一般的に江戸時代を代表する俳人として知られる与謝蕪村(1716~1783)ですが、俳画、文人画の大成者としても確かな足跡を残しました。今回はその与謝蕪村の門人で近江ゆかりの画人・紀楳亭(きばいてい:1734~1810)の作品をご紹介します。
紀楳亭は山城国鳥羽生まれとされ、当初は岩城藍田(いわき らんでん)のもとで画の修行をしましたが、その後、与謝蕪村の門人となりました。与謝蕪村没後、ほどなくして居を京都から大津の地に移します。
天明8年(1788)に移住したされていますから、これは同年に発生した“天明の大火”といわれる洛中を襲った大火災の難を逃れ、同じく与謝蕪村門下で長寿寺(大津市石川)の住職であった龍賀(りょうが:1745~1812)を頼って、大津に移住したものと考えられます。
時に与謝蕪村の作品と混同されるほどその画風を忠実に継承したので、「近江蕪村」と呼ばれました。本図も師・与謝蕪村が描いた「月下竹荘図」の強い影響がうかがえます。
図中には、「深林人不知 明月来相照」(深林人知らず 明月来りて相照らす)との漢詩が書かれています。これは中国・唐の詩人である王維の詩「竹里館」の一節で、人に知られることのない深い竹林に囲まれた小さな荘の中に一人座し、琴を弾く高士の心中をあらわしています。俗世間から隔絶された竹林の奥深くの静寂な世界と、それを照らす明月が印象的です。また「七十一翁/江南九老」との署名があり、古希をむかえて以降の作品で、蕪村の画風を継承しつつも、紀楳亭独自の円熟した作風が感じられる貴重な作品です。
なお本図は「マザーレイク滋賀応援基金」の制度によって修理事業が実施され、平成27年滋賀県立近代美術館で開催された「受け継がれゆく いにしえの美 ― よみがえった琵琶湖文化館収蔵品 ― 」展において出展されました。
(渡邊 勇祐) |
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