この宗教壁画は、昭和24年(1949)、琵琶湖文化館の前身である滋賀県立産業文化館の展示室と収蔵庫を間仕切る壁に描かれました。産業文化館は県庁に隣接する武道場であった旧武徳殿を改装して開館、文化財の収集公開施設であったとともに、産業振興の拠点としての役割も果たしていました。戦後民主県政の黎明期に現れた「産業と文化の殿堂」として、多くの県民に愛される存在でした。文化財展示室の中2階に描かれた「舎利供養」は3画面で構成され、中央がほぼ正方形(縦367.5㎝×横358.5㎝)、左右が横長(各縦188.0㎝×横514.0㎝)の画面となります。中央画面には天蓋の下の舎利塔を中心として、両脇に観音・勢至の両菩薩を描き、さらに上部に人面を持つ鳥の迦陵頻伽(かりょうびんが)を配しています。向かって右面には蓮華をささげ、舞踊する11人の菩薩たちと帝釈天、左面にはさまざまな楽器を奏でる13人の菩薩たちと梵天が表現されています。世界的に活躍した宗教画家である杉本哲郎が、古代インドの仏教画を取材した知識と技術を駆使し、壁面に直接描いた巨大絵画として迫力に満ちています。
昭和31年(1956)。産業文化館の建物が再び武道場として使用されることになると、杉本は壁画の前で武道を行うことは不本意であると申し入れました。そこで県は「舎利供養」を壁ごと取り外して大津市三井寺下にあった警察機動隊で一時保管、さらに昭和35年(1960)、建設中の琵琶湖文化館に搬入して別館1階の壁に埋め込み、再設置したのでした。琵琶湖文化館開館時、別館1階は2か所設けられた館への出入り口のひとつとなり、吹き抜けのエントランスホールとして利用されるとともに、信楽焼など県内の物産を展示するコーナーとしても活用されました。壁画は昭和36年の開館以来エントランスで多くの来館者を迎え、人々の目を楽しませましたが、昭和56年(1981)、展示室の改修と出入り口の一本化に伴い別館が閉鎖されたため、以後は一般の観覧を停止しています。
*杉本哲郎 明治32年(1899)大津市生まれ。宗教壁画の作品としては他に、ウエスティン都ホテル京都「清水寺縁起」、大阪市津村別院「無明と寂光」、米原市福田寺「初転法輪」、長浜市千手院「観音讃頌」などがあります。
( 井上 優 )