曾我蕭白(そが しょうはく)は、享保15年(1730)京都の商家に生まれました。
近江・日野出身の京狩野派の高田敬輔に師事し、また曾我蛇足の絵を慕い、雲谷派の画法も学んだとされています。当時京都では円山応挙の一派がもてはやされていましたが、蕭白は応挙に強烈なライバル心を燃やしており、山水画、花鳥画でも伝統的な題材にデフォルメを加え、卓抜な技法を駆使した奇怪な画風で、評判を呼びました。
本図は、琵琶湖をへだてて対岸から比叡山を眺めた構図で、湧き出た雲のようにもくもくとした山容で比叡山を描いています。画面の下部、琵琶湖に突き出たところに、唐崎の松と鳥居が描かれています。山麓には水田や民家があらわされ、山間には延暦寺の堂舎が見え隠れするなど、地理的特徴がよく描かれている作品です。
蕭白が実景を描いたものとして富士山が何点かありますが、その山容はいずれも形式化したもので、実際に見て描いたかどうかはわかりません。そうした意味からすれば、本図が唯一の実景図といえます。ゴツゴツとした岩肌を思わせるような異様な山の姿からは、比叡山の樹木をすべて切り取れば見えてくる山本来の姿が重なります。うわべの美しさは応挙にまかせ、内面を描く奇抜な発想力は自分にしかか描けない。この絵はこう主張しているかのようです。
なお上部には、坂本・西教寺二十三世真如上人(1711~87)による賛文が書かれています。
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