琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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近江の文化財

絹本著色 薬師十二神将像  1幅 滋賀県指定有形文化財   南北朝時代
(けんぽんちゃくしょく やくしじゅうにしんしょうぞう)         近江八幡市 新宮神社所蔵    法量  縦 190.1 × 横 83.2cm

 本図は、近江八幡市安土町下豊浦に所在する新宮神社に伝来した薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将を描いた作品です。謹直な線と寒色系の彩色が特徴で、全体にやや硬い印象を受けますが、堂々とした体躯の薬師如来の説法に周囲の諸尊が聞き入るかのような厳かな雰囲気がよくあらわされた南北朝時代の優品です。また、薬師如来とその眷属を描いた仏画は全国的に少なく、本図は貴重な存在です。

 新宮神社は、社伝によると天承元年(1132)に紀州熊野の神を勧請して創建したとされます。社名の新宮は本宮、速玉、那智の熊野三山のうちの速玉に当たります。当社は、本図のほか応永10年(1403)に寄進された崇永版大般若経(県指定、現在は近隣の正禅寺所蔵)や永正元年(1504)銘の鐘を伝えています。

 本図は上から古文書の書き写し、内部に仏像をあらわした8個の月輪、薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将、描表具であらわされた火炎宝珠と輪宝からなります。このうち上部の古文書の書き写しは、天平感宝元年(749)に聖武天皇が奈良の薬師寺に錦布などとともに近江国蒲生郡の水田を施入した際の願文(聖武天皇施入勅願文)です。この寄進地がのちの豊浦庄に引き継がれていくと考えられています。なぜ南北朝時代の作である本図に奈良時代の聖武天皇の施入願文が記されているかははっきりとわかりませんが、中世に入るとこの荘園の利権は薬師寺から興福寺に移っていくようで、このような時期に制作された本図は、薬師寺側の権利を主張するために描かれたとも考えられます。本図とほぼ同じ構図の作例が米国クリーブランド美術館に所蔵されていますが、こちらの最上段には薬師如来が人々を救済するために誓った十二大願が記されています。やはり本図の聖武天皇勅願文には特別な意味が込められていると考えられます。また本図は作風や図像選択の上で、南都仏画と呼ばれる奈良ゆかりの仏画との関係も指摘されています。
 8個の月輪は向かって右から阿弥陀如来、龍樹菩薩、聖観音、十一面観音三体、薬師如来、文殊菩薩をあらわしています。これはそれぞれ熊野新宮の証誠殿、聖宮、子守宮、若宮、速玉宮、一万宮の本地仏に当たり、熊野新宮の神々をあらわしていると考えられます。ただし、なぜ十一面観音が三体も描かれているのか、なぜ上四社と呼ばれる重要な神のうち第一殿結宮(千手観音)のみ描かれていないのかなど、不明な部分もあります。



※写真をクリックすると、拡大画像を見ることができます。

 本図は、数少ない南北朝時代の優れた薬師如来画像としてだけでなく、奈良時代から続く南都とのかかわり、荘園の権利をめぐる争論、当地と熊野をつなぐ神仏習合の実態など多くの興味深い課題に光を当てる重要な作品と言えます。

( 和澄 浩介 ) 

※平成19・20年度に財団法人住友財団の助成を受けて修理事業が実施されました。
 本図は、令和6年(2024)2月10日から4月7日まで、滋賀県立安土城考古博物館で開催する、琵琶湖文化館地域連携企画展「近江の文化財を継ぐー修理・複製・復元ー」に出展されます。