた状態で乾かしています。もうしばらく、道行く方々にはあたたかい目で見守っていただければと思います。あとはお天気との戦い・・・これらを処分しきって作業は『完』となります。もう少し、あと少し、頑張りマス!
ほとんどが缶ビール?!発泡酒?!・・・もうッ皆さんどれだけお酒が好きなんですかーッ!琵琶湖が泣いていますよ?!
昨日のことですが、朝、何気に琵琶湖の方を眺めると、南湖の真ん中あたりが黒胡麻を振り掛けたようになっているではありませんか!写真ではちょっと分かりにくいかもしれませんが、こんな感じ。。。そして、黒胡麻たちはみるみるうちに北から南へ、つまり文化館の方向へ押し寄せて来るのです。
あれは一体何???その正体は、近づいてくるに従ってはっきりしてきました。散らばった黒胡麻のようなものは、どうやら水鳥の集団のようです。毎年さまざまな水鳥が北国から渡ってきて越冬し、琵琶湖は水鳥の楽園と化しますが、今年もいよいよそんな季節の到来なのですね。水鳥たちが、文化館周辺の湖岸へやってくるのも、もうすぐかしら?
最後に大事なお知らせです。本日11月1日から、いよいよ地域連携展第2弾「
かく言う・・・文化館の周りにも・・・。モチロン?当然のごとく?当たり前のように?水草が寄って来てしまいました。「今年はもう(台風は)来ないよね」と平和に話していた10月初旬が懐かしい。。。

この日、水草を全部取り除くことはできませんでしたが、作業が終わるころには水面が見える範囲も広がり、「人力で減ったぞ!」というささやかな?!達成感がありました。
間近に迫ってきました琵琶湖文化館地域連携企画展第2弾!11月1日(金)から、愛荘町歴史文化博物館にて開催の本展覧会は、サブタイトルにもあるように、金剛輪寺さまから当館に寄託されている文化財の『里帰り特別公開』展となります。

気付けば、大津市内の街路樹が、秋の色になってきました。金剛輪寺さまの境内も紅葉が少し進んできた様子。 季節が本展覧会を盛り上げてくれているかのようです。
10月17日、絶好のウォーキング日和、実施いたしました現地探訪。今回は、受付定員MAX60名の皆さんとスタッフ7名が、「幻の坂本城をさぐる」ということで、明智光秀が築いた城があったとされる大津市下阪本とその周辺を探訪してきました。
幸運な方たちです(お断りした方ごめんなさい!)。驚くなかれ、その内約9割の方が、今回の探訪の予習回とも言える第5回の講座を受講されてのご参加です。とても勉強熱心な、生粋の歴史好きの方々が街中を歩くとこんな感じになります(笑)。先頭を行くのが講師:松下浩氏(県教委文化財保護課)です。













謎に満ちたお城だからこそ、「さぐる」楽しみがあるのですね。
歩きやすい靴&服装でお越し下さいね。また、お飲み物などは必要に応じて各自でお持ちいただくと良いかと思います。”おやつ”につきましては、昨年と同様に上限はございません(笑)。その他、詳しくは
そしてやはりこの景色を見ると皆さん、足を止めずにはいられないようで、携帯電話やカメラで写真を撮っておられる方もたくさんいらっしゃいます。こんな素敵な夕暮れの景色ですものね。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、今日は秋の彼岸の入り。昨日あたりからもう、日中もずいぶんと過ごしやすくなって来ました。昨日(9/19)は、滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」第5回を開催いたしましたが、お天気にも恵まれ、今年度最多数の198名の方にご参加いただくことができました。なかには、これまでに開催した5回の講座に全回出席という方が、なんと22名もいらっしゃいましたよ!!素晴らし~い!!コラボしが21を会場にした座学の方はこれで最終回となりましたが、ご参加いただいた皆さま、本当にどうもありがとうございました。
さて、昨日の講座では、講師に松下浩氏(県教育委員会文化財保護課)をお迎えし、「明智光秀の幻の名城 坂本城」というタイトルでお話いただきました。坂本城は、元亀2年(1571)の信長による延暦寺焼き討ちの際の戦功により、志賀郡を与えられた明智光秀によって、延暦寺のお膝元であった坂本の地に築かれた城。ただ、残念なことに、城を描いた絵図などはこれまで見つかっておらず、その復元には、数少ない文献や現地に残された地名や道路・溝跡、そして近年の発掘調査の成果などをつなぎ合わせていくしかないようです。。。
「毎回新しい発見があり楽しい」などのお声を頂きました。今回も、多くの方々にご満足いただけたようで何よりです。
季節は少しずつ秋の気配を感じられるようになりましたね。甲賀市土山歴史民俗資料館で開催中の
大礼服についてはマネキンに着せてありますが、こちらを展示する際、ちょっとした苦労がありました。
抹茶のソフトクリームが盛り放題!自分でモリモリのソフトクリームが作れます。但しスプーンは付きませんので盛り方・食べる時には注意が必要(笑)。近江随一の茶所:土山で食べる抹茶ソフトは格別です。展覧会を見た後にチャレンジしてみてはいかがでしょう?

通勤・通学などで、湖岸を毎日通られる方はお気づきでしょうが、最近の琵琶湖は水位がかなり低くなっています。文化館の近くで見ると、湖岸の石垣の、いつもは水面下にある石段までが姿を現すほど…台風や大雨による水害で大変な地域もある一方、こちら滋賀ではこの頃、夕立ちのような雷雨はあるのですが、まとまった雨が降っていないからでしょうか。こんな時はやっぱり…神様・仏様に「雨乞い」デスカ?
また、来たる9月13日には、草津市渋川の伊佐佐神社で、県選択無形民俗文化財の「渋川の花踊り」が行われます。こちらの花踊りは、室町時代の末に流行した「風流踊り」の流れを汲んだもので、雨乞い祈願のお礼として170年以上前から行われています。滋賀県南部で行われる「太鼓踊り」の典型なんだそうですよ。(写真は渋川花踊りの踊り子をかたどったキャラクター「しぶはなちゃん」)
かつてはふもとのほとんどの集落で踊られていたということです。その一つ、米原市春照(すいじょう)八幡神社の太鼓踊りは、江戸時代前期の旱ばつをきっかけに始まった雨乞い祈願の返礼の踊りです。現在は5年に一度の開催となっており、今年はその開催年にあたり、9月23日に行われます。(写真は前回2014年開催時の様子)

土山歴史民俗資料館で開催されました。前回(7/27)のように台風の襲撃に怯えることなく、会場には前回を上回る大勢の方々がお越し下さいました。
こちらの写真で、皆さんが熱心に覗き込んでおられるのは、明治天皇の諱(いみな=実名)である「睦仁(むつひと)」という御名前が書かれた資料の辺り・・・講師が特にアツく解説させていただいたトコロです!!(何故なら昨年詳しく資料調査をし、
写真に見えるのは、「龍図(塩川文麟筆)と「巖上咆哮猛虎図(岸岱筆)」ですね。文化館の数ある絵画作品の中から、特にこの2幅を選んだ理由の一つに、龍と虎は古来、英雄や天子などを象徴する画題として意識されてきたことが挙げられます。龍虎の猛々しさや神秘的なイメージが、天皇を象徴するもの、あるいは宮家に好まれる画題であったことも、こうしてみると理解できるような気がしますね。
昨日は消防設備の点検日。館内に設置されている消火栓や自動火災報知機、防排煙設備について、専門業者さんに点検していただきました。何事もないのが当たり前、普段使わないのが当たり前・・・の消防設備。であるからこそ、なおさらこのような定期点検が、重要になります。
最後には、訓練も兼ねて消火栓(消火ホース)の使い方を教わりました。先ずはホースを確実に伸ばしきること(折れたり捩じれたりしていては×)。そして大事なのが協力者との声かけ!ノズルを持つ(火元に近い)人は、「スタンバイOK!」や「放水よし!」など、準備ができたことを大きな声で知らせます。それを受けて消火栓側の人は「水送ります!」と合図をして、ポンプ起動ボタンを押し、水栓バルブを開きます。
準備が出来ていないのに、慌てて水を送ると、ホースが途中で暴れたり、ノズルを手放してしまったりすることがあるので、それも危険。いざという時こそしっかり声を出して、協力することが大事なんですね。訓練では、琵琶湖に向かって見事に水のアーチが出来ました。
天平17年(745)正月には新京と定められました。あの奈良の東大寺にある大仏は、はじめこの紫香楽宮の甲賀寺に造ろうとしていたようです。ところが、地震や山火事などが相次いだことで、天平17年(745)5月にはこの都の廃都を決め、天皇は奈良・平城京へと戻られ、大仏も奈良・東大寺での開眼となりました。大正時代に国の史跡に指定された内裏野地区(内裏という地名ですが実際は寺院跡)は、こんな所です。(写真→)
旅の途上、斎王の宿泊された場所が頓宮(とんぐう)です。都が奈良から京都へ移ってのち、群行は近江を経由するようになり、仁和2年(886)年から長和5年(1016)までの間、土山に置かれたのが垂水頓宮。頓宮は仮の宮なので、群行が行われる度に建てられ、それが終わると解体されたようです。今、国の史跡となっている垂水斎王頓宮跡は、このような森として残されていますが、ここに幾棟もの大きな建物が建てられてたことを想像してみて下さい…。
明智光秀が本能寺の変で信長を討った後、左馬之助は安土城の守備についていましたが、光秀が山崎の戦いで敗れたことを知り、急ぎ大津の坂本城へ向かいます。その途中、打出浜で敵に遭遇した左馬之助は、馬で琵琶湖を渡り(!)、柳が崎の浜にたどり着いたといいます(現在の陸路で3.5km程離れた所)。・・・馬が泳ぐ?大人を乗せて?水深結構ありますヨ?不思議なお話しですが、信念を貫く武士たちが活躍した時代・・・そのような事も起こり得るかと、妙に納得してしまいます。
この逸話を伝える石碑が、大津市内の2箇所に設置されています。1つは、当館(大津市打出浜)のすぐ近くにある、「明智左馬之助湖水渡」の碑。昭和36(1961)年に当館がオープンした時、未だ周辺が埋立地で文化館の他に何も建っていなかった頃の写真に、小さく確認することが出来ます。しかし、元々誰がいつ建てたものか等、詳しいことはわかっていません。今は土の下に埋まっていますが、全文では「明智左馬之助湖水渡ところ」と刻まれています。
現在、甲賀市土山歴史民俗資料館にて開催中の「歴代天皇と近江-滋賀県立琵琶湖文化館 館蔵品より-」展。4日(日)には、夏休みKIDSワークショップ『元号を書いてみよう』が開催されました。
先ずは、甲賀市教育委員会歴史文化財課資料調査員の伊藤誠之氏から、元号についての解説です。みなさんご存じでした?!元号はもともと中国で始まり、中国の影響を受けた東アジアでは元号を使うことが多かったのですが、21世紀になっても使っているのはなんと日本だけ!なのだそうです!!現在は1人の天皇に1つの元号と決まっていますが、昔は1人の天皇の在位期間中でも様々な理由で(めずらしい・めでたい出来事があった、天皇の即位、災害など)、短い間に何度も変わることもありました。
また、日本の元号の始まりは、大化改新(西暦645年)の「大化」で、それ以降「令和」も入れて248個あるのだとか(諸説あり)。でも実は、元号に使われた漢字は73文字だけで、同じ漢字が繰り返し使われていることが多いようです。トップ3は、永(29回)・天(27回)・元(27回)。なるほどよく見る文字ですね。(ちなみに令和の「令」や平成の「成」は1回しか使われていないそうです!)いやぁ、子どもだけでなく大人も豆知識が増えるふえる(笑)。
いざ書き出したら筆が止まらない(笑)。「先生、次書く紙が無い!」「書いたの置く場所が無い!」と、どんどん書いていきます。子ども達の『ハマりっぷり』には、こちらも嬉しくなりました(笑)。

昨日の大津は、日中の最高気温が34℃という真夏日になりましたが、そんな中、滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」第4回を開催いたしました。



ところで、びわ湖大花火大会には毎年テーマがあるのですが、今年のテーマは[戦国ワンダーランド滋賀・びわ湖]なのだそうです。みなさん、「戦国」ですよ~。滋賀では来年の大河ドラマ『麒麟がくる』に向けて「戦国」一色の様相となってきておりますが(因みに滋賀の文化財講座「花湖さんの打出のコヅチ」第4回第5回のテーマも戦国時代・明智光秀デス!)、他府県からも大勢の方がいらっしゃるこの花火大会をきっかけに、滋賀の歴史と文化に興味を持って頂いたなら、嬉しいですね。そして、そんな方々へも更なるお役立ち情報が届くよう、文化館からも情報発信をドンドンしていきたいと思っています。
令和初の上陸台風が紀伊半島をかすめていった27日(土)、甲賀市土山歴史民俗資料館では、地域連携企画展「歴代天皇と近江-滋賀県立琵琶湖文化館 館蔵品より-」の初日を迎えました。台風の影響を心配しながらも、この日は開催記念のギャラリートークを実施。雨の中、熱心な方々がお集まり下さいました。
紫香楽宮が営まれ、また、天皇の名代として皇女が伊勢神宮へ赴く「斎王群行」の道筋となるなど、甲賀市域は県内でも特に天皇家と関わりの深い土地柄です。「この展覧会を開催するのに、県内でこれほどふさわしい地域はない!是非歴史を身近に感じてほしい」との、講師の熱い言葉で、ギャラリートークは始まりました。
そして第2章の「歴代天皇の書-『宸翰(しんかん)』の魅力」では、先ずは『宸翰』たるものとは何ぞや?!というお話から・・・。そうなんですよね~。今回の展示でどうしようかと頭を悩ませたのが、如何せんコトバが難しいところ。。。つまりは「天皇さまがお書きになった書」のことなのですが、「○○天皇宸翰」と書かれると急に難しく感じてしまいますよね。そしてあとに続く「御詠草」や「御懐紙」などなど。これらは○○天皇が詠んだ歌を書いたもの、清書したもの・・・なのですが、講師曰く、見ていたただく際には、「(そのような難しい言葉にとらわれず)書かれている全体を見てほしい。
天皇のお人柄をうかがい知ることができるこれらの書について、表装も含めておおらかに見ていただければ」とのことでした。ナルホドですね。つい何と書いてあるのか知りたくもなりますが、それぞれの書にそれぞれの特徴があり、「この書を書かれた天皇さまが在位されていた時代はどんな時代だったんだろう・・・」なんて深めていくと、もっと面白いにちがいありません。歴史を知るきっかけになれば嬉しいですね。
実は、企画段階で関係する誰もが、「予定している全ての作品がうまくケースに収まるのか?!」、内心ドキドキしていたみたいなのですが(笑)、そこは知恵を出し合って、「完璧に展示しきった!!」とのことでしたヨ。
なんとも頼もしい(笑)。どうも現場にしかわからないご苦労があるようです(笑笑)。

館としての一大イベントでもありますので、みんなで盛り上げることを楽しんでいます。
展覧会の開催準備に追われる学芸員さんたちの間で呟かれる、魔法の言葉があると聞きます。・・・『開かない展覧会はない』・・・(笑)。本展の担当さんは、「大丈夫!」「おっけい!」「問題なし!」が最近の口癖になってます(笑笑)。開催までまもなくです!みなさんも楽しみにしていてくださ~い。

●内容・講師:
