琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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近江の文化財

絹本著色 普賢十羅刹女像  1幅 滋賀県指定有形文化財   南北朝時代
(けんぽんちゃくしょく ふげんじゅうらせにょぞう)         米原市 成菩提院所蔵    法量  縦 160.0 × 横 97.2cm

 普賢菩薩は、釈迦三尊の内の一尊を構成する仏として古くから信仰されてきました。平安時代に入り、法華経を根本教典とする天台宗が広まると、独尊として祀られるようになります。これは、普賢菩薩は法華経を信仰する者を守護すると法華経に説かれているためです。また、法華経は本来成仏できない存在であるとされる女性の成仏を説くことから、普賢菩薩は法華経信仰を通して女性からも厚い信仰を受けました。

 米原市柏原に所在する天台宗の名刹成菩提院に伝わる普賢菩薩像は、周囲に多くの眷属が描き込まれます。薬王菩薩(やくおうぼさつ)、勇施菩薩(ゆせぼさつ)、多聞天(たもんてん)、持国天(じこくてん)の他十人の羅刹女(らせつにょ)があらわされていることから、普賢十羅刹女像と呼ばれています。これらの仏は、すべて法華経に登場する仏で、普賢菩薩と同じく法華経を信仰する者を守護する存在です。容姿が美しいとされる羅刹女はもちろん、普賢菩薩や薬王菩薩、勇施菩薩までが非常に女性的で眉目秀麗に描かれていることから、女性が関わって制作されたと想像できます。また、諸尊が雲に乗って斜め向きに降下してくる姿は、阿弥陀如来が往生者を迎えに来る場面を描いた来迎図と同じ構図です。法華経信者を守護するために出現するという意味合いと、女人往生を願う来迎としての意味合いが重ねあわされているようでもあります。普賢十羅刹女像は平安時代後期頃から描かれ始めたようですが、本図は明快な色使いや、抑揚が強く勢いのある筆致から南北朝時代の制作と考えられます。

( 和澄 浩介 ) 




※写真をクリックすると、拡大画像を見ることができます。

※「普賢十羅刹女像」は、令和4年(2022)2月5日から4月3日まで、県立安土城考古博物館で開催された、地域連携企画展「伝教大師最澄と天台宗のあゆみ」に出展されました。