奥州会津若松出身の佐竹永海(さたけ えいかい)は、享和3年(1803)会津若松城下の蒔絵(まきえ)師の家に生まれた。江戸にでた永海はしばらくして谷文晁(たに ぶんちょう)に入門し文晃画の継承者として活躍する。その一方で、円山応挙の高弟・渡辺南岳をはじめ、幅広い交友によって多くのものを会得し、文晃の画風を基礎に、大和絵や円山四条派の画風を積極的に取り入れた独自の画風を築き、彦根藩御用絵師に登用された。
「孔明山水図」は、中国三国時代、蜀漢(しょっかん)の丞相(じょうしょう)であった諸葛孔明を中幅に、山水図を左右に配したもので、典型的な文晃様式を思わせる完成度を見せ、筆力に衰えのないところを見せている。明治2年(1869)、67歳の作品である。