絹本著色 六道絵 中谷求馬筆 15 幅 |
滋賀県指定有形文化財 江戸時代(文政6年=1823) |
(けんぽんちゃくしょく ろくどうえ なかたにもとめひつ) 大津市 聖衆来迎時所蔵 |
法量 各)縦 161.8~163.8cm × 横 69.6~70.3cm |
聖衆来迎寺に伝来する国宝・六道絵15 幅の模本。六道絵とは、あらゆる衆生が輪廻転生(りんねてんせい)するという六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、天道、人道)の苦しみを描いたもので、比叡山の僧、恵心僧都源信(えしんそうず げんしん:942~1017)が著述した『往生要集(おうじょうようしゅう)』に基づきます。鎌倉時代に描かれた原本は比叡山横川の霊山院(りょうぜんいん)に伝来した後、織田信長の比叡山焼き討ちを避けるため、聖衆来迎寺に移されました。伝統的な大和絵と中国宋・元時代の表現技法を織り交ぜて六道の悲惨な状況を緻密な筆致で迫真的に描いており、わが国の仏教絵画史において高く評価されています。
本図は江戸時代後期の文政6 年(1823)に原本を模して描かれました。本図を描いた絵師の中谷求馬(なかたにもとめ、1748~1832)は、近江国坂田郡今村(現長浜市今町)出身で、若くして江戸に出て狩野派に学び、30 歳前後で長浜に戻って活躍しました。本図のほかに岩隆寺(長浜市)の障壁画、長浜曳山祭りの山組のうちの壽山(ことぶきざん)の楽屋襖の「雲龍図」や青海山(せいかいざん)の舞台障子腰襖の「四季花卉図」などを描いています。
画面のサイズは原本よりやや大きく、原本で切り詰められている部分の図様を確認することができます。また、画面各所に場面の説明を墨書した短冊が貼り付けられており、たびたび絵解きに用いられてきました。
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※こちらをクリックすると、全15幅の拡大画像をご覧 いただくことができます。 [写真提供:滋賀県]
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本図は、わが国の仏教絵画を代表する六道絵のきわめて正確な模本であり、原本で確認し難い図様を把握することができる絶好の資料として評価できます。また、単なる模本としての位置付けにとどまらず、江戸時代の仏教絵画の高い水準を示す作例としても重要であることから、令和6年(2024)3月、滋賀県指定有形文化財に指定されました。
( 古川 史隆 )
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