長谷川玉峰(はせがわ ぎょくほう:左図)・玉純(ぎょくじゅん:右図)の父子は、必ずしも著名な画家ではないが、二人はともに湖国大津の風物を愛し、大津に住まいして多くの作品を残している。
玉峰は、文政5年(1822)、長谷川玄門の子として京都に生まれた。名は師盈(しえい)といい、字を士進、玉峰と号した。絵を四条派の松村景文に学び、花鳥人物画を得意として、幕末・維新期に活躍した。景文晩年の弟子であるが、師の洗練された画風を受け継ぎ、さらに切れ味豊かな技量の冴えを見せて玉峰画を特徴づけた。大津祭の曳山・源氏山(中京町)の天井を飾る四季草花図は金地に極彩色の草花28図を描いたもので、図中の款記により、元治2年(1865)、玉峰44歳の制作であることがわかる。
玉純は文久3年(1863)、玉峰の長子として京都に生まれ、名は師精、玉純と号した。絵を父玉峰に学び、20代半ばで画壇にデビューし、明治20年に「新古美術会」に出品した『御苑暁雲図』は天皇ご用品として買い上げられるなど、確固たる地位を築いていった。
幕末から明治・大正へと大きく時代が変わるなか、日本画も西洋画の技法や構図を取り入れることにより、画風を変化させて行く。玉峰・玉純父子のような、近世と近代を結ぶ懸け橋のような画家がいてこそ、現代に至るまでの道が開けた。