木造僧形神坐像 1躯 | 滋賀県指定有形文化財 平安時代 | (もくぞう そうぎょうしんざぞう) 栗東市 金勝寺所蔵 | 法量 像高 55.0cm |
栗東市南東部にそびえる金勝山(こんぜやま)の中腹に位置する金勝寺(こんしょうじ)は、東大寺創建の中心人物であった良弁(ろうべん)が開創したと伝わる名刹です。寛平9年(897)の太政官符によると金勝寺は、甲賀郡の飯道神、坂田郡の山津照神、野洲郡の三上神、兵主神の四神に対して読経を行うことが定められており、早くから神仏習合が進んだ寺院でした。 金勝寺には10体ほどの神像が伝わりますが、本像はその中でも最大級、最古級の像であり、中心的な存在であったと考えられます。後頭部に僧綱襟(そうごうえり)を立てた法衣(ほうえ)、袈裟(けさ)、横被(おうひ)を着け、両手には何かを持っていた痕跡がありますが、現在持物は失われています。手先や左膝頭を除くほぼすべてをヒノキと思われる一材から彫出します。用材の制約上、脚部の奥行きは薄いですが、一本の木からなるべく多くの部分を彫出しようとする意識が見受けられます。木心は背面中央にわずかに外しています。奥行きの深い頭部や、余裕のある手の構え、翻波式衣文(ほんぱしきえもん)を交えた鋭い衣文表現などは、極端に立体感を減じ、ほとんど衣文を刻まなくなる平安時代後期以降の神像とは一線を画し、本像の造立が10世紀末から11世紀初頭まで遡ることを示しています。また、細い眼を吊り上げ、首筋や肋骨を極端に浮き出させる異相も、表現が穏やかになる11世紀後半を遡るものです。神前読経が義務付けられた寛平9年まで遡るものではありませんが、前記四神のうちのいずれか、もしくは金勝寺の鎮守神のような存在であった可能性があります。 神仏習合の実像をうかがわせるだけでなく、強力な神威を存分に感じさせる近江有数の僧形神像と言えます。 ※『僧形神坐像』は、令和2年(2020)9月19日から11月15日の間、栗東歴史民俗博物館で開催された「栗太郡の神・仏 祈りのかがやき」に出展されました。 ( 和澄 浩介 ) |
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