琵琶湖文化館 the Museum Of Shiga Pref
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近江の文化財

 御眼鏡(伝霊元天皇所用)   1点     江戸時代   本館蔵
 日本に眼鏡がもたらされた時期は明らかではありません。一説には天文20年(1551)、宣教師フランシスコ・ザビエルが来日した際に、周防国(山口県)の大内義隆(1507~1551)に13品目贈った中に眼鏡が含まれていたといいますが、残念ながら現物は残っていません。
 17世紀頃には、取り付けたひもで眼鏡を耳にかけるスパニッシュイタリアン型が世界の主流でしたが、目鼻立ちがくっきりしている西洋人にとっては都合が良かったものの、西洋人に比べて鼻が低く顔の堀が浅い日本人の顔には合いませんでした。眼鏡の安定が難しく、眼鏡が目に近づきすぎて、まつ毛がレンズに触れてしまうという難点があったのです。そこで日本人が発明したといわれているのが、鼻当てです。17世紀も終わり頃になると、わが国にも眼鏡を売る店が江戸や京都、大阪にでき、眼鏡がステータスシンボルの一つとして次第に普及していきます。
 本作品は、霊元天皇(1654~1732、在位1663~87)が使用していたという眼鏡で、べっ甲製、レンズの大きさは直径7cmのものです。レンズとレンズの間にある猪目文(いのめもん:ハート型)の上部に蝶番が付いており、ここを折り曲げて鼻当てにしています。霊元天皇は後水尾天皇の子。後水尾天皇は江戸幕府が権力を顕示するようになった時期の天皇で、「禁中並公家諸法度」などの制定を通じて次第に増大する幕府権力を不満として退位しています。霊元天皇は皇室再興をめざし、朝廷の典礼の故事復興に功績があったことが知られています。
 この眼鏡は久世通夏(1670~1747)が霊元法皇から拝領したものであると伝わっています。また、この眼鏡が納められていた箱には久世氏の家紋である笹竜胆が配されており、その伝来の確かさを伝えています。

※「御眼鏡(伝霊元天皇所用)」は、令和3年(2021)2月6日から3月21日まで、県立安土城考古博物館で開催された、地域連携企画展「琵琶湖文化館の『博物誌』―浮城万華鏡の世界へ、ようこそ!―」に出展されました。