銅造薬師如来立像 1躯 | 重要文化財 奈良時代 |
(どうぞうやくしにょらいりゅうぞう) 大津市 聖衆来迎寺 | 像高 42.2cm |
大津市比叡辻に所在する天台寺院聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)は、比叡山麓にありながら織田信長の焼き討ちを免れ、数多くの文化財を今に伝える古刹です。 本像はその聖衆来迎寺の宝物の中でも最古級の仏像です。面長で、ややあどけなさが残る童顔は7世紀末、白鳳時代の仏像に見受けられる特徴です。一方、手足が長く、引き締まったスタイルの良い体形は、奈良時代の特徴を示しており、本像の造立年代は8世紀初頭、奈良時代の初期と考えられます。寺伝では、天台薬師の池とも称された琵琶湖から出現したと伝えられています。 本像のもっとも大きな特徴は、右肩にかけた覆肩衣(ふげんえ)の一部を右手で握る点です。このような形式を有する薬師如来像は現在ほとんど確認されていませんが、ほぼ唯一の例が岐阜県の天台の名刹・横蔵寺(よこくらじ)に伝えられています。そして、この横蔵寺像の背面には「邃授澄貞元廿一四月」という銘文が彫り込まれています。これは「最澄(さいちょう)が唐の師である道邃(どうずい)から貞元21年(805)に授かった」という意味です。横蔵寺像の実際の造立年代は、最澄や道邃の在世時ではなく平安時代後期で、制作地も日本と考えられますが、この特殊な形式の薬師如来像が最澄や道邃と深く関わった像であるとの伝承は注目されます。聖衆来迎寺像もその造立年代は奈良時代前半なので、最澄とは直接的なかかわりはないかもしれませんが、天台宗内においてこの形式の薬師如来像が何らかの特殊な由緒を有していた可能性があります。 また、大腿部の衣文はY字であるのに対して、脛部の衣文はU字であらわされる点も特殊です。如来でありながら、菩薩がまとう天衣を着けているようにも見え、衣文表現にやや混乱が生じているようにも感じられます。衣を握るという特異な形式を採用した影響も考えられます。 本像は、きわめて特異な形式に加え、最澄との関わりも連想させる魅力ある古像といえます。 ( 和澄 浩介 ) |
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※「薬師如来立像」は、令和4年(2022)2月5日から4月3日まで、県立安土城考古博物館で開催された、地域連携企画展「伝教大師最澄と天台宗のあゆみ」に出展されました。 |