仏教について、その教えを顕教と密教という2種類に大別して考えることがあります。顕教とは、文字の如く顕かとなった、広く説き示された教えのことで、一方、密教とは、難解なものとされ、限られた者たちによって師資相承されてきた不出の秘法とされます。
日本においては平安時代初期に密教を本格的に受容し、空海はその大系化された密教に依って真言宗を開宗します。天台宗においても入唐した円仁や円珍が密教に関する文献や曼荼羅を多く請来し、台密(天台密教)を大成しました。
そして、この密教文化を代表するものに「梵字(悉曇文字)」があります。梵字とは、元々、古代インドのブラーフミー文字から派生したグプタ文字が4~6世紀頃にさらに発達してできた文字で、前記のような密教受容とともに日本に伝来しました。ですから、仏教的意味、密教的意味をもって現在でも使用されているのです。
今回ご紹介する収蔵品は、この梵字のうち「阿(ア)」の文字を中央に配した「阿字曼荼羅(阿字観本尊図)」です。密教には「阿字観」という修法があります。阿字観とは、「阿(ア)」という音がすべての音声の根源であり、また仏・菩薩などの各尊を一字の梵字をもって表わす場合(これを「種字」といいます)、宇宙の真理を仏格化した大日如来を「阿(ア)」字をもって表現し、これを観念することによって仏性を自覚するという瞑想法のことです。
そしてこの阿字観の際に本尊として行者の面前に掲げられるのが、本図のような阿字曼荼羅というわけです。
本図は室町時代の作で、金剛杵の先端に銀地の月輪を描き、そのなかに白蓮を、さらにその蓮台上に金泥で「阿(ア)」字を一際大きく表わしています。
また画面上部向かって右側には「八葉白蓮一肘間 炳現阿字素光色 禅智倶入金剛縛 召入如来寂静智」という『菩提心論』の偈頌があり、この観法を行ずることによって悟りの境地に至らんとする主意が記されています。
曼荼羅といえば、両界曼荼羅のような大系的な図像が注目されますが、梵字や種字といった多様な密教文化を考える上で貴重な資料といえます。
( 渡邊 勇祐 )