琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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近江の文化財

 秋景山水図(しゅうけいさんすいず)  釧雲泉筆  1幅    江戸時代  本館蔵

 釧雲泉(くしろ うんぜん)は、江戸時代後期の文人画家です。旅に生き、酒をこよなく愛した孤高の画聖として知られます。雲泉は、宝暦9年(1759)、肥前島原(長崎県雲仙市)の千々石町で島原藩士の子として生まれました。号の雲泉は雲仙岳に因んだものです。幼少の頃より絵が好きで、いつも近所にあった大きな石に泥を塗って竹箆で絵を描いては、衣服を汚して帰ったという逸話が残っています。
 雲泉は諸国を巡り歩く中で、多くの画人と交流を深めています。寛政3年(1791)3月、32歳のとき十時梅厓(とときばいがい:伊勢長島藩の儒者)の紹介で伊勢長島に滞在中の木村蒹葭堂(きむらけんかどう)を訪ね、大いに感化されます。また同年、江戸で親交のあった備中庭瀬藩(岡山市北区)江戸家老海野蠖斎(かくさい)の紹介を得て、蠖斎の実兄である庭瀬藩家老森岡延璋のもとに身を寄せ、約3年間ほどはこの地を中心に旺盛な制作活動を行いました。寛政4年(1792)頃から、備州と京都・大坂をたびたび往来し、そのつど蒹葭堂を訪ねて教えを受けています。寛政12年(1800)41歳のとき、備州を去り大坂、京都と転居をかさね、享和3年(1803)に江戸湯島天神の裏門付近に居を構え妻を娶りました。この江戸在住時に、生涯の友となる亀田鵬斎、大窪詩仏と出会い、また多くの文人墨客と交わるなど、雲泉にとって最も充実した時期となりました。文化2年(1805)46歳のとき、大窪詩仏とともに信越に旅をし、その途次各地で画の依頼を受けるなど歓迎され、越後三条(新潟県三条市)にしばらく滞在しました。その後一旦江戸に帰りますが、三条がよほど気に入ったのか今度は妻子を連れて移住し、この地を中心に越後の各地を巡って、南画の普及に尽力するとともに、多くの門弟を育てています。雲泉は旅と孤独をこよなく愛し、超俗の画人として生涯を送りました。