「日本における時計に関する最も古い記録としては、『日本書紀』斉明天皇6年(660)5月是月条に、皇太子(のちの天智天皇)が初めて漏剋を造ったという記事です。漏剋とは水時計のことで、いくつかの容器に水を一定の速度で流し、容器に貯まった水の量で時を計るものです。その後、天智天皇は新しい漏剋(刻)を設置して時を計り、鐘鼓を鳴らして時を告げたと『日本書紀』天智天皇10年(671)4月25日条に見られます。これが時報の最も古い記録になります。旧暦4月25日は太陽暦では6月10日となり、天智天皇をまつる近江神宮(大津市)では、毎年6月10日に漏刻祭を行っています。
さて、本品は琵琶湖文化館が所蔵する櫓(やぐら)時計と呼ばれる和時計の一種です。機械式の時計が日本に伝来したのは16~17初期のことだと言われています。時代劇の中で悪役の侍と商人が密談をしている部屋の一角に、富を象徴する調度品として置かれているのをご覧になったことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
本品は櫓型をした台の上に機械本体が置かれた櫓時計と呼ばれるもので、動力部分は櫓の中に隠されています。動力には2個のおもりが用いられ、機械本体内部の歯車が作動することで時刻を示しました。
時計本体の正面、左右、そして裏面には、美しい菊や唐草などの草花があしらわれており、優雅さを添えています。文字盤には十二支と漢数字が見られ、黒地に金色で文字をあらわしており、落ち着いた雰囲気をかもしだしています。昭和39年(1954)に琵琶湖文化館に寄贈されたものですが、この時計がこの世に誕生してからどこでどのように時を刻んできたのかは詳らかではありませんが、想像をたくましくしてみるのも楽しいかもしれません。
( 井上 ひろ美 )
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